第五十六話
文化祭二日目、悟仙は昨日と同様に教室の入口近くに陣取り受付兼文芸部の文集の店番をしていた。
悟仙がしていることは昨日と殆ど変わらないが、教室の中の様子は随分変わっている。昨日はお化け屋敷だったため中は静かで外観も不気味なものだったが、今日は男子がウエイターを勤める喫茶店であるため中は活気づいており外観も明るいものになっている。
よくもまあここまでやるものだと素直に感心してしまう。昨日、文化祭一日目が終了してからは大忙しだった。何せ他のクラスが何日もかけてすることをたったの数時間でしなければならない。しかし、悟仙のクラスメイト達が優秀なのか、教室は見事に様変わりしている。
「まあ、あれをもう一回しないといけないと思うとうんざりするがな」
頬杖をついてぼそりと呟く。悟仙の声が誰かに届くことはきっとない。
今、悟仙のいる教室の入口からは昨日よりも多くの人が並んでおり中からは騒がしい声が聞こえる。昨日のお化け屋敷を遙かに上回る盛況ぶりだった。
背中から聞こえる女子生徒の黄色い声を聞き流しながら机の上に積まれた文集に目を向ける。喫茶店の人気に比例してこちらも多く売れると思ったが、売り上げは昨日とさほど変わらない。喫茶店が余りに人気があるため文集に目がいかないのだろう。それでももう少しで全体の三分の二が売れているため、不人気という訳ではない。
初めは教室の騒がしさを不快に感じていたが、慣れるもので今は心地よささえ感心してしまう。瞼が重くなり、悟仙が意識が遠のいていくのを感じていると頭の上から声が聞こえた。
「やあ少年、こんな所で居眠りとは流石ね」
悟仙にこのようなことを言うのは悟仙の知る限り二人いるが、そのうちの一人は昨日の夜浴びるように飲んだ酒が原因で今日は寝込んでいるはずのため容易に相手が分かった。
そして、悟仙はその人とできれば会いたくなかった。
「こんにちは、律子さん。こんな所だからこそ寝られるんですよ。僕が寝てても誰も気付かないですからね」
悟仙が顔を上げると案の定律子の高校生の娘がいるとは思えない若々しい顔があった。今はその顔を納得したように上下に振っている。
「気付かれなければ咎められることもないってことね。とっさに考えた言い訳にしては上手いわね」
「お褒めいただき光栄です。ところで、今日はどうしたんですか?文集なら三百円ですけど」
悟仙の言い訳があっさりとバレたため早急に本題に入るように促す。律子はそれ以上悟仙の居眠りに関しては何も言ってこなかった。
「文集を買いに来るついでに麻理の顔でも見ようかなって思ってたんだけど、今はいないみたいね」
「今教室内は客以外は女人禁制ですからね、あいつはいませんよ」
悟仙がちらりと教室に目を向けて言うと、律子も教室を一瞥してから頷いた。
「そうみたいね。それじゃあもう一つの用件を済ませるとするわ」
律子はそう言うと、ひょっと横に移動した。悟仙が律子の動きを不思議に思っていると、律子が先程いた場所に小さな少女が歩み出てきた。
悟仙はすぐにそれが誰であるのか分かり、同時にばつの悪さを感じる。
「むっちゃんのばか!どうしてあいにこなかったの!?やくそくしたのに!」
律子の隣に出てきたのは麻理の妹である由衣だった。これでもかというほど頬を膨らませている。
「いや、すまん。色々忙しくてな」
由衣の怒りに少し戸惑いながらも謝罪する。麻理が言っていたとおり、由衣はどうやら御立腹のようだ。
そんな由衣を律子がやんわりと窘める。
「こ~ら、そんな事言いに来たわけじゃないでしょ?ごめんね悟仙くん、麻理がちゃんと説明してるからこの子も本当は分かってるのよ」
「はあ、それはどうも」
律子の珍しい低姿勢に悟仙は驚きながらも何とか言葉を返す。
すると、律子は由衣に何やら耳打ちしたあとに由衣の背中をとんっと押す。
律子に押されて一歩前に出た由衣が真剣な表情で言う。
「ゆいはね、きょうむっちゃんとあそびにきたの!」
「は?」
悟仙が由衣の言ったことの意味が分からないでいると律子が補足する。
「つまり、由衣は悟仙くんと文化祭を楽しみたいのよ」
「一緒に色々見て回ればいいのか?」
「うん!」
悟仙の問いに由衣が元気よく頷いた。
「少し遊んであげればこの子も納得するわ。お願いできる?」
「まあ、別に構いませんけど」
またも珍しく申しわけなさそうに頼んでくる律子に了承すると、律子がニヤリと笑った。
「そう、それは良かったわ。じゃあ麻理に店番変わるように電話しとくから」
その余りの変わりように悟仙は律子の真意に気づいた。
あの似合わない態度さえ悟仙に了承させるための布石だったのだろう。
こうして悟仙は姉妹と続けて文化祭を回ることになった。




