第二十五話
竜二の家に買い物から帰ってきて暫く経ち、悟仙は食卓に並べられたら今日の昼食を見ていた。
「無駄に豪華だな」
悟仙がポツリと漏らすと麻理がすかさず反論した。
「無駄にとはどういう意味ですか?ちょっと作りすぎたかもしれませんけど」
「ちょっとじゃないだろ」
悟仙は改めてさっきまで勉強していたテーブルに並べられた数多くのおかずやおにぎりを見た。四人で食べるには明らかに多すぎである。
「まあまあ、そう言うなって。残っても今日の俺の晩飯になるだけだし」
肩をたたかれながら竜二に言われ、それもそうかと納得する。
「それに、陸奥。文句言うのは味を確かめてから言いなさい」
夏子が自信満々に言ってくる。余程の自信作のようだ。悟仙が見ていた限りでは、ほとんど麻理が作っていたように思えたが、違うのだろうか。
「それじゃ、食べましょうか」
エプロン姿のまま手をたたいて言う麻理の声を合図に皆が先程まで勉強していたいすに座り、「いただきます」と言って箸をとる。そして最初に竜二が一口食べた。
「うお!?旨いぞこれ!」
口いっぱいに頬張り興奮した声を出している竜二を横目に悟仙も箸を伸ばし近くにあったきんぴらを一口食べた。うん。意外とうまい。すると、対面に座る麻理が顔をのぞき込んできた。
「どうですか?」
「うん、普通にうまいな」
悟仙が正直に言うと麻理はほっとした表情をしたあと、嬉しそうに笑った。
「良かったです。少し不安でしたから」
「不安な物を食べさせるな」
悟仙が辟易として言うと、麻理は顔の前で手を振った。
「いえ、自信が無かった訳ではないんです。ただ、私の家の味が陸奥くんの口に合うか不安だったんです」
「それなら、最初からそう言ってくれ。心臓に悪いだろ」
「そうですね。すみませんでした」
しかし、どうして悟仙の口に合うか不安なのだろうか?普通は麻理以外の口に合うのか不安になるはずだ。悟仙は少し不思議に思ったが、麻理自身あまり意識して言っていないようなので聞かなかった。
その後、黙々と四人で昼食を食べ進め竜二の大きな働きもあって、ほとんど食べ終えた。
ちなみに、麻理の作ったエビフライは非常においしかった。
そして、勉強会を再開して日が沈みだした頃に勉強会はお開きとなった。
悟仙と麻理が玄関を出るのを竜二ともう少し残ると言う夏子に見送られて外に出ると、買い物に出た時とは違ってそこまで暑さを感じなかった。それならと思い隣を歩く麻理に悟仙が声を掛けた。
「井上もあのスーパーに来てるってことは俺の家と近いのか?」
悟仙が聞くと麻理が夕陽に照らされている顔を縦に振った。
「はい。陸奥くんの家から私の家まで歩いて十分ぐらいで着いたので、近いと思います」
そう言うと、麻理はクスリと笑った。
「あんなに近いのに、今まで知らなかったなんて不思議です。私はずっと今の家に住んでますか、陸奥くんはいつからあのマンションに住んでるんですか?」
麻理にそう言われて少し考えてから答える。
「俺は、何年か前だな。いまいち良く覚えていない」
「そうですか、それなのに一度も会わないなんて不思議ですね」
「どこかで会ってたかもしれないだろ?お互い気付かないうちに」
悟仙が言うと、麻理は静かに首を振って肩に届かない黒髪を揺らした。
「いいえ、私は高校に入学するまで一度も陸奥くんに会ってません」
「どうしてそう言い切れる?」
疑いもなく言う麻理に問うと、麻理は立ち止まってはっきりとした声で言った。
「陸奥くんほど変わってる人なら一目見ただけでも覚えているものです」
麻理の言葉に悟仙は首を傾げた。はて、こいつは何を言っている?
「俺はそこまで変わっていないように思うが違うのか?」
「はい、他の人はよくわかりませんが、私は陸奥くんはとても変わっている人に見えます」
「どこがだ?見た目はそんなに変わってないと思うが」
悟仙は自分のことをたいして特徴のない人間だと思っていたし、周りからもそう思われていると感じていたが、麻理は違うようだ。
「見た目ではありません。何というか、陸奥くんの雰囲気のようなものが私には変わっていると感じます」
「はぁ、そうか」
あやふやに答える麻理に悟仙は気の抜けた声を出して、麻理が立ち止まっていた為止まってしまっていた足を動かす。まあ、人の感覚など人それぞれだから麻理には悟仙が違って見えるのだろう。悟仙から見れば麻理の方が変わり者に見える。普段は落ち着いているが、悟仙が「関係ない」と言って麻理を遠ざけようとすると烈火のごとくまくし立て、食いついてくる。こんな奴悟仙は今まで見たことがない。
そんな事を考えながら暫く二人で歩いていると交差点に見えてきて、そこまで行くと麻理が立ち止まってこちらを見た。
「私はあっちなのでここでお別れですね」
悟仙の家の方向とは逆の方向を指し示して言う麻理を見て、悟仙は先程言いそびれていた事を思い出す。
「それなら、近くまで送る」
「えっと、いいんですか?」
戸惑っている麻理に悟仙が加えて言う。
「ああ、安心しろ。この前の貸しをこれでチャラにするつもりはない。俺が勝手にするだけだ。ここで送らないと何だかまた貸しができたような気がしてな」
「あの、そういう意味じゃなくてですね」
尚も戸惑っている麻理に悟仙は首を傾げるが、一つまだ言ってない事に気付いた。
「それと、家の近くまでしか行かないから井上の家が俺に知られる事もない。安心しろ。ああ、それならさっき俺の家と近いか聞いたのはまずかったな。すまん」
「ちっ違います!そういうことがじゃありません!」
「じゃあ、どういう意味なんだ?」
悟仙は思い付く限りの事を言ったつもりだ。いったい麻理は何を戸惑っているのだろうか?
