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第七十二話

「クソッ!遅かったか」


竜二がそう叫んだときには言葉通り時すでに遅し、宮田は悟仙を射程圏内に入れていた。学年でもトップクラスの運動神経を有するからか、その動きは素早かった。


「らあっ!」


宮田が叫びながら右拳を振り上げ、そのまま悟仙の顔めがけて打ち込む。しかし、それが悟仙を捉えることはなかった。


「っと」


悟仙は頭を左に傾けて右ストレートをかわし、腰をひねるとバックステップで距離をとった。宮田の動きも速いが、悟仙のそれは宮田を上回っていた。格闘技に詳しくない竜二から見ても悟仙の動きは洗練されていた。まるで毎日訓練を受けている兵士のようだ。

宮田の攻撃が悟仙を捉えることはなさそうだが、宮田は諦めず悟仙を追いかけ、何度も拳を繰り出す。その猛攻を悟仙が右に左にかわしていく。


暫くその攻防が続いたが、悟仙がいつもより大きく距離をとると疲れたのか、宮田が攻撃を止め肩で息をしながら口を開いた。汗に濡れた表情は怒りに歪んでいる。


「ちょこまかと逃げやがって、弱いくせに」


「それは前に中庭で俺が言ったことを言っているのか?よく覚えているな」


対する悟仙も宮田程ではないが少し息が上がっている。腕を振り回している宮田に比べて悟仙は余り動いていないが、疲れがたまっているのだろう。それともう一つ理由がある。この男、驚くほど体力がないのだ。


悟仙は大きく息を吐くとニヤリと笑い、珍しく挑発的な口調で言った。


「宮田、裏でこそこそとやるのがお前の領分だろう……『らしく』ないんじゃないか?」


これはあの時、文化祭三日目に宮田が『らしくない』と言って悟仙を言い負かした時の意趣返しだ。


「ククッ」


竜二は思わず笑ってしまった。

悟仙はその時演技をして動揺したように見せていたようだが、腹に据えかねるものがあったのだろう。仕返しのやり方が実に悟仙らしい。


「てめえ!」


当然悟仙の意図を理解した宮田の怒りは沸点に達したようで、雄叫びをあげて悟仙に突っ込んでいった。再び右腕を振り上げ、やや大振りで拳を悟仙に打ち込む。しかし、またもや宮田の拳は空を切る。ここまでなら先程と何ら変わりない。だが、悟仙の避け方はいつもと異なっていた。

悟仙は頭を振ってかわすのではなく、左腰を前に出して半身になり、身体ごとかわした。

いつもより距離を取ったことで助走が長かったからか、腕が大振りだったからか宮田は反動に堪えられずに前のめりになりたたらを踏んだ。当然頭が下がる。

その大きな隙に悟仙は距離をとると思ったが、そうはせずに右膝を宮田の顎先に突き込もうとした。


「悟仙!?」


躊躇せずに竜二は屋上に入っていった。ここで悟仙が宮田に手を出せば、悟仙は宮田と同じレベルだということになる。それはダメだ。

今回は竜二の制止が間に合ったようで、悟仙の右膝は宮田の顎から数ミリを残して止まっていた。


「お前がそいつにそこまでする必要はねえよ」


竜二が諭すように言うと、悟仙は少し頬を緩めたあと自分の右膝の前にある宮田を冷ややかに見下ろした。


「確かにあの時俺は弱いと言った。だが、『お前より』弱いとは一言も言ってない」


それが止めとなったのか、宮田はへなへなと尻餅ついた。その様子から戦意喪失なのが分かる。

そんな宮田をよそに悟仙はもう宮田に興味はないのか、くあーと大口を開けて欠伸をしていた。


それを見て、竜二は悟仙の意図に気付いた。悟仙が考えていたのは直接殴るよりももっと残酷なものだ。

いつもより大きく距離をとって相手の怒りを煽り、隙の大きい攻撃をさせる。そして反撃しようとするが、止められて寸止めになってしまう。相手にもし当たっていたらと想像させ当たっていたとき以上の恐怖を植え付ける。


「あんにゃろめ」


つまり、竜二の介入すら悟仙の計算通りということになる。まんまと利用された訳だが、竜二は憤慨する気もなければ、貸しにする気もない。付き合いが長いくせに悟仙の変化に気づけなかったのだ。これで埋め合わせにしてもらおう。


悟仙がゆっくりとした足取りでこちらに向かってくる。二人から少し離れたところにいた茜とすれ違うとき、徐に茜が口を開いた。


「どうしてよ……どうしてあの子は信じてうちは信じなかったのよ」


悟仙は茜をちらりと一瞥すると、目を合わせずに口を開いた。


「まず、知り合ってからの時間が井上との方が長いですからね。それに」


悟仙はそこで一旦言葉を止めて頬を緩めた。悟仙にしては珍しく素直な笑みだった。


「あいつはオセロの駒というより、碁石って感じですしね」




☆☆☆




「俺は午後は出ずに帰ることにするから、教師には適当に取り繕っといてくれ」


悟仙は入口の前に立つ竜二にそう伝えておいた。三週間もいつもとは違う視点で生活したせいで睡眠も食事も満足に取れず、それを周囲に悟られないようにしていたことで悟仙は心身ともに疲れ果てていた。明日は体育大会だ。この状態では堪えられそうにない。だから悟仙は今日から明日の朝まで休養することにした。


