第六十七話
体育祭の競技決めが終わり放課後、悟仙は文芸部の部室で何の変哲もないパイプ椅子に座り家から持ってきた文庫本を読んでいた。
文化祭の準備などで慌ただしかったため、部室で本を読むのも随分と久し振りだったが、もう文化祭が終わって五日経っているので今は日常が戻ったくらいの認識しかない。
しかし、部室にいる部員の組み合わせはいつも通りではなかった。今日、悟仙の他に部室にいるのはいつも向かいに座っている麻理の隣、つまり悟仙の左斜め前に座る夏子しかいなかった。
小学校からの顔見知りになるが、さほど親しくもない。夏子と親しくしていたのは専ら竜二の方で今のように二人でいることなど数えるぐらいしかなかった。
だが、我が文芸部はこれといって何か活動することなくただ部室で本を読むだけなので夏子とコミュニケーションをとる必要もなく、今二人の間にはページをめくる音が時折聞こえるだけであった。
悟仙が今回選んだ小説はどうやらハズレだったようで、いまいち内容に没頭することができなかった。それは夏子も同じだったのか定かではないが、悟仙が活字から目を離し顔を上げると可愛らしい猫のイラストが描かれたブックカバーを着けた本から目を離し夏子も顔を上げていたため目が合った。放課後、二人きりの部室で見つめ合うような間柄でもないため悟仙が目を逸らす意味もあって再び本に目を向けるが、相手には悟仙から目を逸らした様子がなく何やら観察されるような視線が向けられている。
「何か用か?」
「別に、何もないわよ」
悟仙が本から目を離さずに尋ねるが、夏子は素っ気なく返すだけだった。しかし、悟仙には相変わらず視線が向けられている。
「今日、麻理と竜ちゃんがどうしていないか知ってる?」
「さあな」
感情のこもっていない口調の問い掛けに目線を動かさずに短く返すと、夏子の溜め息が聞こえた。
「麻理は競技決めよ。男子と違って女子は六限のうちにリレー以外決まらなかったからね。竜ちゃんはいつもの如く数学の追試よ。あんたって、本当に無関心よね昔から」
「そうかもな」
悟仙は自分の性分を理解しているつもりだったので否定しなかった。それにしても、何故夏子はいきなりこんな話をし出したのだろうか。今頃この性格を直せと説教でもしてくるのだろうか。悟仙が訝しんでいると、夏子が少し強い口調で言った。
「じゃあ、そんな無関心のあんたがどうして茜先輩の相手なんかしてんのよ」
結局これが聞きたかったのだろう。教室でも散々された質問だったので悟仙は溜息を吐きたくなった。
無関心といえば、夏子も悟仙に関して興味がないはずである。色恋の話というのはそれほど興味が引かれるものなのだろうか。
「お前には関係ない」
「なら、教室でも皆にそう言いなさいよ!」
夏子が声を荒げるのを悟仙は辟易としながら聞いていた。夏子はここまで熱い性格だっただろうか。もしこれが夏子の本性ならば竜二も物好きなものだ。
「あいつらにどう対応しようが、それは俺の問題だ。お前には関係ない」
悟仙がきっぱりと言うと夏子は少しの間黙っていたが、先程よりも落ち着いた声で聞いてきた。
「一つだけ聞かせて、例の美少女コンテスト、あんたは麻理と茜先輩のどっちに入れたの?」
何故麻理の名前が出てきたのか気になったが、聞かずに素直に答える。
「相沢さんだ」
「相沢さんって、茜先輩に入れたの!?」
「ああ」
悟仙の答えに夏子は絶句していた。それほど意外だったのかもしれない。それは茜に入れた云々ではなく誰かに投票していたこと自体に関してなのかは分からないが。
夏子が二の句を告げない間に勢い良く部室のドアが開いた。まだ数学の追試が終わるには早すぎるため竜二ではないだろう。物腰柔らかな麻理はこのような開け方をしないだろう。
そんな事を考えながらドアに目を向けるとそこには茜が立っていた。悟仙に気がつくとにこっと笑う。
「悟仙くん、部室に居たんだね。教室に居なかったから探したじゃん」
「それはお手数かけました。それで、用件は?」
茜が教室に悟仙を探しに行ったことでまたクラスの男子に質問責めに合うだろう。明日からの土日に皆が忘れてくれるのを祈るしかない。
「悟仙くんは色対抗リレーに出るんだよね?」
「はあ」
イロタイコウリレーと言われて直ぐになんのことか分からなかったため、気の抜けた返事になってまったが茜は気にすることなく用件を告げていく。
「うちも出るからさ、これから体育祭まで一緒に練習しよ!」
「まあ、いいですけど」
「やったあ!」
悟仙が了承すると茜が笑顔で喜んだ。対して夏子は驚いているのか目を見開いていた。
「ちょっと陸奥、本気なの?」
「ああ、これからは部室に顔を出せなくなりそうだから他の二人にも言っといてくれ」
そう夏子に告げ、手早く荷物を片づけ
茜と並んで廊下を歩く。すると、前からふわりとしたボブカットの髪を揺らしながら麻理がこちらに歩いてきた。競技決めが終わり部室に行くのだろう。
「あっ、麻理ちゃんだ!」
麻理を見つけた茜が笑顔で麻理に駆けていき、何やら二、三言交わすと手を振って別れる。
麻理は次に茜の後ろを歩いていた悟仙に目を向けるとにっこりと微笑んだ。
「これからリレーの練習なんですね、頑張って下さい」
「ああ」
すれ違い、茜に追いつくために足を早めようとすると、後ろから麻理に声をかけられた。
「あの……陸奥くん」
振り返り目で続きを促すと、麻理は自分の足元と悟仙を落ち着かないように交互に見ながらそれでも真剣な声で言った。
「名前は、呼ばなくても大丈夫ですか?」
「ああ、もう大丈夫だ」
そう返し、麻理が何か言う前に悟仙は踵を返して足を進める。廊下を曲がり階段を下りていると、踊場に立つ茜の姿があった。悟仙がそこにたどり着くと茜が重々しく口を開いた。
「あのさ、悟仙くんはうちと噂になるのって嫌?」
「いえ、別にそうでもないですけど」
「そっか、よかったあ~」
茜は安堵の表情になると悟仙にちらりと目を向けてきた。もじもじとしながらも、たどたどしく言う。
「うち、誰とでも仲良くしてる訳じゃないからね?悟仙くんだけだから、ね」
「それは光栄です」
悟仙はそれだけ言うと階段を下りていった。