「あのですね、私が言いたいのは、陸奥くんが私を心配してくれてるのかという事です」
正確には悟仙は麻理の事を心配していない。まだ空は明るいため何かよからぬ事が起きることは無いだろう。悟仙はただこれ以上麻理に借りを作りたくなかっただけだ。しかし、改めて考えるとそういう気が無いとと言えは嘘になるかもしれない。これまで誰かを送った事などないためよくわらからないが。
「まあ、そうだな。そういう気もなくはない」
悟仙が正直に言うと麻理はくるりと回り、こちらに背を向けると足早に歩き出した。
「そ、そうですか。それではお言葉に甘えて送ってもらいます」
悟仙が追いつき、二人並んで歩くと麻理は矢継ぎ早に話しかけてきた。
「陸奥くん、明日も勉強会しますか?」
「いや、目的は達成されたからな。もういいだろう」
「目的ってなんですか?」
「目的は目的だ。お前には」
「関係ないですか?そうですね。今はそれどころではないので、言及しません」
「そうか、助かる」
「今日のエビフライはどうでしたか?」
「ああ、なかなかに美味しかったな」
「そうですか。良かったです。はぁはぁ、えっとですね」
「少し休め」
あまりにも勢い良く話したため、息が切れてきた麻理にそう言ってやると、麻理は立ち止まって深呼吸を始めた。
「俺は別に無言で歩いていても退屈は感じない。さっきまでお前もたいして話してなかっただろ?急にどうした?」
ようやく落ち着いてきた麻理に聞くと、麻理はいつも通りの落ち着いた様子で答えた。
「私もよく分かりません。私だって無言でいても退屈に感じることはありませんから」
「そうか。まあ、よくわからない事もあるだろう」
悟仙が言うと麻理は頷き、進行方向をちらりと見た後こちらを見た。
「あの、もうここで大丈夫です。ありがとうございました」
「そうか、じゃあな」
そう言って悟仙が来た道を戻ろうとすると、後ろから声をかけられた。
「あの、今日は楽しかったです」
「そうか」
悟仙がそう返しても麻理はなかなか帰ろうとしなかった。その事に首を傾げながらも、視界に入ってきた夕陽を見て、一つ思い出したことがあった。
「そういえば、最近宮田とはどうしてるんだ?」
悟仙が言うと、麻理は顎に手を当てて考える仕草をした。それにしても、本当にこうやって考えている奴を悟仙は始めて見た。
「そうですね。以前のように話し掛けて来ますけど、あくまで友人としてですね。それに、何か隠してるようにも思えません」
「井上、お前は意外と勇気あるんだな」
あんな事があった後なのによく懲りもせず話せるものだ。悟仙がそう思って言うと、麻理は困ったように笑った。
「私から話し掛けることはありませんけど、声を掛けられて無視する訳にはいきませんから」
どうやら一方通行のコミュニケーションらしい。
悟仙がそう考えていると、麻理が加えて言う。
「それに、何かあっても陸奥くんを頼ればいいですし」
「あのな」
悟仙が何か言おうとしたが、麻理が余りにも嬉しそうに笑うので何も言えなかった。それに、麻理は今まで宮田の相手をしており、何でもかんでも悟仙を頼っている訳ではない。訳の分からない悩みを打ち明けてくることはあるが。
「まあ、いい。俺は何かが起きないように祈っておくよ。関係ないとも言えないしな」
「はい、何か起きた時はお願いしますね」
そう言って夕陽に照らされながら笑う麻理が、あの時中庭での光景と重なって見えた。それと同時にあの時麻理の笑顔を見て何故か感じた安らぎにも似た感覚を思い出し、一つ気付いた事があった。
麻理のあのどこまでも優しく、全てを包み込むような笑みはどこか『あの人』に似ている。だからそこに安らぎを感じてしまうのだろう。しかし、それと同時に不安も押し寄せてくる。
「もし」
「はい?」
「もし、俺が井上の期待に答えられなかったらどうする?」
だからだろうか?悟仙は意図せずそう聞いてしまった。
悟仙には珍しく不安を感じて麻理の答えを待っていると、麻理は少し離れていた悟仙との距離を一歩縮めてにっこりと笑った。
「私は陸奥くんに何も期待してませんよ?」
「なっ!?それなら、どうして俺を頼るんだ?」
悟仙が思わず大声をだすが、麻理は怯まずに続けた。
「私は陸奥くんに頼らせてもらうだけでいいんです」
「じゃあ、俺じゃなくてもいいんじゃないか?」
悟仙が疑問思って言う。頼るだけでいいなら誰でもいいんじゃないか?
「いいえ。確かに誰かに頼ることはあると思います。でも、最後の最後に頼るのはきっと陸奥くんです」
「何で俺なんだ?」
聞くと麻理は首を傾げた。
「何でと言われても、私には分かりません」
麻理の言葉を聞いて、悟仙はうなだれてしまった。
全く意味が分からない。
しかし、麻理は相変わらずにっこりと笑っていた。
その後、麻理と別れて家路についたがどのようにして家に帰ったか思い出せなかった。
悟仙は自室のベッドに寝転がり、先程のことを思い出し、ぽつりとこぼした。
「何か、あいつには敵わないかもしれないな」
悟仙は今まで積み上げてきたものが、自分の根底にあるものが、あのおっとりとしたお嬢様に脅かされている気がした。




