第百四話
総合ポイントが1000ptに達しました。連載する上で一つの目標でもあったので、とても嬉しく思います。今後ともよろしくお願いします。
余談ですが、「魔眼の守護者~異世界の神にスキル貰ったら目が良くなった~」という作品も連載しております。こちらは学園+ファンタジーといった感じです。
一読して頂けると嬉しいです。
爽快な打球音と共に、先程までの打ち損ないを超えた初速で打ち出された球はフェアゾーン、無人の内野の一二塁間に転がっていった。内野を越えた辺りまであった勢いは次第に衰え、ライトの定位置より少し後ろの方で止まる。それを見ている間、打球の行方に目を向けたまま悟仙と優弥の両者は口を開かなかった。
「セカンドゴロだな」
球が飛んでいった軌道をもう一度思い出してから悟仙は言った。飛んだ場所は良かったが、内野を抜けるには少し打球に速さがなかった。
「いや、抜けてるよ。ライト前だ」
優弥が肩を竦めて言う。それを聞いて、悟仙はこの勝負を受けた時から立てていた推測が当たっていることを確信した。悟仙は勝ったのではない『勝たされた』のだ。
「セカンドが追いつかないか?」
優弥が苦笑交じりに首を振る。
「それはないな。あの打球なら抜けてる」
「俺は左打席で打ったんだが」
「確かに悟仙は左だからセカンドも一二塁間に寄ってるだろうけど、流石にあんだけ振り遅れのファールを見せられたらショートが三遊間に動くな」
「そのカバーでセカンドが二遊間を詰めると?」
「少なくとも定位置までは戻ると思うよ」
「定位置なら、捕れるんじゃないか?」
「もし追いついたとしても、悟仙は足が速いからな。間に合わない」
「俺は変化球に体勢が崩されていた」
「一塁側にだろ? そんなに影響はないさ」
悟仙はため息を吐いた。勝負の話を聞いてから、悟仙は野球について色々と調べた。しかし、悟仙がどんなに頭を捻って詰め込んだ知識から言葉を引っ張り出してもやはり年季が違うのか、優弥に軽く一蹴されてしまう。
ならば次の一手を考えるしかない。幸い手はある。だが、できれば使いたくない。悟仙は口を開くのに、少しの時間を要した。
「二人は何の話をしてるの?」
「わ、分かりません」
戸惑いを含んだ詩織の声に、同じく麻理も戸惑い気味に答えた。勝負の結果は微妙なものになった。悟仙と優弥、どちらが勝利を手にしたのか分からない。だから、二人がどちらの勝ちなのかについて話すのは何の疑問もない。
しかし、その話の内容には疑問しか浮かばない。何故か悟仙と優弥はお互いに勝利を譲り合っている。多くの言葉を労し、まるでそれが忌避すべきもののように押しつけ合っている。
麻理には二人がそうする意図が、意味が理解できない。ただ、悟仙が苦しいような困っているような、苛立っているような表情をしていることが気になった。
「勝負」と聞くと人はそれを行う者が互いに勝利を奪い合う様を想像するだろう。それは概ね正しい。そう、概ねだ。それは勝負に臨む者達が勝利を欲していることを前提とした推測だろう。
今回の悟仙と優弥の間に、それは当てはまらない。悟仙と優弥はお互いに勝利を望んでいない。端的に言うと敗北こそを欲している。しかし、互いにそう思っていながらも相手に気付かれるのは不味い。
悟仙と優弥はそれぞれ『いかにわざとらしく見えることなく相手に負けるか』という、何とも馬鹿らしくも複雑な勝負を繰り広げていたのだ。悟仙はその勝負に負けた。つまり、一打席の勝負には勝ち、勝たされ、本当の勝負には負けた。そうなることは分かっていた。野球というものを使った勝負で三島優弥に勝てる者はこの高校にはいないだろう。
勝負には負けた。しかし、目的は果たさせて貰う。
「三島」
「ん?」
「いいんだな」
悟仙の言葉に優弥の眉がピクリと動いた。
「いいも何も俺の負けだろ? 勝負は勝負、野球部には戻る――」
「いいんだな。また同じことになっても、また足が止まっても」
優弥はその気楽そうな笑みを引っ込めて押し黙った。悟仙と優弥が何を言い合っているのか、少し離れたところにいる麻理達には聞こえているだろう。だが、何のことについて言い合っているのかはきっと分からない筈だ。
暫くの間沈黙していた優弥は、へらっと口元に薄い笑みを貼り付けるとこちらを見ることなく呟いた。
「でも、勝負は勝負だろ」
「三島、お前は――」
「風が出て来たな。ここにつっ立ってても寒いだけだぞ。悟仙も井上さんもな」
優弥が麻理達にちらりと視線を向けて言った。もうこちらを見ることはない。それは小さな、しかし明らかな拒絶だった。それ以上踏み込んでくるなという意思の表れだった。
「手袋、助かった」
バットをバックネットに立て掛け、その上にバッティンググローブを引っかけるようにして置く。スタンドに上がると麻理がこちらに駆け寄ってきた。吐く息が白い。何が起きたのか分からないといった顔をしている。その端整な顔立ちを見て、お門違いも甚だしいと思いながらも、悟仙は胸の中に黒いものが渦巻くのを感じた。
何故三島優弥は負けを望んだのか、それは実にシンプルで『野球部に戻りたいから』だ。これは間違いない。文芸部の部室で投手にとってデリケートな部分である指先が柔らかくならないように机で指を擦るように弾いていた事だとか、キャッチボールをした日、優弥は遅れてきた。座る席すら気にする体育会系の優弥が自分から呼び出していて遅れるだろうか、何か理由が例えば肘の病院で遅れてきたのではないか、とか。理由はいくつかある。
そして、何故こんな回りくどいやり方で野球部に戻ろうとしたのか。それにも悟仙は気付いていた。
悟仙は優弥と同じ性質を持っているから。
それは……