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三十九話

悟仙がトートバックの中からあらかじめ入れておいた文庫本を取り出した。その半ばに挟んでいたおいた栞を取っていると、悟仙が座るソファの向かいの座布団に座ってテーブルについていた麻理が声をかけてきた。


「陸奥くんはもう課題は終わりましたか?」


課題というのは夏休みに出された課題の事だろう。悟仙と麻理が通っている高校は進学校であるため課題の量もそれなりに多い。悟仙は毎日こつこつとやっているが、計画性のない竜二のような輩は最終日に泣く羽目になるだろう。


「ああ、もう殆ど終わった」


栞を挟んでいたページより少し前を読んで前回のおさらいをしていると麻理が驚きの声を上げる。


「そうなんですか?何だか意外です」


怠け者だと思われていたことに少々むっとする。


「心外だな。俺は頑張り屋という訳ではないが、怠惰だという訳ではない」


あくまで自分の中でだが、と心の中で付け加えておく。悟仙がそう思っていても麻理は悟仙の事を怠惰だと思っているかもしれない。麻理のような勉学に優れた人から見たら誰でも怠惰に見えそうだが、悟仙は麻理にどう思われようが気にしない。悟仙には関係ない事だからだ。


「いえ、そういう事では無くてですね、陸奥くんはてっきり課題なんてしなくても関係ないと言うかと思ったんです」


どうやら麻理は悟仙が怠惰云々ではなくそもそも課題をしないと思っていたらしい。確かにいつも関係ないと言っているのでそう思われても仕方がない。

しかし


「あのな、言っておくが俺は何でもかんでも関係ある無いだけで行動している訳ではないぞ」


「そうかもしれませんが、夏休みの課題は関係ないですよね?」


「見解の相違だな。夏休みの課題は俺に関係ある」


「どうしてですか?」


小首を傾げる麻理に悟仙はどう言えばいいのか考える。できれば話したくない事だが、話さないと麻理は納得しないだろう。


「中学の時に課題を全くしなかった事があってな、それを伝えたらどの教師にも怒られた。それも関係ないと思えばそんなに堪えるものでもなかったんだがな教師という生き物はしつこいみたいで始業式から毎日課題の催促をされたんだ」


「それは当然の事だと思います。その先生を悪く言ってはいけません」


「別に悪くは言ってないだろ」


屹然として言う麻理にそう返すと麻理が口に手を当てた。


「そうでした。すみません」


「しっかりしてくれ」


このお嬢様は普段落ち着いているが偶に抜けている所がある。それにはもう慣れているので構わず続ける。


「それで、新学期から毎日教師に追いかけられるくらいなら夏休みに毎日課題に取り組んだ方がよほど楽なことに気付いたんだ。だから夏休みの課題はする」


そう言って締めくくると向かいに座る麻理は嬉しそうにくすくすと笑っていた。


「何か可笑しかったか?」


麻理が他人の不幸話を笑うとは意外だった。麻理なら同情して涙を流すようなタイプだと思っていた。


「いえ、その、少し嬉しかったんです。陸奥くんは自分の話をしてくれないので」


「そんな事か」


そう言ってこれまで麻理とした会話を思い返す。確かに麻理にそういった話をしたことがない気がする。よく考えると誰にもしたことがないかもしれない。


「今回はこの事を言わないとお前が納得しそうになかったからな。仕方なく言ったんだ」


少しばつが悪くなって目を逸らして言うが、麻理はまだ笑っていた。


「そんなに笑っている暇があったらお前も課題をしろ」


テーブルに置かれてある問題集に目を向けて言うとようやく麻理の笑いが収まる。


「そうですね。私はこれをあと二ページすれば終わりですから早く片付ける事にします」


麻理はそう言うと大きな目を伏せてシャープペンシルを手に取った。悟仙もようやく解放されたと思い、活字に目を戻すが、また麻理に声をかけられた。


「ところで、陸奥くんはどの課題が残ってるんですか?」


悟仙は短く答える。


「読書感想文だ」






その後、悟仙が本を読み終わる頃には外は薄暗くなっていた。大きく伸びをして固まった筋肉を解していると廊下からパタパタと軽い足音が聞こえる。テーブルについていた麻理がいないのでおそらく麻理だろう。

