第九十話
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悟仙の期末テストの出来は、さして良くも悪くもなく、いつも通りの出来だった。
しかし、それは全体での平均点についてのことで、各教科ごとの点の取り方は今まで通りではなかった。具体的にいうと、理系科目が非常にできて、文系科目が全然できなかった。
どの教科も可も無く不可も無く点を取るのが常だったのだが、今回は夏子に代わって泣きついてきた竜二に勉強を教えたことでバランスが崩れてしまった。人に教えることで理系科目の理解を深めた反面、その分のリソースを文系科目に費やすことが出来なかったのだ。竜二と夏子の仲違いの弊害がこんな所で出てくるとは予想外だった。
一方の麻理の出来はいつも通りか、それ以上だったのではないかと悟仙は思っている。というのも、テスト前最後の部活で悟仙の案を聞いてから、麻理は表情が明るくなった。浮かべている穏やかな微笑みも、心なしかいつもよりいきいきしている気がする。
それに対して、悟仙の表情は暗かった。テストも終わり、憑きものがとれたような表情をしているクラスメイトたちとは見事に対照的である。
悟仙が憂鬱な原因は簡単で、悟仙の気を重くしている要因が期末テストではなく今週の二学期最後の土曜日に予定されているクラス会にあるからだ。普通であれば楽しみに思うことはあれど、憂鬱になったりしないものだが、悟仙にとっては苦行以外の何物でもなかった。
先ず、休日なのに外に出ること自体があり得ない。しかも冬まっただ中の十二月にだ。
続いて、他人のために時間を割くのが有り得ない。しかも週に五回も顔を合わせるクラスメイトたちにだ。
もっとあるのだが、主に以上の点から、悟仙はクラス会に参加したくなかった。
「本当に、面倒くさい」
一つ呟いて、机に突っ伏す。今は帰りのホームルームが始まる前なので、ざわついている教室内では悟仙の声は誰にも届いていないだろう。
悟仙が暫くそうしていると、右肩をつんつんと指で突かれた。
上体を起こすのが億劫で目だけそちらに向けると、ふわりとしたボブカットが目に入った。
「井上か、どうした?」
テスト期間に入ってから、麻理とのコミュニケーションは専ら携帯のメールで、直接話すのは朝の挨拶程度だったので麻理の顔をちゃんと見るのはずいぶん久しぶりな気がする。
というのも、悟仙と麻理は悟仙の案を実行に移すにあたって一つの取り決めをしていた。それは『クラス会まで、二人でいるところをなるべく見られないようにすること』だった。
竜二と夏子の問題を、本人たちのあずかり知らぬところでコソコソ話し合っていたと知られるのは何かと都合が悪いし、取り分け夏子がそういうことを嫌うらしい。
らしい、というのはこの取り決めの発案者が麻理だからだ。
そんな経緯を考えながらゆっくりと身を起こす悟仙に麻理はどこか落ち着かない表情で口を開く。
「いえ、特に用があるというわけではないのですが……首尾はどうかなと思いまして」
「それは心配ない。作戦と言っても、やることはシンプルだからな。タイミングが少し難しいだけだ」
「そうですか、私の方も、その……順調です」
話す麻理は大きな目をきょろきょろさせて相変わらず歯切れが悪く、いまいち要領を得ない。
「そうか、というかこのやり取りは昨日の夜にメールでしなかったか?それにあまり長く話すのは」
「わ、分かってます。長居はしません。ただ……」
「ただ?」
首を傾げる悟仙に麻理は教室の喧騒にかき消されそうなほど小さな声で言った。
「少し陸奥くんと話しておきたかったんです。その、ここのところほとんど話していなかったので、言い出したのは私なのですが」
麻理も悟仙と同じ事を思っていたらしい。悟仙の場合そこで話したいとは思わないが。しかし、だからといって言い出しっぺの麻理がそんなことでわざわざ話しに来るだろうか。
疑問に思った悟仙は一つかまをかけてみた。
「それで、本当は何の用だ?」
「えっ、いえその……」
「いいから、話してみろ。じゃないとこっちがすっきりしない」
言うと、麻理は重々しく口を開いた。
「その、少しだけ不安で」
明るくなったように見えたが、やはり深層心理には不安があったようだ。それを隠そうとするのが、何とも麻理らしい。
「その事について不安がる必要はないし、意味もない。元から俺達には関係ないことなんだからな」
半ば強引に開き直ってみせる悟仙に麻理は口元に手を当ててクスリと上品に笑った。
「うふふ、そうですね。出来ることはしましたし、今回は陸奥くんに見習ってみます」
あの麻理が悟仙の精神に共感するとは、悟仙は思わず感嘆の声を漏らしそうになった。
その感動のせいだろうか、悟仙はつい口を滑らせてしまう。
「そうだ、やることはやったんだ。だから別に当日俺がいなくても問題ない。いや、寧ろいないほうが」
「陸奥くん?」
しまったと思ったときにはもう遅い。ずいっと顔を近付けてきた麻理は笑っているが、目が全然笑ってない。悟仙が最も恐れる麻理の『怒りの笑顔』だった。
「まさか、行かないとか言いませんよね?例え外が寒くても面倒でも必ず来て貰いますからね?必ず!」
麻理の迫力に悟仙はただ、たじろくばかり。
「いや、俺は別に」
「もし渋った場合、手段は選びません。最悪、葉子さんに手伝って貰いますからね」
姉の名前が出て、悟仙は益々戦慄した。ここで頷いておかなければ麻理の母である律子を出すとまで言いかねない。
「分かった、分かったから。もう席に着け」
白旗を揚げる悟仙をまだ信じ切れていないのか、麻理は口を尖らせる。
「本当に分かってますか?ドタキャンはダメですよ?」
「分かってるよ。ほら、もう戻れ」
煩わしそうに手を振りながら言うと、麻理はまだ納得しきれていない表情を浮かべながらも帰って行く。
と思いきや突然こちらに顔を近付けてきた。麻理の髪が頬にあたりこそばゆい。
「ちょ、なんだ」
上体だけ後ろに倒して離れようとするが、麻理は構わず追い掛けてきて、敢え無く捕まってしまう。
「おい、井上。一体何を」
何をされるか戸惑う悟仙に麻理は普段見せない悪戯っぽい笑顔を向けながら口を開いた。
「ありがとうございました。陸奥くんに相談して、本当に良かったです」
それだけ言うと、麻理はパッと離れた。後には甘い香りが残るだけ。何が起こっているかよく分からず、固まりかけるが何とかして口を動かす。
「まだ解決してないのに、礼を言われる筋合いはない」
「言いたいから言っただけですよ。陸奥くんが気にする必要はありません」
「あのなあ」
「それでは、そろそろ席に戻りますね」
そう言い残すと、麻理はまっすぐ自分の席へ歩いて行った。それを見送り、ようやく一息吐く。すると、今まで聞こえていなかったクラスメイトたちの声が耳に入ってくる。
「何だったんだ、今のは」
先ほどの麻理の様子にはかなり驚いた。そして、『あんな表情も見せるのか』と感心している自分に一番驚いた。




