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第四十八話

翌日の放課後、悟仙は騒がしい教室の床に座り、ダンボールをせっせと赤色に塗っていた。何の為なのかというと、勿論文化祭の為だ。しかし、何故悟仙がこんなに精力的に働いているのかというと、文化祭の為という訳ではない。

悟仙の提案によって一気に忙しくなった悟仙のクラスだが、その打開策として放課後に残れる者は残って作業することになった。悟仙は勿論残る気は毛頭なかったが、人生そんなに上手くはいかないもので現に悟仙はこうしてダンボールの色を変えるという退屈な作業をこなしている。

しかし、それは忙しいクラスを微力ながら支えたいなどの紳士的なものではない。


「あ、陸奥くんそこは黒に塗って下さいね」


悟仙が嫌々ながら作業している理由は隣で悟仙に指示を出すこのお嬢様にあった。


「何で俺がこんな事を……」


「またそれですか。もう諦めて下さい。三日間に三つのお店をやると言ったのは陸奥くんですよ?その陸奥くんが残らないと皆さんのやる気が下がってしまいます」


悟仙が今日何度めかのため息を吐くと、麻理が子供を諭すように言ってきた。

悟仙のクラスは効率良く作業を進めるためにそれぞれの店に均等に人員を割き、いくつかの役職を設けた。麻理はクラスメイト達からの推薦もありそのうちの一つである『お化け屋敷・道具係班長』という役職に就いた。

それが悟仙の不運の始まりで、麻理は決まると同時に「では、副班長をお願いしますね。陸奥くん」といつも通りの柔らかな笑顔で言ってきた。悟仙は当然断ろうとしたのだが、先程言われたように「陸奥くんが言い出したことですから」と麻理に言われて悟仙は劣勢に立たされ、とうとう押し切られてしまった。


「副班長なんてやるんじゃなかった」


「それはもう何度も聞きました。もう少しで時間ですから、あと少し頑張りましょう」


時計に目をやると、作業終了時刻まであと五分ほどだった。


「お前、楽しそうだな」


「はい、楽しいですよ。皆で力を合わせて何かを作り上げるって素敵なことだと思いませんか?」


「思わん」


恍惚とした表情の麻理にそう言ってやると、麻理が呆れたようにため息を吐いた。


「陸奥くんならそう言うと思いました」


そう思うなら副班長なんぞに任命するなと言いたかったが、少し離れた所から声がしたので言えなかった。


「麻理ちゃーん、ちょっとそこにあるガムテープ投げてくれない?」


名の知らない生徒から声をかけられ、麻理は行儀良く正座したままの姿勢で辺りを見回すが、麻理より早く悟仙が先に見つけたため渡してやる。


「ん」


「あっ、そこにあったんですね。ありがとうございます」


麻理がそれを両手で受け取り、立ち上がって声をかけてきた生徒の所まで持って行く。言われたとおりに投げなかったのは育てられ方が良かったからなのだろうか。

そこで、つい麻理の母である律子の顔を思い出し、思わず顔をしかめてしまう。夏休みに麻理の年の離れた妹である由衣に「また今度来る」と言って以来、まだ一度も麻理の家に行っていない。由衣に会うのはやぶさかではないが、出来れば律子とは会いたくなかった。あの時は悟仙に会うために律子が早めに帰って来る事を予期できたことに満足していたが、よく考えると由衣との約束のせいでまた律子に会う可能性ができてしまった。


「そこまで計算に入れてたんじゃないだろうな」


そこまで考えていたなら、悟仙はまんまと律子の策略に嵌まったことになる。

悟仙が律子に対して恐怖にも似た感情を抱いていると、背中に声がかけられた。


「おい悟仙、お前まだあんな女とつるんでんのか?」


「つるむと言うのが仲良くするという意味なら、俺はあいつとつるんでる訳じゃない」


確認するまでもなく、声は宮田のものだった。振り向くことなく言うと、皮肉が返ってきた。


「お前がそう思っていても、麻理ちゃんは違うかもな」


「それは俺には関係ない」


「へっ、そうかよ」


宮田が吐き捨てるように言う。悟仙の答えが意に添わなかったのかもしれない。

しかし、宮田は確か麻理に好意を抱いていたようだが、「あの女」呼ばわりするとは余程夏休みでの件が効いているのかもしれない。


「言っておくけどな、俺はお前の口添えで麻理ちゃんが演技していたことくらい気付いているからな」


「ほう」


思わず感心してしまう。あの現場を見ていた竜二が言うにはあの時宮田は相当取り乱していたようだが、後で気付いたのかもしれない。


「それでもな、あの女が恐ろしいことには変わりない」


悟仙が目だけ宮田に向け、続きを促す。


「よく考えてみろ。あの時お前が暴行されている動画を俺は麻理ちゃんに見せた。でも麻理ちゃんが動揺したのは少しの間だけだったよ。その後すぐに演技を始めた。ああ見えて強かなんだよ。あの女は」


「そうか」


悟仙はそれだけ言うと、また作業に戻った。


「だからな、これからは少し趣向を変えてみることにしたよ」


最後にそう言うと、宮田の気配は消えた。

確かに、宮田の言うとおり麻理はおっとりした雰囲気に反してなかなかぶれない所がある。だから強かである事は事実だろう。しかし、宮田は知らないかもしれないが、あの日悟仙と会った時、麻理は目を腫らして泣いていたこともまた事実だ。


そんな事を考えていると、いつの間にか隣に座っていた麻理が顔をのぞき込んできた。麻理の甘い香りが鼻をくすぐる。


「どうかしましたか?ぼーとしてますけど」


麻理の大きな瞳が目の前にあることに気付き、悟仙は少し後ずさる。


「何でもない」


「確かに、陸奥くんはいつもぼーとしてますからね」


麻理がくすりと笑って言う。


「ほっとけ」


悟仙はそれだけ言った後、「それにしても」と付け加えた。


「お前は本当に面倒くさい奴に目を付けられたものだな」


麻理がふわりとしたボブカットを揺らして小首を傾げる。


「それは誰ですか?」


「分からないならいい」


「そう言われると少し気になるんですけど」


麻理はそう言いながらも道具を片づけ帰る準備をしている。


「今日もまた撮影会か?」


悟仙が話を逸らす意味も込めて聞くと、麻理が顔を赤くして俯いた。


「はい、なかなかいい写真が撮れないようで」


この姿を見ても、宮田はまだ麻理が強かな女だと言うのだろうか。







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