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第六十一話

文化祭三日目の朝、悟仙が教室に入るとクラスメイト達の騒がしい声と共に女性物の香水の香りが鼻腔をくすぐった。今日はクラスの女子が店員のため随分張り切っているようだ。


悟仙はいまいち香水の匂いが好きになれない。普段、姉の葉子が香水をつけている時でさえ顔をしかめるのにおそらくクラスの女子生徒大半からそれが香ってきたため顔をしかめる所ではなかった。悟仙の意識に関わらず香ってくるため、「関係ない」と言っても逃れられるものではない。

どうして女という生き物は自分の匂いなんかが気になるのだろうか。悟仙の知る限り体臭が臭い人は殆どいない気がする。そもそも、人は一々他人の匂いなど気にしているのだろうか。


悟仙が自分とは相容れない者達に向けて思いを馳せていると、いつも通りのにやけ顔の竜二から声を掛けられた。


「どうした?悟仙、この世の終わりみたいな顔してるぞ?」


「世界中がこの匂いに包まれたなら、俺は世界を滅ぼすかもな」


悟仙が思ったことをそのまま呟くと、竜二はそれだけで理解したようで訳知り顔で教室を見回した。


「あ~香水の匂いね、悟仙は昔から苦手だもんな。俺はそうでもないけど」


「この匂いが平気とはな、俺はお前の嗅覚を疑うよ」


竜二は悟仙の言葉を気にする素振りを見せずに大袈裟に首を振って見せた。


「悟仙、今は嗅覚より視覚を研ぎ澄ますべきだ」


「視覚?どういう意味だ?」


悟仙が意味が分からず聞くと、竜二はまたもや大袈裟に首を振ってため息をついた。


「今日の我がクラスの出し物はなんだね?」


竜二の口調がいつもとは違うことが少し気になったが、あまり興味が湧かなかったため何も聞かずに答える。


「メイド喫茶」


「そう!メイド喫茶だ!だから今日はうちのクラスの女子は全員メイド服、そして俺達はご主人様だ!」


「俺達じゃなくて客がだけどな」


「そんな細かいことはどうでもいい!俺が言いたいのはとにかく、この光景を目に焼き付けとけということだ!」


竜二はそう熱く語り終わると、右手を女子達の方、つまり悟仙からすると異臭の根源に向けた。


悟仙のクラスの女子生徒は皆一様にいつもの制服姿ではなかった。白と黒を基調としたフリルがあしらわれた所謂メイド服を着ていた。

悟仙が女子達に目を向けたことを確認すると竜二が声潜めて囁いてきた。


「女子達のいつもとは違った姿、何か興奮しないか?あの衣装、一人一人ちょこちょこ違うらしいぜ?」


悟仙には全部同じに見えるが、違うらしい。他人と異なることで個性を表そうとしているのだろうか。


そんな事を考えていると、横から声を掛けられた。


「なに男二人で鼻の下のばしてるのよ」


こちらを睨み付けながら言ったのは夏子だった。夏子もクラスの女子達と同様にメイド服姿だった。隣には同じくメイド服姿の麻理もいる。


「べっ別に鼻の下なんて伸ばしてねえよ!」


竜二が言葉を詰まらせながら言う。そこに先程の饒舌さは微塵も感じられなかった。


「本当かしら?」


夏子が訝しんで竜二の顔をのぞき込む。


「本当だよ!まあ……その、似合ってるけどな」


竜二の照れ隠しを含んだお褒めの言葉に夏子は意外だったのか目を丸くした後顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。


「そんな事言っても誤魔化せないんだからね!」


悟仙はそんな二人のやり取りを聞いていつもながら感じるこの二人のどちらかが少し素直になればもうとっくに二人は恋仲になっているのではないかという考えが浮かんだ。


何となく気まずい沈黙が二人の間にあったが、夏子が隣の麻理に話の矛先を向けた。


「そんな事より、見てよ麻理、可愛くない?」


そう言いながら夏子が麻理を引っ張って夏子の前に立たせる。


「へ?ちょっと、なっちゃん?」


麻理は戸惑いながらもおずおずと前に出てくる。よく見ると麻理の衣装は夏子のものよりフリルが多いようだ。頭に着けてあるカチューシャのようなものの色も夏子が黒で麻理が白であった。


「お、井上さん可愛い!」


竜二が感激の声を上げる。すると、夏子の顔がみるみる険しくなっていった。


「陸奥、あんたはどうなの?」


全く関係ないのに夏子の怒りは悟仙に向けられた。悟仙が竜二に非難の目を向けると竜二は申し訳なさそうに苦笑していた。

それにしてもこの質問に答えることは強制なんだろうか。そうではないなら「関係ない」と言えるのだが……


「あの、どうでしょうか?」


麻理が恐る恐るこちらを見て聞いてくる。そして、その後ろにいる夏子の眼光は鋭い。得てして力関係が上の者からの言葉という者は強制力を持っているものなのでここは素直に答えたほうがいいだろう。麻理の目の真剣さに気圧されたこともあるが。


「ああ、ちゃんとメイドに見えるぞ」


悟仙が思ったことをそのまま口にすると、竜二と夏子は呆れたようにため息をついていたが、麻理は嬉しそうに笑っていた。


「そうですか!?私は自分で何となくしっくりこなかったので良かったです。ちゃんとメイドさんに見えてるんですね」


夏子は麻理の言葉にさらにもう一度ため息を吐いた。


「まあ、麻理がそう思うならもういいわ」


「悟仙も下心隠すのに必死なんだよな?」


「それは竜ちゃんもでしょ?」


「は!?そんな訳ねえだろ!」


そんな二人の会話を聞き流して悟仙は教室から出るために出口に足を向けた。もう少しで客が入る時間になるためもあるが、もうこの教室の匂いに耐えられそうになかった。

教室から出て教室の中よりはいくらかおいしい空気を吸っているとドアが開きメイド姿の麻理が出てきた。


「あの、陸奥くん」


「井上か、どうした?」


麻理が側に来ては何のために教室から出たのか分からないと文句を言おうとしたが、不思議なことに麻理の甘い香りは香水ではないのか全く苦にならなかった。


「いえ、特にこれといった用はないのですが……」


「意味が分からんのだが」


そう言いながら二日間座っていた受付の席に座る。すると、麻理は昨日麻理と夏子二人で受付をしていたため置かれていたもう一つの椅子に腰掛けてこちらに顔を近づけてきた。


「陸奥くん……」


「だから何だ?」


悟仙が大きく上半身だけで後ずさって言う。しかし、麻理はそれを気にすることなくその大きな目でまじまじと見つめてきた。


「何だと言われると特に何もありません。ですけど……何かが気にかかるんです」


「だからそれは」


ズボンのポケットの中でスマホが振動したため、何だとは続けられなかった。

手に取ると振動が止まったためメールを受信したらしい。着信相手を見ると先日アドレスを交換した茜だった。それを見て悟仙は意図せず眉がぴくりと動いた。

悟仙の変化に気づいたのか、麻理が顔をのぞき込んできた。しかし、その表情は先程の観察するようなものではなく柔らかい微笑みだった。


「陸奥くん、名前、もう一度呼びましょうか?」


悟仙は麻理の表情を見て気付かぬうちに頷いてしまった。


「あっ」


「では……」


悟仙が制止する暇もなく麻理は口を開く。


「悟仙くん」


にっこりと微笑む麻理を見て悟仙の中にあった疑いが確信に変わりつつあった。そしてそれは悟仙がこのお嬢様に大きな借りができたことを意味していた。


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