第九十三話
J-POPに洋楽、ウケを狙ったのか時折演歌を歌う者もいる。
学校とは違い、出入口から一番近い席に悟仙は座っていた。
クラス会といっても、場所が教室からカラオケ店の大部屋になっただけで、全体の雰囲気は休み時間と大して変わらなかった。皆思い思いに過ごしており、奥の方に座っている一団はクラスメイトの歌を聞くより話すことに夢中なようだ。
近くにあるピザに手を伸ばしながら、悟仙と奥の一団のちょうど間の方に目を向ける。そこには麻理と夏子が隣り合って座っていた。竜二はその二人から少し離れた男子の集団の中にいる。
部屋に入って直ぐに竜二が目を向けてきたが悟仙は無視した。今回の作戦に二人の位置関係は大して重要でないのだ。
腕時計を見ると、会が始まって四十分ほど経っていた。顔を上げたときに奥の一団の中にいる宮田と目が合う。悟仙がじっと視線を向けると、宮田は注意して見てないと気付かないくらい小さく首を振った。どうやらまだ動かないらしい。
そのことを伝えるために竜二に目を向けたが、竜二は気付かなかった。それどころか横を向き、ポカーンとしてこちらに気付く気配すらない。それは竜二だけで無く周りの男子達も同じだった。
何事かと悟仙が心中で首をひねるのと同時に、聞き覚えのある曲がかかった。あまり音楽を聴かない悟仙ですら知っているのだからそれなりに有名な曲なんだろう。そんな事を考えていると今度は聞き覚えのある声が聞こえた。麻理の声だった。隣の夏子もマイクを持っている。
所々上ずって跳ね回る麻理の声を、夏子の落ち着いた声が制する。二人の相性は良いようだが、正直余り上手くない。今までの中では技量は真ん中の方だろう。しかし、奥で話していた一団も二人の曲を聞いている。
その容姿もあってか、この二人はなかなか影響力を持っているらしい。
曲が終わって採点結果が出る。予想通り中途半端な点数だった。麻理と夏子は次の人にマイクを渡すと、顔を合わせて微笑み合う。
そこから少し目線をずらすと、緩んだ顔をした竜二が見える。
竜二は悟仙の視線に気付くと、しまったという顔をした後ぐっと目に力を込めた。
そろそろ約束の時間だ。
☆☆☆
「相変わらず、麻理の歌唱力は微妙ねえ~」
夏子が言うと、隣から少し沈んだ声がした。
「結構得意な曲だったんだけど……」
「あははは、それは笑えないわね」
「そんなこと言ってなっちゃん、笑ってるし」
そう言って麻理がその大きな目をじっとりと向けてくる。それを正面から受け止めて夏子はまたケラケラと笑った。
「まあ、誰にでも苦手なものはあるんだし、気にしない気にしない」
言いながら少し強めに頭を撫でてやると麻理が非難の声を上げるが、本気で嫌がってはいない。
夏子はこの少女に、本当に感謝していた。
麻理と友達になったのは、中学一年生の時だった。入学当初、同じ小学校の人がクラスにいなくて所在なさげにしていた夏子に麻理が声を掛けてきたのだ。夏子は声を掛けて貰って嬉しいというより、なかなか勇気がある人だなと思った。
そしてそれは、麻理と親しくなるにつれて強く感じるようになった。麻理は余り自分から前に出るタイプではない。それなのに、いざという時は率先して前に立っていた。
夏子がクラスのリーダー格のいる派閥と揉めたときも麻理は夏子に味方し、進んで矢面に立ってくれた。
今回もそうだ。
周囲の人達がどこか遠慮がちな態度を取るのを余所に、麻理は今まで通り話し掛けてくれた。頭のいい麻理は夏子の周りの状況に気付いていたはずなのに。
「なっちゃん、髪がぐちゃぐちゃになっちゃうよ」
想いを巡らしていた夏子を麻理の声が現実に戻した。思いの外長時間麻理の頭を撫で回していたらしい。
「ああ、ゴメンゴメン。麻理の髪が気持ち良くって。つい、ね」
慌てて手を離すと、麻理が「もー」と言いながら手櫛で髪型を直す。
時計に目を向けると、会が始まってそろそろ1時間経った所だった。また一曲終わって、次の人が端末とにらめっこして曲を選ぶ。
その時、奥の方ですっと立ち上がる人影があった。お手洗いかな、なんて思いながら何となくそちらに目を向けると、立ったのはクラスでも有名なカップルだった。そして、男子の方が口を開いた。
「俺たちはこの後予定があるから、これで失礼させてもらうわ」
その声を皮切りに次々に男女二人組が立ち上がった。右に同じ、ということだろう。中にはいつの間に付き合っていたのか、夏子の知らないカップルもあった。
一瞬の沈黙の後、座っている人達は非難の声を上げた。その中には「お前ら付き合ってのか!?」という声もあった。
「最初からそういう約束で来て貰ってたんだよ」
その声を宮田が鎮める。
隣の麻理を見るが、あまり驚いた様子はなかった。
クラスメイト達に手を振って去っていく男女を見て、夏子の胸はチクリと痛んだ。
思い出すのは昼休みの屋上、ついかっとなって怒鳴ってしまった。喧嘩なんていつものことだ。直ぐに仲直りできると思っていた。しかし、周りの雰囲気がそれを妨害した。いつもの二人ならなんてことの無い冷やかしも、上手く対処できなかった。
今年のクリスマスに一歩踏み出そう、そう思ってたのに……。
俯く夏子の目に、こちらに向かってくる影が見えた。顔を上げると、随分久しぶりに感じる幼なじみの顔。
「じゃあ、俺らも行こうぜ」
あっけらかんとした声でそう言って差しだした手を、夏子は間の抜けた顔で見た。
いっている意味が分からない。じゃあってなによ。何も約束なんてしてなかったじゃない。そもそも、最近まともに話してすらない。
言いたいことは山ほどあるが、言葉が出てこない。不意を突かれて、頭がショートしたのかもしれない。
「なっちゃん」
穏やかな声にハッとする。隣で麻理がにっこり笑っていた。その顔は、随分大人びたが初めて話した時と変わらない。
差し出された手を掴み、立ち上がる。竜二の手は少し汗ばんでいた。
「行くってどこに行くのよ?」
「え!?どこにって……取り敢えず外?」
一転おろおろし出した竜二にクスリと笑い、夏子は一歩踏み出した。
「別にどこだっていいわ」
竜ちゃんとなら
「そ、そうか」
二人並んで出口に向かう。
そこで、夏子は見た。
呆気に取られた表情をしている皆を余所にその少年はいつも通りの眠そうな目をしていた。
そういうことか。
クリスマス前のクラス会、急に帰り出すカップル達、そこで真打ち登場とばかりに出てくる竜二。余りにも出来過ぎている。全てではないにしろ何かしら悟仙が一枚噛んでいるに違いない。その証拠にあれ程毛嫌いしていたクラス会に悟仙が来ている。
一瞬にして怒りがわくが、それはすぐに霧散した。悟仙は関わっている訳ではないことに気付いたからだ。悟仙には「関係ない」ことだ。自分から関わってくるはずが無い。悟仙は関わらせられたのだ。
ちらりと後ろに目を向けると、麻理が緊張した面持ちで突然止まった夏子を見ていた。あの親友が人を頼るなんて不慣れな事をしてまで考えてくれたプレゼントだ。
それなら、喜んで頂くとしよう。
「どうしたナツ?」
「ううん、なんでもない」
グッと手を引いて、夏子は改めて一歩踏み出した。