予想通りドアを開けて麻理が出てくる。麻理は悟仙と目が合うとにこりと笑う。しかし、悟仙は笑顔になる前の表情が気になった。


「由衣はもう大丈夫そうです」


「そうか」


穏やかに笑って麻理が言うが、まだ表情が晴れていないように見える。麻理の顔をよく見ると目の下に隈があった。寝不足なのかもしれない。だからといって悟仙が何かできるというわけではない。できることといったら余計な気を遣わせないように早々に帰る事くらいだ。


「暗くなってきたから俺はもう帰ることにする」


そう言って文庫本をバックにしまいリビングを出て玄関に行く。丁寧に揃えられた靴を履いているとついてきていた麻理が頭を下げた。


「今日はありがとうございました」


「俺は何もやっていない」


謙遜ではない。悟仙は本当に何もやってない。そもそも悟仙は誰かを看病したことがないため、大して力になれるはずもない。律子に何をされるか分からないが、明日ここには来ない方がいいだろう。


そんな事を考えながら玄関のドアに手をかけたところでポケットに入っているスマホが震えた。手にとって着信相手を見ると律子の番号だった。この見透かしたようなタイミング、律子はエスパーなのかと思ってしまった。嫌な予感を抱えながらも電話に出ると律子は相変わらずの明るい声だった。


「やあ悟仙くん、元気?」


「はあ、特に体調が悪いことはありませんけど」


「そう、良かったわ。悟仙くんもしかして今から帰ろうとしてた?それはダメよ」


「どうしてですか?」


律子のいつも通りの要領を得ない物言いに問うとあっけらかんとした口調で律子が言う。


「由衣はいつも夜中に熱が出るのよ」


「そうなんですか、それで僕に…………」


どうしろというんですか、とは言えなかった。そんなの聞かなくても分かることだ。


「律子さん、まさか…………」


自分の母親の名前が出たことで麻理が不思議そうに顔を覗き込んでくるが、悟仙は構ってられなかった。

それは律子が次に言うことが予想できたからだ。


「悟仙くん、君には今日と明日私の家に泊まってもらうわ」


声高に宣言する律子に悟仙は珍しく慌てた。


「ちょっと律子さん、あなた何言ってるか分かってるんですか?」


「分かってるわよ」


対する律子はいたって冷静だった。


「分かってませんよ。娘二人がいる家に男を泊めるなんて何かあったら」


「あら、何があるの?」


「っ!」


悪戯っぽく言う律子に悟仙は声が詰まる。ここで開き直られたら何も言えない。だから別のことを言う。


「それに、僕は看病なんてしたことないんですよ」


「そんなの最初は誰だってそうじゃない?悟仙くんはただ麻理の側にいてくれればいいのよ」


「だからって………」


律子の後半の言葉にはどこか懇願にも似た響きがあり、反論できなかった。そしてあの日学校の中庭で感じたものと同じものを感じてしまった。

悟仙が答えあぐねていると、律子が「それに」と言って付け加えた。そしてこれが止めになる。


「私、お姉さんの電話番号も知ってるから」


「最悪だ」


律子と姉の葉子のダブルパンチでは流石に悟仙も恐ろしい。精神的にも身体的にも打ちのめられそうだ。


「分かりましたよ」


溜め息混じりに悟仙が了承すると葉子の声は殊更に明るくなった。


「本当に!?じゃあよろしくね~。既成事実を作ってもいいのよ?」


最後の方は聞かなかったことにして悟仙は電話を切った。そして改めて溜め息を吐いていると、悟仙が余程深刻な顔をしていたのか、麻理が不安な表情で聞いてきた。


「どうかしたんですか?」


何となくばつが悪くなり頭を掻きながら歯切れ悪く言う。


「あー、今日と明日ここに泊まることになった」

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