第十九話
悟仙が文芸部に入部してから、二週間が過ぎた。
悟仙は放課後はすぐに家に帰って自室で本を読むのが日課だったので、それを部室で読むようになっただけで、部活に入ったからといって何かが変わった訳ではなかった。
今日も放課後、部室に行こうと席を立ち、教室から出ようとすると後ろから声を掛けられた。
「陸奥くん、一緒に行きませんか?」
「九条はどうした?」
振り向いて言うと、麻理は呆れたようにため息を吐いた。
「なっちゃんは委員会ですよ。朝、先生が言ってたじゃないですか?」
「俺は委員会に入ってないから関」
「関係ないかもしれませんけど、人の話をちゃんと聞いてないといつか取り返しがつかないことになりますよ」
「俺の話は最後まで聞かない奴がよく言う」
教室から出ると慌てて麻理が追いかけてくる。
「私はいいんです。陸奥くんが言うことは分かってますから」
麻理が胸を張って言う。
そんな会話をしながらも、廊下を歩いていると廊下にいる生徒の視線が刺さる。悟仙はもう慣れたが、麻理と歩いていると好奇の視線がよく向けられる。
それを気にせず歩いていると文芸部の部室に着いた。
文芸部の部室は教室の半分ほどの広さで長テーブルが二つ向かい合わせで並べられ、そこにパイプイスを二つずつ置いただけの簡素な部室だった。
悟仙はパイプイスの一つに腰掛けて本を読み始めた。
麻理も悟仙の向かいに座り本を取り出したが、テーブルに置いただけで、読むことはなく話し掛けてきた。
「陸奥くんって頭よかったんですね」
「たいして良くないと思うけどな」
「でも、今日の数学の小テスト追試になってませんよね?」
今日の五限に行われた小テストは結構難しく、不合格だった竜二は今頃追試をやっているだろう。
「たまたま解っただけだ」
向かいの席でにこにこ笑っている麻理に言う。何だか今日の麻理はいつもより機嫌が良いように感じる。
何か肩の荷が下りたような感じだ。
その後はいつものように二人で本を読んでいた。
やはり麻理は機嫌が良いようで時折鼻歌を歌っていた。
その歌を聞いて少し目蓋が重くなってきた所で廊下から荒々しい足音が聞こえてきた。
悟仙が微睡みから抜けて顔を上げると麻理が可笑しそうに笑っていた。どうやら見られていたようだ。
その事に一言何か言ってやろうとした時に部室のドアが開け放たれ夏子が入ってきた。後ろに竜二がいるので一緒に来たことがわかる。
すると夏子がテーブルに両手を着いて麻理に詰め寄った。
「ちょっと麻理!あんた今日の昼休み宮田に告白されたって本当!?」
「うん!」
麻理が嬉しそうに頷く。宮田に告白されたことが余程嬉しいようだ。
「どうしてそれを早く言わないの!?さっき委員会で聞いて驚いたじゃない!」
荒ぶる夏子の話によると夏子が所属している風紀委員会はその話で持ちきりだったらしい。
「だってなっちゃん、いちいち言わなくてもいいよってこの前言ってたから」
「宮田は別よ!っていうかあんたそんなに嬉しそうにして……。これじゃあ、あたしがあんたを邪魔してたみたいじゃない」
夏子が俯いて言う。声は震えていた。当たり前だろう。林間学校ではあれだけ宮田のことを警戒していたのに、宮田にまんまと告白させてしまったのだ。
麻理はさっきから不思議そうに首を傾げている。
悟仙は麻理から目を離し本を読み始める。悟仙にとって麻理が誰と付き合おうが余り興味はなかった。麻理がどうなっても悟仙には関係ないことだ。
すると、麻理のとぼけたような声が聞こえた。
「あの、なっちゃん。私は告白断ったからね?」
「え?」
夏子が勢い良く顔を上げる。悟仙も顔を上げていた。
断ったならどうして麻理はあんなに嬉しそうなのだろう。
「じゃあどうしてそんなに上機嫌なのよ?」
夏子が悟仙が疑問に思ったことを聞くと、麻理は困ったように笑った。
「やっぱり分かった?私ね、何か宮田くんって苦手でさ、今まで告白してくれた人ってその後話し掛けてこないから、宮田くんもそうなるって思ったら何か気が楽になっちゃって」
