第六十六話
中学の時もそうであったが、学生は一学期よりも二学期の方が忙しい。それは一学期に大した行事が無いのに対して、二学期は文化祭、体育祭、二年生であれば修学旅行と行事が目白押しだからである。
文化祭が終わって五日経った金曜日の六限目、まだ文化祭の余韻を残す悟仙のクラスでは十月末に行われる体育祭に向けて出る競技を決める話し合いが行われている。
男女別の競技が殆どであるため、男子は窓側、女子は廊下側に集まりそれぞれの体育委員を中心に文化祭の時に比べれば恐ろしいほど順調に話が進められていた。
文化祭が程度はあれど皆が主役であるとするなら、体育祭は運動することに自信がある少数が目立つためそういう輩が主役となってしまう。そのため、皆が余り興味を持つことがなく、意見が衝突する事がないのだろう。
かくいう悟仙も体育祭に余り興味がない。文化祭にも興味がなかったが。数人の男子が窓際の中心の方でなにやら話し合っているのを余所に悟仙は自分の席、入学してから一回しか席替えが行われていないため一番後ろの席で近頃朝と夜は少し冷えてきた外をぼんやりと眺めていた。
すると、中心集団から竜二が手を挙げなが
やってきた。竜二は運動神経がいいのとこういう行事に積極的であることもあって悟仙と違って話し合いに参加していた。その竜二がこちらに来たことで悟仙は嫌な予感がした。悟仙のこの類の予感は良くも悪くもよく当たるようで、竜二が言ってきたことは悟仙にとって好ましくないものであった。
「なあ悟仙、リレー出ないか?クラス対抗リレー」
「断る」
悟仙は即座に断ったが、竜二は予想通りであったのか落胆する様子はなかった。
「なんでだよ?中学の時は出てただろう?」
「一年と三年の時はな、この意味が分かるか?」
悟仙が仏頂面で問うと、竜二は不思議そうに首を傾げた。
「二年の時は足怪我してたのか?」
「全く違う。中学の時に怪我をしたことはない」
「じゃあどうしてだ?」
悟仙は一つ溜息を吐くと、簡潔に答えた。
「一年と三年の時にお前と同じクラスだったからだ」
中学の時、竜二に強引にリレーに出るように誘われたため悟仙はその強引さに根負けしてリレーに出る羽目になった。
「あ~、そういうことか。じゃあ今年は同じクラスだから出てくれるよな?」
「出らん」
「どうして?悟仙、俺より足速いじゃんか」
それは一面から見ると事実だ。確かに春に行われたスポーツテストでは竜二より速かった。その日、悟仙は運悪く財布を忘れてきていてスポーツテストは四限目にあった。その時、竜二から「俺より速かったら昼飯奢ってやる」と言われたのだ。まだ成長期の高校生、悟仙は午後を空腹と戦いながら過ごすことを避けるため全力で走った。この先、ここまで真剣に走ることもないだろうと思うくらいに真剣に走った結果竜二より速いタイムで走ることができた。
だから、竜二の言っていることは間違っていない。
しかし……
「それは五十メートルの話だろう?リレーはトラック一周だ。その二、三倍はあるだろう。竜二、俺が体力ないことは知ってるだろ」
自慢ではないが、悟仙は体力がない。あの時五十メートルを全力で走っただけでもヘロヘロだったのだ。リレーなどたまったものではない。
そこは竜二も知っているようで、否定しなかった。
「まあ、確かにな……」
「それに、俺は今普通じゃない。これ以上の負担は無理だ」
悟仙がそう言うと、竜二は暫く俯いて黙り込んでいたが、何かを決意をしたように顔を上げた。
「普通じゃないって、それって」
「お前には関係ない事だ」
竜二の言葉を遮って切り捨てるように言う。すると、竜二は悲痛な表情を浮かべた後、ぽつりと小さな声で聞いてきた。
「俺には、なんだよな?お前以外にも関係ある奴がいるんだよな?」
「それは……今はよく分からん」
悟仙が歯切れ悪く答えると、竜二はこれ以上この件に対して言及する事はなかった。
「まあとにかく、その事はもういいわ。リレーはクラス対抗じゃなくて色対抗でいいよな」
こういう時に踏み込んでこない事は悟仙にとってありがたかった。だからこれまで長く付き合ってこれたのだろう。どこかのお嬢様とはい大違いである。しかし、最近あのお嬢様、麻理は余り悟仙に食い付いてこなくなった。悟仙が迷惑していることを察してくれるようになったのなら良いのだが。
そこで悟仙は違う方向に逸れていく思考を無理矢理引き戻した。竜二の後半の言葉が気にかかったからだ。
「色対抗?」
悟仙がぽつりと呟くと竜二が呆れたように溜息を吐いた。
「知らねえのかよ。それぞれのクラスに色が決められてるだろ?うちのクラスは緑だったっけな。色対抗ってのはそれぞれのクラスから男女一人ずつ選んで男女混合の六人で走るやつだよ」
「仕組みはわかった。でもなんの違いがあるんだ?」
同じ距離を走るんだ。疲れることに変わりはない。
「色対抗は午前最後にあってクラス対抗は午後の最後だからな、注目度が違うな」
「距離は変わらんだろ」
「だけどな。リレーに出ると男子一二年全員参加の騎馬戦以外出なくてよくなるぜ?」
「そうなのか?」
「ああ」
悟仙は頭の中でどちらがよいのか、つまりどちらがより楽なのかを天秤に掛ける。結果はすぐに出た。
「分かった。出るよ」
「おお、そうか。クラス対抗は補欠にしといていいか?」
「構わん。補欠なら出番はないだろうしな」
悟仙がそう答えると、竜二は中心の集団に戻っていった。そこには竜二と同じくらい足が速い宮田もいる。順当にいけば悟仙のクラスは一位を取るだろう。悟仙はひっそりトラック一周走るだけだ。
そんな事を考えながら外に目を向けた。その時窓に映る自分の顔がいつも通りの眠たげなものであることをそれとなく確認してしまったことに、溜息を吐きたくなった。




