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第二十一話

宮田の告白から二十日ほど過ぎた六月の中旬、梅雨に入り厚い雲に太陽が隠され、小雨が降る薄暗い外の景色を悟仙は文芸部の部室の窓際の席からぼんやりと眺めていた。


「まったく、こんなにジメジメしてたら何かやる気出ないわよね~。髪もきまらないし」


左前に座る夏子が前髪の毛先をいじりながら辟易としたように言う。

すると向かいに座る麻理が苦笑いを浮かべた。


「確かにそうだよね。何か訳もなく溜め息が出たりするもんね」


言われた夏子は麻理にじっとりとした目を向けた。


「でも、麻理は髪型崩れないわよね。いつもふわふわしてていいな~」


「そっそんなことないよ。毎朝私だって大変なんだよ」


麻理は両手で肩に届かない黒髪を押さえながら言った。しかし、夏子は麻理の言葉を信じていないのか相変わらずじっとりとした目を麻理に向けている。麻理はそれに耐えきれなくなったのか悟仙に目を向けてきた。


「陸奥くんは髪型決まりますか?」


「髪型なんて気にしたことがないな」


悟仙が仏頂面で言うと夏子がニヤリと笑った。


「麻理、こいつに髪型の事なんて聞いても意味ないわよ。こいつがそんな事気にする訳ないでしょ?」


すると、麻理がこちらを大きな目をまん丸にしてまじまじと見てきた。


「そいつの言うとおりだ」


悟仙が麻理から目をそらして言うと麻理は不思議そうに首を傾げた。


「男の子は皆そうなんですか?」


「俺に聞くな」


悟仙は世間一般の男子生徒の髪型など知らないためそう言うと、麻理が抗議の声を上げた。


「陸奥くん、悩みは何でも聞いてくれるって言ったじゃないですか!?」


「拡大解釈するな。俺は勝手に話していいと言ったんだ。それに、今のは悩みでも何でもないだろ。ただの疑問だ」


麻理はその白い頬を膨らませてさらに抗議を続けた。


「私が悩みだと思ったらそれは悩みなんです!それに、今まで私の悩みを打ち明けてもちゃんと聞いてくれなかったじゃないですか!?」


「本当にちゃんとした悩みだと思っているのか?」


悟仙が麻理のこれまでの悩みを振り返って言う。

麻理は宮田との一件以来、毎日のように悩みを打ち明けてきた。しかし、ほとんどは麻理が一日にあった事を嬉しそうに話すだけで悩みとは言えないものばかりだった。


「む、むぅ~」


麻理もそれを分かっているのか、頬を膨らませるだけで何も言って来なかった。


すると、部室のドアが開かれ今日も数学の追試になっていた竜二が入ってきた。


「やっと追試が終わったぜ。長かったー」


竜二ののんびりとした調子の声に夏子が素早く反応した。


「竜ちゃん!毎回追試になって、ちゃんと勉強しなさい!」


竜二は夏子の勢いに押されて後ずさる。


「わ、分かったよ。次はちゃんと勉強するよ」


夏子は竜二が反省してないと感じたらしく、尚も竜二を言及する。


「分かってないわ!次追試になったら、おばさんにあること無いこと言うからね」


「なっなんじゃそりゃ!?」


竜二の悲鳴にも似た声をよそに麻理が顔を近付けてきた。シャンプーではない麻理特有の甘い香りが悟仙の鼻をくすぐる。悟仙は香水などの香りは嫌いだが、この香りは嫌いではなかった。