「だから宮田も追試受けてたんだな。あいつ頭いいのに。相当ショックだったみたいだな」
竜二が頷きながら言った。
「ていうか麻理、あんたそんなに宮田のこと苦手ならあたしに言いなさいよ」
「ごめん。いつ言えばいいのか分からなくて」
「いつでも言えばいいのよ!そんなの」
夏子が悲しそうに言う。麻理と親友である夏子にとっては言って欲しかったのだろう。
その後も色々話していたが、悟仙は本を読んでいたため、何も聞こえなかった。
悟仙がちょうどきりがいい所まで読み終わった時には下校時間を過ぎてしまっていた。
顔を上げると麻理が頬杖をついて笑っていた。
他の二人は帰ってしまったようだ。
「帰らなかったのか?」
「はい。私ももう少し読みたかったので」
聞くと麻理は笑ってそう言った。
二人で昇降口に降りると、壁に背を預けて宮田が立っていた。
宮田は悟仙の姿を見けると顔をしかめたが、すぐに爽やかな笑顔になり麻理に歩み寄った。
「あのさ、麻理ちゃん。少し話さない?」
そう言われた麻理は顔をひきつらせて後ずさった。
さっきの話を聞く限りこの事態は想定外だったみたいだ。
「えっと、何の話をするんですか?」
「何って、取り敢えず昼休みの続きかな」
警戒する麻理に対して宮田が穏やかに言う。
「それはもう、終わったはずです。私はあなたとお付き合いすることは出来ません」
「まあまあ、そこについてほんの少し話したいだけだからさちょっと付き合ってよ。何なら悟仙を仲介人にしてもいいよ?」
悟仙が突然自分の名前が出てきて驚いていると麻理が上目遣いで見てきた。表情は真剣そのものだ。
「あの、お願いできますか?」
麻理の少し垂れ目ぎみの大きな目で見つめられ、悟仙はいつの間にか頷いていた。
それを確認した麻理はほっとした表情になる。
すると、宮田が二人を促しながら近くの中庭に歩いて行った。
中庭に着くと宮田はそこに設けられているベンチに腰掛けた。その隣に麻理が座り、悟仙は座らずに少し離れた位置から二人を見る。仲介人を了承してしまったからには、残念ながらこの件について無関係ではいられない。
二人は暫く無言だったが宮田が落ち着いた声で話を始める。
「麻理ちゃん、俺の告白もう少し考えてくれないかな?俺は今まで色んな人と付き合ってきたけど今回は本気なんだ。麻理ちゃんに絶対退屈させないから、もう一回考え直して欲しい」
そう言って宮田は頭を下げる。しかし、麻理は余り動揺しなかった。
「何度考えても、答えは同じです。あなたとお付き合いすることは出来ません」
屹然とした様子で言われ宮田は少したじろいたが、諦めずに新たな提案をする。
「確かに麻理ちゃんは女子校育ちだからそういうのは慣れてないかもね。じゃあ、恋人同士じゃなくて友達として一緒に遊んだりするところから始めない?」
焦っている。
悟仙は必死に言葉を紡ぐ宮田の様子を見てそう感じた。おそらく宮田にとって告白して振られるのは初めての経験なのだろう。
「いえ、それも私は受け入れられません。私は、その何だか宮田くんと波長が合わないみたいなので、そんな事してもお互い無駄なような気がします」
そんな宮田に対して麻理は妙に落ち着いていた。こういうケースに慣れているのか、それとも他に理由があるのかは定かではないが表情一つ崩さない。
おっとりとしている癖に決して揺らぐ事がない。
そういう所が厄介だと悟仙は心中で毒づく。
すると、宮田は顔を歪ませて尚も食い下がった。
「そんな事ないよ!麻理ちゃんと話している時あんなに楽しいのに」
「だからといって私も楽しいとは限りません。それに宮田くんは何だか性格を時々偽っているような気がして何だか一緒にいても安心感がないんです」
悟仙は麻理の観察眼の良さに驚いた。見ていないようでしっかりと宮田の仮面を見抜いていたようだ。
「どっどうしてそれを!?」
血相を変えて立ち上がる宮田に悟仙は不穏な雰囲気を感じて、二人の元に足早に向かった。




