第十一話
「おい、これは重大なミスを犯してしまったぞ」
林間学校当日の朝、一番後ろの右端の席というベストプレイスを手に入れた悟仙は、目的地へ向かうバスの中で外を眺めていると竜二にそう言われちらりとそちらに目を向けた。
「ミス?忘れ物でもしたのか?」
「違うよ!あれを見てみろ!」
訳が分からず言うと、竜二が指を差しながら言った。
促され、そちらを見やると悟仙とは反対側の列の後ろから二番目に隣り合って座る麻理と夏子の姿が目に入った。
何やら頻繁に声を掛けられている。
本来なら、近くに座ってあれを妨害しなければならなかったのだろう。
「しょうがないだろう。来たときにはもう埋まってたんだから」
「そうだけどさ……」
未だにうなだれて頭を抱えている竜二を見て、ため息を吐くとさっき見ていた辺りから殺気を感じた。
見ると夏子がものすごい形相で睨んでいた。
その視線から逃げるように麻理を見ると目が合い、慌てて逸らされた。
不可解な行動だが、たいして興味もないので気にならない。
「お前、井上さんに何かしたのか?」
なぜ悟仙に非があることが前提なのか問いただしたい所だが、断じて何もしていないので無視して外に目を向ける。
「お前ら、麻理ちゃん達が困ってるだろ?その辺でやめとけよ」
暫く外を眺めていると、前の方からそんな声がした。
すると、瞬く間にバスの中が静かになった。
「うん?宮田か?」
竜二が首を傾げて言う。ここからは見えないが、声を出したのは宮田らしい。
「あいつ、井上さんのこと狙ってると思うか?」
「狙ってないんじゃないか?」
悟仙の素っ気ない返答に竜二が呆れ顔で首を振った。どうやら適当に答えたのはバレているようだ。
「お前ならさ、少し真面目に見れば分かるかもしれないだろ?人間観察得意なんだし」
「俺には関係ないことだ」
そう言って、悟仙は再び外に目を向けた。
☆☆☆
「お前ら、麻理ちゃん達が困ってるだろ?その辺でやめとけよ」
宮田のその声のお陰で、怒涛の質問責めがようやく収まり、麻理は安堵の息を漏らした。
そして感謝の気持ちを込めて宮田の方を見ると、それに気付いた宮田が穏やかな微笑みを向けてきた。
麻理は、宮田のことを気さくな人だと思っている。
麻理がバスに乗るときには、乗り物酔いのする人は前の席に乗せておくと言ってきた。
本来なら各班の保健係がしなければならない仕事だが、まとめてやってくれた。
悟仙など、大きなあくびをしながら入ってきてそんな素振り一度も見せなかった。
先日あれほど確認したのに、忘れてしまったのだろうか。
そんな事を思い、自然と悟仙の方に目をやろうとするのを慌てて止めながら、麻理は昨夜、妹の由衣が言っていた事を思い出す。
買い物から帰ってきて、いきなり言われたのは、悟仙が由衣が先日話していたむっちゃんなる人物であるという話だった。詳しく聞くと、由衣が通っている小学校に連れて行ってくれと言われて連れて行ってあげたそうだ。
それは本当なのだろうか。
真偽が分からず、母に目を向けたが母は何も言わずお腹を押さえて笑っていた。
「やっぱり、そういう趣味なのかな?」
ぽつり呟くと、隣の夏子が顔を覗き込んできた。
「どうかしたの?」
「ううん、何でもないよ」
やっぱり、直接聞いてみよう。決心して前を向くと、ちょうど目的地が見えてきた。
☆☆☆
目的地に着き、割り振られた部屋に荷物を置いて、宿泊施設に隣接されている体育館のような所でオリエンテーションを受け、少し早めの昼食に、行く途中で買ってきたコンビニ弁当を食べた悟仙は、現在昼食後に行われたウォークラリーの為、山の中を歩いていた。
すると、何度目かの分かれ道にさしかかった。
「えーと、こっちだと思います」
すると麻理が即決して、片方の道を指差しそのまま歩き出す。
分かれ道にさしかかった時、このやりとりがすっかりお決まりになっていた。
班の一番後ろを歩く悟仙からも、麻理が班に一枚ずつ配られた地図を持っているのが見えるが、未だに開いていない。
麻理の事だから、もらってすぐに読み込んで覚えてしまったのかもしれない。
それからしばらく進むとほかの生徒どころか、鬱蒼とした木や草が生い茂り、道の先も見えない所まで来てしまった。
「す、すみません。道に迷ってしまったみたいです」
申し訳なさそうに麻理が班員に頭を下げると、悟仙以外の班員が麻理に慰めの声を掛ける。
「高校生にもなって、迷子とはな」
他の班員をよそに呟くと、それを聞きつけた麻理が突然詰め寄ってきた。
「陸奥くんは、やっぱり最近迷子になったんですね!?」
「はあ?なってないが」
「そ、そうですか」
その勢いに押され、悟仙が後ずさりながら言うと麻理は拍子抜けしたような声を出した。
訝しげな視線を送ると、麻理は誤魔化すように目を逸らし、後ろにいる班員の方に振り返った。
☆☆☆
「そ、それでは皆さん申し訳ありませんが、来た道を戻りましょう」
麻理が悟仙から逃げるように振り返り、言うと班員達は苦笑いをしながらも歩き出した。
「おい」
悟仙とすれ違う時に声を掛けられ足を止める。
「その手に持っている地図は使わないのか?」
「あ、あの、私地図の見方がよくわからないんです」
正直に言うと、悟仙は心底呆れたようにため息を吐いた。
「何でそれを最初から言わないんだ」
「私が先生から頂いたので、てっきり私の仕事なのかと思っていたんですけど、違うんですか?」
「当たり前だろ」
バカにしたように言われ、麻理は悟仙が男子であることも忘れ、言い返そうと思うが、それ以上に恥ずかしく思い俯いてしまう。
「そういう時は、ちゃんと聞け」
意外と優しい所もあると思い、顔を上げると悟仙はこちらに背を向けて皆の後を面倒くさそうにゆっくりとした足取りで追いかけていた。
すると、不意に足を止め振り返った。
「ああ、もちろん俺以外に聞けよ。俺は関係ないからな」
麻理は、再び歩き出した悟仙に向かって舌を出して威嚇したが、悟仙は当然見えないため気付かない。
「この、ロリコンめ」
麻理の独り言は誰の耳にも届かなかった。