そんな事を知る由もない麻理はさらに顔を近付け、悟仙の耳元に口を寄せた。


「おばさんというのは、加藤くんのお母さんのことですか?」


「そうだろうな」


悟仙が麻理から少し距離を取って言うと、麻理は未だに言い合いを続ける二人に微笑んだ。


「良いですよね。そういうの。私にはそういった間柄の人がいないのでちょっと憧れちゃいます」


「そうか?近しい関係というのも考えものだと思うがな」


「どうしてそう思うんですか?」


悟仙は麻理が最近よくこうやって、度々悟仙に質問してくると感じた。

しかし、決して深くは踏み込んでこないため、不快感は感じない。悟仙が「お前には関係ないだろ」と言えば麻理は潔く引き下がるからだ。


「いくら相手と親しくても、知られたくない事だってあるはずだろ?まぁ、俺にもそういう奴がいないから分からないがな」


「確かに、そうかもしれませんね。でも、全てを知られてもいいと誰かに思えたなら、素晴らしい事だと思いませんか?」


麻理の言葉も間違ってはいないと感じるが、残念ながら悟仙は誰にも全てを知られてもいいなどこの先思ったりしないだろう。


悟仙が麻理の問いに答えずに窓の外に目を向けると先ほどから降っている雨が少し強くなっていた。

悟仙が雨がこれ以上強くなる前に帰ろうと思い、愛用しているトートバックを肩に掛けて立ち上がると麻理が見上げてきた。


「帰ってしまうんですか?」


「ああ、これ以上降られたら面倒だからな」


悟仙がドアに向けて歩き出すと竜二が慌てて追いかけてきた。


「待てって!俺も帰るからさ!」


大方、夏子から逃げるのに良い口実が見つかったとでも思ったのだろうと思い悟仙が構わず足を進めると再び麻理が後ろから声を掛けてきた。


「あっ!あの!」


「何だ?」


悟仙が振り返って言うと、麻理がにっこりと笑った。


「また、明日ですね。さようなら」


悟仙は丁寧に頭を下げる麻理に溜め息を吐いて言う。


「井上、今日は金曜だ」





☆☆☆





悟仙と竜二が部室を去った後、麻理と夏子は暫く雑談していたが、下校時間になったため昇降口に降りていた。


「そう言えば」


麻理が登校に使っているローファーを履いていると先に履き終えた夏子が不意に声を上げた。


「どうしたの?」


麻理が踵をローファーに入れた後立ち上がって言うと、夏子は外を見ていた。


「麻理の噂、ようやく収まったわね」


「あっ、そう言えばそうだね」


麻理は夏子が言ったことに納得して頷く。

麻理が悟仙の助けを借りて宮田の告白を断ってから三週間ほど経って、ようやく噂が収まった。


あの時悟仙が宮田に指摘していたように、中庭での一件を見ていた生徒から宮田が麻理に告白したことはすぐに校内じゅうに知られた。

すると、それと同時にあること無いこと噂が広まり、中でも有力だったのは麻理が宮田を誑かしたというものだった。

それを聞いた生徒達から「誘ったのか?」など不躾な質問をされたり、あからさまに態度を変えた人もいた。

夏子は躍起になってその噂を止めようとしていたが、うまくいかず今までずっと続いていた。


麻理が悟仙に半ば無理矢理承諾させた「悩みができたら打ち明ける」という約束を思い出し、早速悟仙に打ち明けた所、悟仙は「そんな奴らだったと早く気付けて良かったじゃないか」と何でもないように言っていたが、悟仙の顔はいつになく真剣だった。


麻理はその時の事を思い出してクスリと笑ってしまう。何だかんだ言っても、ちゃんと聞いてくれて嬉しかったのだ。しかし、悟仙がちゃんと聞いてくれたのはその時だけだった。確かに麻理が話したのは悩みとも言えないものばかりだったが、ほとんど無視をしていた悟仙を思い出して少し腹が立ってきた。


「なーに、笑ったり怒ったりしてるの?」


「わっ!」


麻理は突然のぞき込んできた夏子に驚きの声を上げた。


「なっ何でもないよ!」


麻理が手を振って言うと夏子は呆れたように溜め息を吐いた。


「あんた、意外とメンタル強いわよね」


「なっちゃんだってそうでしょ?私は男の子はまだ苦手だけど、女の子なら慣れてるし中学の時なんてあんなのしょっちゅうだったもん」


「確かにそうだったわね」


麻理は根っからの女子校育ちである。宮田の時のように男子に詰め寄られると恐怖で竦んでしまうが、女子には動じることは滅多にない。女子の嫌みや陰口、そこから派生する派閥争いなど経験済みだった。

ちなみに、麻理と夏子はどこかの派閥に属したことはない。


「ねぇ、一つ聞いてもいい?」


昇降口に置いてあった自分の傘を傘立てから抜いて、外に出るとすでに出て先に待っていた夏子が聞いてきた。


「うん、いいよ」


「何であいつに相談なんてしてるの?陸奥に頼ったって何もしてくれないでしょ」


麻理は突然悟仙の名前が出てきたことに驚いたが、その答えならちゃんと持っている。


「陸奥くんは、頼らせてくれないから頼ってるの」


「え?どういうこと?」


「うーん、陸奥くんは私が頼っても絶対に関わろうとしないでしょ?だから頼ってるのかも。私は人に頼るのが苦手だってこの前気付いたからさ、頼らせてくれない人の方が頼りやすいのかも」


夏子は麻理の言葉に暫く首を傾げていたが、困惑しながらも頷いた。


「上手く言えないけど、何となくわかったわ。あいつ、悩みなんて無さそうだしね」


「陸奥くんは悩めないのが悩みみたいな感じだからね」


「贅沢な奴ね」


麻理はその言葉に違和感を感じた。悟仙が悩みなんて無さそうなのは間違いないだろう。しかし、悟仙が贅沢な人だから悩みが無いとはどうしても思えなかった。

それが分かるほど、麻理は悟仙と親しくない。


「もう少し、色々聞いてみよう」


麻理が呟くと夏子が顔を覗き込んできた。


「どうかした?」


「ううん!あっ!なっちゃんにはしっかり頼るからね!」


「もう!あんたは相変わらず可愛いわね!」


麻理が慌てて言うと、夏子が飛びついてきた。


「ちょっ!なっちゃん濡れちゃうよ!ちちゃんとさしてよ!」


雨が降る学校の校庭にそれから暫く二人の少女の笑い声が響き渡っていた。

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