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第八十七話

放課後、向かいに座る麻理はどんよりと沈んでいた。外は雨が降っており、じめじめとした空気がそれに拍車をかけている。


まあ、麻理が落ち込んでいるのも分からなくはない。あの後、四人で昼食を摂ったことで何とか大きな噂が立つ事態は免れたものの、依然竜二と夏子の関係は変わらぬままだ。今回のことで二人が話す機会は確実に減るだろうから、悪くなったとも言える。


今回の発端は麻理であるため、他人に感情移入しやすいこのお嬢様は自分を責めているのだろう。


「これから……どうすればいいのでしょう」


顔を下に向けたまま、麻理がポツリと呟く。


麻理との付き合いはもう半年以上、普通ならここで慰めの言葉でも掛けられればいいのだろうが、生憎悟仙にはできそうにない。それに、そういったことは物事の外側にいる人間がするものだ。悟仙は当事者、そんなことしても薄ら寒いだけだ。だから、今するべきことはこれからのことを考えることだろう。


「一つ、考えがある」


「それは何ですか?」


麻理が顔を上げ、期待を含んだ目を向けてくる。そんな目をされても、大した案ではない。


「竜二が九条に話し掛けたとき、クラスの連中が気持ち悪いくらい二人に注目していたのは井上も分かっただろう?」


悟仙の問いに、麻理が少し咎めるような目を向けてきた。母親が子供を叱る時のそれに似ているかもしれない。


「陸奥くん、気持ち悪いだなんて言ってはいけませんよ。でも、少し皆さんの様子がおかしかった気はしました」


「その原因、分かるか?」


麻理のお叱りを無視して問う。麻理はそのことを言及することなく口元に握り拳を当てて考え込んだ。相変わらず、芝居がかった仕草なのに違和感がない。


「すみません。分からないです」


「そうか」


「陸奥くんは分かるんですか?」


「俺にも分からん」


即答すると、麻理が黒髪を揺らして首を傾げた。


「では、えっと……」


答えを知らないのにどうして質問してきたのかと言いたいのだろう。これがもし夏子なら間違いなくそう言って責めてくる。しかし、この穏やかな少女はそんなこと言わない。


「明確な答えは分からない。だが、恋愛ごとが絡んでいる気がするんだ」


「まあ」


麻理が目を大きくして声を漏らす。


悟仙は少し観察する時間があれば、人の考えなどおおよそ勘付ける。これは決して驕っている訳ではない。しかし、一つだけ分からないことがある。それは恋愛に関することだ。


「もしそうだった場合、悪いが俺にはどうしようもない」


「そ、そんな……」


「勘違いするなよ。だからといって投げ出すわけじゃない」


「そうですか、嬉しいです。やっぱり陸奥くんですね」


そう言って麻理はにっこりと微笑む。何かを喜んでいるようだが、悟仙には分からない。


「どういう意味だ?」


問うと、麻理は上品にくすりと笑った。


「秘密です」


秘密と言われれば仕方ない。悟仙は逸れかけた話を戻すために口を開いた。


「俺も井上も分からない案件にいつまでも悩んでいる訳にはいかない。なんせ、クリスマスまでという制限時間があるからな」


「はい、そうですね」


真面目な顔に戻った麻理が頷く。この切り替えの早さが優等生たる所以なのだろう。


「だから、人を呼んでおいた」


人にはそれぞれ得手不得手がある。今回の件には偶々悟仙も麻理も適さなかったのだ。ならば、適した人物に頼るほかない。


「人、ですか?」


「ああ、あんまり気は進まんがな」


「あの、一体誰を」


麻理の声は部室のドアが開く音で遮られた。


「ほう、ここが男子が入りたいと噂の文芸部か」


キョロキョロと部室内を見回しながら入ってきたのは、整髪料で髪を固めた彫りの深い顔立ちの男子生徒だった。


「よく来てくれたな、宮田」


呼んだ手前、仕方なく悟仙がそう言うとその男子生徒、宮田宗一郎は一瞬顔を引きつらせた。


「お、おう。仕方ないから来てやったぜ」


口は偉そうだが、宮田はパイプ椅子に座る悟仙から一定の距離を保ってそれ以上以上近付こうとしない。悟仙を恐れているのが丸わかりである。体育祭前の屋上での一件が随分効いてるらしい。


宮田より大きな反応を見せたのは麻理だった。


「み、宮田くん!?」


裏返った声でそう言うと、麻理は席を立ち小走りで悟仙の後ろに回り込んできた。麻理も麻理で、林間学校での一件以来宮田が苦手なのだ。


悟仙の背中に隠れたまま、麻理が口を近付けて小声で言ってきた。

麻理の甘い香りが鼻をくすぐる。


「ど、どうして宮田くんが来たんですか?」


「さっき言っただろ。俺が呼んだんだ」


悟仙の言葉に、麻理は益々顔を近付けてきた。目が何故か潤んでいる。


「陸奥くんは人を呼んだと言いましたが、それが宮田くんとは聞いてません」


「当たり前だろ。言ってないんだから」


「それは屁理屈です!」


「なあ、いちゃつくのは後にして、要件を話してくれよ?」


宮田が口を挟んできたことで、悟仙は思った以上に麻理との距離が近いことに気付いた。ふんわりとした柔らかい髪は頬に触れており、睫毛が数えられそうなくらい目が近い。そして、何やら柔らかいものが肩に乗っている。