「分かった。なんとかしとくよ」


竜二は渋ると思ったが、何かあったのか意外なことに素直に了承した。


入口に入ると、夏子の姿があった。大して話すこともないのでそのまま素通りする。

悟仙が階段を下りていると背中に声を掛けられた。


「ねえ」


「何だ?」


夏子は階段の上にいるので、自然と見上げる形になる。


「どうしてあんたは茜先輩があんたに好意を持ってないって思ったの?」


「もう一度言わせるのか?井上が裏表を使い分けることなど考えもしないような」


「そうじゃないわ」


悟仙の言葉を夏子が遮る。悟仙は意味が分からなかった。夏子は一体何を言いたいのだろうか。


「あんたは茜先輩の好意と麻理の好意を比べたんでしょう?あたしが言いたいのはどうして麻理があんたに好意を持っている前提なのかってことよ」


「それは……」


それ以上言葉が続かなかった。いや、続けることができなかった。悟仙は確かに茜と麻理の好意を比べて判断した。あらかじめ茜によって自分がおかしくなることを予想していたため、麻理に茜と同じ様に下の名前を呼んでもらったくらいだ。しかし、夏子の言うように何故麻理が自分に好意持っているとして考えたのかは分からなかった。強いて理由を言うならば、無意識のうちにそう判断してしまっていたからだ。


「まあいいわ。あたしは竜ちゃんと一緒に教室に戻るから」


悟仙が言葉に詰まっていると、夏子はそう言って屋上に入っていった。悟仙もこれ以上考えてもこの疲れ切った頭では答えが出そうになかったので、屋上からの日差しを背中に受けながら階段を下りていった。



教室に入ると、クラスメイト達の視線が一斉に向けられた。悟仙はそれを無視して窓際の一番後ろの席に足を進めた。告白の結果など悟仙が言わずとも勝手に伝わっていくものだ。今ここで言う必要はない。手早く荷物を鞄に仕舞って今度は出口に向かう。そこで、一人の少女が目に入った。

ふわりとしたボブカットの黒髪に小さく形の整った鼻梁、ぷっくりとした桃色の唇、そしてくりっとした垂れ目がちの大きな瞳、纏うのはおっとりとした雰囲気。

悟仙は井上麻理を随分久し振りに見た気がした。


そんな事を考えながらも足は進んでおり、気付けば廊下に出ていた。そんな悟仙を追いかけて麻理も廊下に出てくる。すると、麻理はそっと両手で悟仙の左手を握りしめてにっこりと穏やかに微笑みかけてきた。


「陸奥くん、何だかすっきりしたみたいですね」


「そ、そうか」


「はい、そう見えます」


いきなり手を握られたことにぎょっとしている悟仙に麻理は変わらずにこにこ顔だった。それを見ていると、悟仙は先程の夏子からの質問を思い出し急に気恥ずかしくなって慌てて手を離した。


「じゃあ、俺は明日に備えて帰ることにするから」


悟仙に「お弁当を作りましょうか」と言ってきたくらいだ。麻理は当然悟仙が疲れていることに気付いているだろう。悟仙の予想通り麻理はこくりと頷いた。


「はい、ゆっくり休んでください」


「ああ」


悟仙は短くそう返答すと踵を返して歩き始めた。自然と早足になっていた。




☆☆☆




悟仙が屋上から出ていったあと少しして夏子と竜二は教室に戻ってきた。そこに悟仙の姿はすでになかった。すると、クラスメイト達が集まってきて質問責めにあった。夏子はそれから何とか抜け出して麻理を引っ張って廊下に連れ出した。どうしても聞いておきたい事があったのだ。


急に引っ張られて困惑する麻理に尋ねる。


「ねえ、麻理は陸奥に好意を持ってるの?」


「前にも言ったけど、私はそういうのよく分かんない。陸奥くんと仲良くなりたいとは思うけど」


「じゃあ、陸奥と茜先輩が噂になったときなんかこう……もやっとしなかった?」


もし夏子が竜二と誰かが付き合ってるという噂を聞けばきっと一日中もやもやしているだろう。ここで麻理が頷けば、麻理は悟仙に好意を持っているということになる。

麻理はふるふると首を振った。夏子は心中でガッツポーズした。ざまあみろ、陸奥悟仙。


「よく分かんない。陸奥くんが心配でそれ所じゃなかったから」


「そうよね。あの勘違いやろうなんか好きなわけ……ってどういうこと?」


上機嫌から一転困惑する夏子に麻理も困ったように笑った。


「ほら、私ってテストとかで分からない問題があるとき、直ぐに次の問題にいけないタイプだから」


麻理の訳の分からない答えに、夏子は自分が重要なこと忘れていたことに気付いた。


井上麻理は天然なのだ……。



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