第七十八話
クラス対抗リレーは三学年一気にやってしまうため、今トラックの内側にはそれぞれのクラスの選りすぐりの生徒達が集まっていた。最後の体育大会だからか、三年生が一番気合いが入っているように見える。
そんな中で大欠伸をしている悟仙は明らかに異質だった。
「あんた、やる気あるんでしょうね?」
先程麻理から悟仙を煽らないように言われたが、夏子は一言言わずにはいられなかった。
そんな夏子に対して悟仙は目をこすりながら答える。
「やる気があれば足が速くなるのか?」
「っ!あんたはいつもいつも屁理屈を!」
余りにも投げやりな物言いに流石に頭に来た夏子は悟仙に詰め寄る。一発平手打ちでも入れないと気が済まない。
「ナツ!ちょっと落ち着けって!」
しかし、二人の間に竜二が割って入ってきたことで夏子の実力行使は不発に終わった。
「竜ちゃん!こいつ勝つ気全くないわよ!」
夏子が悟仙を指差して言うと、竜二が苦笑しながらフォローを入れる。
「悟仙、そんな事ないよな?」
「ん?九条の言うとおり、勝つ気はないな」
「あんたね!」
「悟仙!頼むからそこは頷いといてくれよ!俺がフォローした意味ないだろ!」
二人の板挟みになっている竜二の顔は泣きそうだった。
「そんなもの、俺には関係ない」
竜二の訴えを歯牙にもかけず、悟仙はどこまでもマイペースだった。
そんなやり取りをしているうちに一年生の女子の順番がきた。夏子は悟仙に感じる怒りを全て力に変えるべく、鼻息荒く歩いていった。
☆☆☆
「なっちゃん、おつかれ~。かっこよかったよ!」
クラス対抗リレーは走り終えた組は直ぐに退場するようになっているため、次に始まる一年男子が走り始める前に夏子がテントに戻ってきた。
「ありがとう!」
麻理の労いに夏子が眩しい笑顔を見せる。夏子のクラスが一位だったため、機嫌がいいのだろう。
夏子のクラスはアンカーを務める夏子が二人抜き去り見事に逆転優勝した。走っている時の夏子の表情が何故か鬼の形相だったのが気になったが、麻理は親友の活躍がとても嬉しかった。
「なっちゃん、高校生になってまた足速くなったね」
「そう?まあ、今回はあれね」
「あれ?」
麻理が問うと、夏子は何かを誤魔化すように言った。
「あれよあれ!こう……荒ぶる激情を力に変えたのよ!」
「えっと、どういう意味?」
「そんな事はどうでもいいのよ!ほら、もう竜ちゃん達のリレー始まるわよ!」
首を傾げる麻理に夏子はあからさまに話を逸らす。できれば足が速くなる秘訣を教えて欲しかったが、話したがらないことを話させる訳にはいかない。
そうこうしているうちにピストルが鳴り、一年男子のリレーが始まった。
リレーは大方の予想通り、悟仙のクラスともう一つのクラスの一騎打ちになった。悟仙のクラスが先行しているが、後ろとは殆ど差がない。そしてそのままほぼ並行した状態で悟仙にバトンが渡った。
「やっぱりあたしが言った通りになったわね」
「陸奥くん、無理するだろうな」
「まあ、あいつが本気で走ったところで抜かれるでしょうけどね」
最初のカーブまでは両者隣り合って走っていたが、ストレートに入ったところで両者の差は一気に開いた。
しかし、夏子の予想とは異なり先頭に躍り出たのは悟仙だった。悟仙はストレートに入った途端大きなストライドでぐんぐん後ろの走者との差を広げていく。
「ちょっと、陸奥ってあんなに足速かったの!?」
悟仙の走りに夏子が驚きの声を出す!麻理も少なからず驚いていた。悟仙の瞬足ぶりもそうだが、あれだけ疲れ切っていた悟仙のどこにあんな体力あったのだろうか。
