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第七十三話

体育祭当日の朝、騒がしい教室の中で悟仙は欠伸をかみ殺していた。活気づいている中で一人やる気なさそうにしていれば、周りの人に周囲から浮いている印象を持たれるかもしれないが、悟仙には関係ないことだ。それに、この中でやる気に満ち溢れている人は半数もいないだろう。騒いでいる人の殆どがいつもの学園生活とは異なる、非日常というものに浮き足立っているだけなのだ。


しかし、自分の席に座る悟仙の右隣にいる三人はその半数に満たない集団に属するようだ。


「陸奥くん、頑張りましょうね!」


その三人のうちの一人、麻理が両手に握り拳を作って声をかけてきた。顔が少し紅潮していて、はりきっていることが手に取るように分かる。


「ほどほどになら、な」


「そうですか。確かに、陸奥くんは余り無理しないほうがいいかもしれませんね。すみません、失念してました」


悟仙は昨日まで心身ともに疲れ切っていた。たった一日で回復するはずがない。その事に気付いたのか、麻理も少し表情を曇らせる。


「お前が気に病むことじゃないだろ。まあ、盛り上がっている連中に水を差さないようにはするさ」


悟仙の体調が優れないことに麻理の責任は全くない。そればかりか、救ってもらったくらいだ。もっとも、それは悟仙が予め仕込んでおいた事なので麻理にその自覚はないだろうが。


「悟仙がそう言ってるんだから、井上さんが気にすることないよ」


「そうよ、それにこいつは手を抜くことに慣れてるんだから。無理しろって言ってもしないわよ」


どこから聞いていたのか、三人のうちの残りの二人、竜二と夏子が会話に入ってきた。二人とも麻理同様はりきっているようで、竜二は朝早くから走り込みをしたと言っていた。


「九条の言うとおりだ。出る競技はリレーと騎馬戦だけだしな」


「そうですね、では私が陸奥くんの分も頑張りますね」


ようやく麻理の表情が晴れる。麻理がどの競技に出るのか知らないが、悟仙は「そうか」とだけ言っておいた。

ここで麻理が出る競技を聞いて話を広げようなどとは思わない。そこまで親しくないということもあるが、悟仙が麻理に対して多少の恨みを持っているからだ。


昨日、悟仙は家に帰ると早々に自室のベットに潜り込んだ。意識が薄れていくなか、悟仙は明日の体育祭の事について考えた。すると、一つの妙案を思い付いた。それは単純明快なもの、つまり「行かなければいい」というものだった。

しかし、その案は麻理の手によって打ち砕かれた。悟仙が眠りについている時、麻理が電話をかけてきた。姉の葉子のスマホにではなく、家の電話が着信を告げた。葉子に電話しなかったのは夕方だったため、仕事中だと思ったのだろう。だが、電話を取ったのはたまたま早く帰ってきて家にいた葉子だった。電話の内容は悟仙の容態についてだったようだが、話の流れから明日が体育祭である事が伝わってしまった。そうなればもう悟仙の策は通用しない。悟仙がサボることを葉子が許すはずがない。力ずくで屈服させられるだろう。つまり、悟仙が安らかに眠っているときに妙案は潰されていたのだ。


そんな経緯があり、筋違いだと分かっていながらも人間、そう簡単に分別が付くはずもなく悟仙は麻理を恨まずにはいられなかった。


「どうかしましたか?」


そんな悟仙の視線に気付いたのか、麻理が大きな目をぱちぱちと瞬かせながら尋ねてきた。


「いや、何でもない」


麻理に理不尽な不満をぶつけられるはずもなく、悟仙は麻理から目を離し、ちらほらと体操服姿の生徒がいる窓の外に目を向けた。ちなみに今教室の中の生徒たちは皆体操服を着ている。そして、こういった学校行事に不可欠なものなのか、教室内は悟仙の嫌いな匂い、香水の匂いが充満している。もし、近くに麻理が居なければとっくに教室から出ていただろう。決して変な性癖があるわけではないのだが、悟仙は麻理から漂う甘い香りが嫌いじゃなかった。


「なあ、悟仙……」


トラックの白線を引き直している生徒を眺めていると、竜二が言いづらそうに言ってきた。


「どうした?」


「あのさ、お前の出る競技……二つじゃないぜ」


「は?」


いまいち要領を得ず、間の抜けた声を出してまう。


「今日、宮田が来てないんだわ」


「そういうことか」


悟仙はようやく理解した。宮田が来ていないということは、悟仙の出る競技が一つ増えるということだ。宮田はクラス対抗リレーのメンバーに選ばれていた。そして、悟仙はその補欠である。このままでは悟仙は今せっせと引き直してくれているトラックを二周走らなければいけなくなる。それは何としても避けたい。


「補欠が代わりに出るというのはあくまで原則なんじゃないか?なら、別に俺じゃなくても」


「無理だな」


悟仙の提案を竜二が一刀両断する。そこまでおかしな事を言った自覚はないため、意味が分からない。


「どうしてだ?」


「陸奥くん、二回も走るんですか?無理はして欲しくないですけど、クラス対抗リレーですよね、ちょっと見てみたいかも……しれません」


「ふざけるな。クラス対抗リレーは注目度が高いんだろ?そんなのに出るなんて御免だ」


「大丈夫ですよ。陸奥くんは足が速いですから」


麻理がにっこり笑って言う。相変わらずおっとりとした雰囲気だ。どうやら悟仙が謙遜していると思っているようだが、それは勘違いだ。悟仙は本気で出たくない。そもそも目立ちたくないのだ。目立てば面倒なことと無関係でいられなくなる。

もう一つ気になることがある。どうして麻理は悟仙の足の速さを知っているのだろうか。


しかし、悟仙のそんな疑問も竜二の次の言葉で消し飛んでしまった。


「とにかく、悟仙に拒否権はねえよ。だってお前、男子の中じゃ『神様』とか『勇者』とか言われてるんだぜ?そんな奴を押しのけてリレーに出ようなんて思うはずがない」


「は?」


「へ?」


奇しくも、悟仙と麻理は同時に間抜けな声を出した。

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