第五十五話
「私を守るためってどういう意味?」
律子の言葉に麻理が小首を傾げる。これだけのヒントでは流石に分からないだろう。
「麻理を守るために悟仙くんは犯人探しを止めたのよ。まあ犯人探しっていうかその話題自体を早く収束させたかったんだろうけどね」
「えっと、まだよく分からないんだけど」
困ったように笑う麻理に律子は説明を続ける。
「あんた、道具係の責任者になったとか言ってたわよね?」
律子の確認を込めた質問に麻理が小さく頷く。
「うん、道具係の班長になったって前に話したけど覚えててくれたんだね」
「当たり前でしょ。母親なんだから」
嬉しそうに微笑む麻理を見て律子の頬も自然と緩む。こんな些細なことに喜んでくれる長女を改めてできた娘だと思った。しかし、同時にもう少し甘えて欲しいとも思ってしまう。
そんな事を考えていると、向かいに座る麻理が逸れかけた話を戻す。
「それで、私が班長な事と陸奥くんの行動がどうつながるの?」
律子も思考を切り替えて説明を始める。
「その壊れた仕切りの近くに道具を集めておくことを決めたのは麻理でしょ?」
「うん、一カ所に集めておこうって話になって」
「それが問題だったんでしょうね。悟仙くんにとっては」
「へ?」
驚いて高い声を上げる麻理に律子がさらに続ける。何だか推理小説の探偵になったようで気分がいい。
「その仕切りが誰かの手によって倒されたことで小道具が壊れたんだとしたら、当然その犯人は名乗りでないでしょうね。そんな人ならそもそもそんな事しないわ」
「うん、それは分かる。せっかく誰にも見つからなかったのに、それじゃあ台無しだもんね」
麻理の言葉に一つ頷いて続ける。
「犯人が見つからなかったら、クラスの皆の怒りの矛先はどこに向かうと思う?これはもし自然に仕切りが倒れたんだとしても同じよ」
麻理は顎に手を当て少し考えていたが、不意に顔を上げる。大きな目をさらに大きくしていた。
「もしかして陸奥くんは……」
律子と同じ考えに至ったであろうと思われる麻理の言葉を繋ぐ。
「それを危惧してたんでしょうね。その時、怒りの矛先はそこに道具を置くことにしたあんたに向けられるわ」
麻理が口に手を当てて目を見開き言葉を失う。
律子の予想に過ぎないが、もし当たっているなら悟仙は律子の予想以上に賢いことになる。
もし犯人が見つからなければ、誰かが「ここに道具を集めると言い出したのは誰だ」と言い出すかもしれない。そうなれば、麻理は袋の鼠になりその後の文化祭も楽しめなくなるだろう。これでは何のために家に帰らず放課後に残って準備したのか分からなくなる。
先程まで見開いていた目を伏せ、麻理が口を開いた。
「私を守るために、ではないと思う」
「どうしてそう思うの?」
心なしか声のトーンを落とす麻理に今度は律子が聞いた。
「お母さんには言ってなかったけど、陸奥くんは道具係の副班長なの」
「えっ、そうなの?」
「うん、私が無理にお願いしたんだけど」
「じゃあ……」
律子の考えと同じ事を麻理が口にする。
「陸奥くんは私じゃなくて、自分のために犯人探しを止めたんだと思う。よく考えたら、私はそこまで陸奥くんに好かれてないしね」
麻理が泣き笑いのような表情をする。確かに悟仙が副班長なら、悟仙にも怒りの矛先が向かうことになるだろう。律子が何と言っていいか分からずに悩んでいると、空席だったはずの隣の席から低い声が聞こえた。
「それを建前にお前を助けんじゃないか?」
いつの間にか隣に座っていたのは夫の和利だった。どうやら仕事から帰ってきていたようだ。
「あらおかえりなさい、どこから聞いてたの?」
「お前が『麻理を守るため』とか言いだしたときからだ。声をかけたんだが、やはり聞こえなかったようだな」
「そうなの?麻理は気付いてた?」
麻理に目を向けると麻理は首を振った後、申しわけなさそうな顔をする。
「ううん、気付かなかった。ごめんね、お父さん」
「気にするな。やけに楽しそうに話してたからな、しょうがない。俺に気付いてくれたのは由衣だけだ」
そう言ってこれまたいつの間にか和利の膝の上に座っていた次女の頭を和利が優しく撫でる。少し声が悲しそうだった。
和利は二メートル近くあるプロレスラーのような体格に鋭い目つきをして強面であるため、よく亭主関白だと思われがちだが、そうではない。いつも寡黙で律子や娘二人に何か言うことは殆どない。麻理を共学の高校に通わせようと言ったときには珍しく反論してきたが、律子と意見が衝突したのはその時が初めてだった。
「それで、建前ってどういこと?」
麻理が真剣な表情で聞く。和利は麻理の顔を見て戸惑いと怒りが混ざったような表情になるが、腕組みをして口を開いた。
「お前が守られたことに気付いたときに自分のためにやったと言うんだ。ふんっ、つまらん男が考えそうなことだ」
「それはどうでしょうね?」
忌々しげに和利が言うが、悟仙なら本当に自分のためにやったと思えてしまう。
「まあ何にしても、そいつは死刑だな」
益々興味が湧いてきた少年のことを考えていたため、和利がぼそりと呟いたことに律子は気付かなかった。