「っ!」


「ひゃっ!」


悟仙がガタンと椅子を鳴らして後退るのとほぼ同時に麻理も距離を取った。


「す、すみません」


「いや……」


消え入るような声を出す麻理から目を離して言う。見なくても、麻理の顔が赤くなっているのが何となく分かる気がした。


悟仙は場の雰囲気を変えるために一つ咳払いしてから口を開いた。


「ここにお前を呼んだのは訳があってな、まあとにかく座ってくれ」


そう言って今まで麻理が座っていた向かいの席をすすめる。宮田は不思議そうな顔をしながらもそこに座ると、警戒を含んだ目を向けてきた。


「訳ってなんだよ?最近お前に何もしてないだろ?」


「別に俺達に関することとは言ってないだろ」


「陸奥くん、もしかして……」


悟仙の隣に腰掛けながら麻理が呟く。恐らく麻理の予想は当たっている。


「じゃあ俺に何の用なんだ?」


「そうだな。取り敢えず、今のクラスの状況について教えて欲しい」


「クラスの状況?別にいつも通りじゃねえか」


「つまらん冗談はよせ」


仏頂面で言う悟仙に宮田はにやりと笑った。その意地の悪い笑みが似合うのは宮田が男前だからなのか、それとも宮田の本性がそうさせているのか、多分後者だろう。


「ふんっ、我関せずを貫いてるお前でも分かったか」


「本当はそうありたいんだがな、今回はこのスッポン姫に噛み付かれた」


ちらりと目を向けると、麻理は下を向きながら抗議した。


「スッポンだなんて……姫と言って貰えたのはまあ、嬉しいですけど」


「おい、別に褒めたわけじゃないんだが」


「相変わらず、可愛いなあ麻理ちゃんは」


麻理の見当違いな反応に宮田は目を細める。それを見て、顔を青くした麻理がこちらに身を寄せて、制服の裾を摘まんできた。


「すみません陸奥くん、少し悪寒がして」


麻理はもう宮田のことを生理的に受け付けないらしい。その真面目な拒絶に宮田の表情が固くなる。


「相変わらず、酷いなあ麻理ちゃんは。知ってると思うけど、俺って結構モテるんだぜ?」


宮田の言葉に麻理は何も言わず、裾を握る手に少し力を込めただけだった。その様子を見て、代わりに悟仙が口を開いた。


「それは知っている。だからお前を呼んだんだ」


「そ、そうかよ」


悟仙が答えたことが予想外だったのか、宮田が少したじろく。


「じゃあ、説明してくれるか?どうしてクラスの雰囲気がああなのか」


悟仙の問いに、宮田がぶっきらぼうに答える。


「お前も今日分かっただろう?どいつもこいつも夏子ちゃんを狙ってて牽制し合ってるんだよ」


宮田の口振りからして、「ナツがモテ始めている」という竜二の言葉は正しかったと言える。そうなれば、新たな疑問が出てくる。


「どうして、皆揃って九条を狙っているんだ?」


見たところ、夏子には大した変化はなかったように思う。それなのに、夏子の人気が出始めたとは合点がいかない。


「分からねえのか?お前、そういうの鈍そうだもんな」


「俺にはさっぱりなんだ」


両手を挙げて言う悟仙に宮田はまた意地の悪い笑みを見せた。悟仙が分からないと聞いて、調子に乗っているのだろう。相変わらず底の浅い男だ。


「どうしても、教えて欲しいか?」


「はい!教えて下さい!」


宮田の問いに答えたのは麻理だった。手は未だに悟仙の制服を握ったままだが、目は真っ直ぐ宮田の顔に向けられている。


麻理の真剣な眼差しに、宮田は俄然いい気になる。ここは釘を刺しておいた方がいいかもしれない。


「教えてもいいんだけどな。そうだ、一つ条件が」


「最近、運動不足でな。そうだ宮田、一緒に運動しないか?場所は屋上がいいな」


割り込んできた悟仙の言葉に、宮田の顔がみるみる引きつっていった。別に宮田に上からものを言われようとも正直どうでもいい。悟仙には「関係ない」ことだ。しかし、今は竜二と夏子の案件を抱えている。あの二人に加えて宮田の相手をするのは面倒なため遠慮したい。


「分かったよ。教えてやる」


悟仙の脅しは効果てきめんだったようで、宮田は素直に話し始めた。


「お前達はさ、今の恋愛をどういう風に見てる?」


「恋愛?」


「恋愛ですか?」


悟仙と麻理の声が重なる。


かくして、雨が降る放課後、文芸部の部室で宮田による恋愛講座が始まった。



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