そのまま一位でアンカーの竜二にバトンを渡すと思われたが、悟仙はニ度目のカーブに差し掛かったところで急激にスピードが落ちてしまった。
「陸奥くん……」
「なんか、そんな感じはしてたわ」
心配顔の麻理に対して夏子は呆れ顔で溜め息を吐いた。
結果的にはほぼ並走したままアンカーにバトンを渡すことになった。悟仙は相当疲れたようで、走り終わりコースから外れるとすぐにへたり込んだ。天を仰いで荒い息を吐いている。
「竜ちゃんいっけえー!」
夏子の声に反応してアンカーの竜二を見ると竜二は一位で最後のストレートに入っており、隣では夏子が大はしゃぎだった。
竜二はそのままゴールして麻理のクラスは男女ともに優勝した。
走り終わった一年男子がテントに帰ってきた。様々な方向から賛辞の声が上がるが、悟仙はそれに耳を貸すことなく一直線に麻理の隣に来てどっかりと座り込んだ。まだ息が整っておらず、肩で息をしていた。
ここは麻理が一肌脱がなくてはならない。
「陸奥くん、何か欲しいものとかありますか?タオルもありますし水分補給なら水筒もありますよ?横になりたいなら、その……ちょっと恥ずかしいですけど私の膝を使ってもらっても構いません」
顔が熱を持つのを感じながらも申し出るが、悟仙が望むものはそのどれでもなかった。
「酸素」
「へ?」
「酸素が欲しい」
「酸素、ですか?えっと……ありません。すみません」
生憎麻理は空気を構成する気体の比率を変えることはできない。
麻理があたふたしながらも謝ると、悟仙は珍しく口元を緩めた。
「当たり前だろ。ただ、からかっただけだ」
「もう!おちょくるのは止めて下さい」
頬を膨らませてみせるが、麻理は内心では悟仙の笑顔が見れて嬉しかった。それに、少し安心もしていた。
文化祭からこの体育大会にかけての悟仙の苦労もようやく終わったのだ。そして、また麻理の隣に戻ってきてくれた。
「陸奥くん、お疲れ様です」
麻理がにっこりと微笑みかけると、悟仙は大きく深呼吸をして息を整え、乾いた笑みを浮かべた。
「本当に、疲れたよ」
☆☆☆
ゆったりと椅子に腰掛ける悟仙の隣で、麻理は前を走り抜けていくリレーの選手そっちのけで先程からにこにこ顔でこちらを見ている。
「俺の顔に何かついているのか?」
「いいえ、ついてないですよ?」
「じゃあ、どうしてこっちを見てくるんだ」
「迷惑ですか?」
いつもなら「そんなの私の勝手じゃないですか!」とでも言いそうな麻理だが、今は上機嫌なのか相変わらずのにこにこ顔だ。そうなると、こっちのペースが崩れてしまう。
「いや、それはお前の自由だが……」
「じゃあ、もう少し見てますね」
「勝手にしろ」
二人の間にほんわかした時間が流れるが、それは竜二が話しかけてきたことで破られた。
「悟仙と井上さん、そろそろ閉会式だぜ?」
「ああ、そうか」
ぼーっとしていたため、リレーが終わったことに気付かなかったようだ。あるいは隣にいたお嬢様に気を取られていた可能性もあるが。
「行きましょうか。陸奥くん」
「ああ」
麻理に促され立ち上がる。すると、目の前がぐにゃりと歪んだ。悟仙はたまらずバランスを崩し、そのまま倒れてしまった。
「陸奥くん!」
麻理が叫びながら駆け寄っくる。麻理の顔が近付いたせいで麻理の甘い香りが鼻腔くすぐる。しかし、それも次第に薄れていき目の前にある麻理のきめ細やかな白い肌も黒く染まっていく。
「竜二」
掠れた声で呟くと、ぼやける視界の中で腐れ縁の友人がこくりと頷くのが見えた。
それに安心したせいか、悟仙の意識が急速に薄れていき
「陸奥くん!」
麻理の叫びを最後にとうとう視界が暗転した。




