第7話・First day of Testing
「……その、ボクと、……友達になってくれっ!」
「……え?」
1
凪とマンションの入り口で別れ、家に帰り妙に静かな午後(多分ナノが居ない所為)を過ごした後、眠りについて、翌日。
つまり、テスト――初日。
ピー、ピー、ピー……。
「……ん、」
時計の音で目が覚めて、半分寝ぼけたまま手探りで枕元の目覚まし時計を探す。数秒経って漸く見つけてスイッチを切り、眠気に抗えずそのまま布団に潜り込もうと――
ピ――――――!!!
「うわ!?」
――したが、止めた筈の音が更に大音量で鳴り響き、吃驚して飛び起きた。
一体何事、と両耳を押さえる。が右手は離して一向に鳴り止まない目覚まし時計を手に取ると、
「……あれ? まだ6時……?」
目覚ましをセットしている時間より1時間も早い事に驚いて、じゃあこの音は一体……と周囲を見回す。
確かに思い返してみれば、目覚ましの音はもう少し短い音の連続だった筈だ。でも目覚まし以外にこんな音鳴るような物があったっけ?
……と言うか、そろそろ耳が痛くなってきた。耳を塞いでも全く音が小さくならないのに違和感を覚え、――うん? と首を傾げる。あれ、それどっかでやらなかったっけ最近……?
と此処でその記憶を思い出す前に、目の前にポン、とウィンドウが出た。一瞬《ORS》をつけて寝ていた事を忘れていた為驚くも、その内容にすぐ意識が向いた。読み上げてみると――
「あ、え? 『充電残量が5%を切りました。充電してください』――って、これ《ORS》が鳴らしてるのか……道理で耳塞いでも意味無かった訳だ」
我慢出来なくなって強引に強制終了させた《ORS》を頭から外しつつ(電源を切った時点でウィンドウも消えた)納得する。で、そう言えばこれどうやって充電するんだろう……とためすつがめつ眺めてみた。
見た所プラグの穴もなさげなのに、とひっくり返したりしても分からない。これが入ってた箱に紙でも入ってるのかな? と覗いてみるとドンピシャリで、何やらコードが紙と一緒に入っていた。
「……えっと、『このプラグを《ORS》の機械の端に挟み込む様にして、反対をコンセントに繋いでください』? え……挟むだけで良いのこれ」
紙の指示に思わずカチューシャ型の《ORS》の細まっている端を見てみると、……成る程カバーの下に接続端子的なのがある。でも何でカバーに包まれてるんだろう……。
まぁ後でナノに聞けば良いか、ととりあえず疑問は棚上げし、指示通りにコンセントと繋ぐと主電源のボタンの横に小さくオレンジ色のランプがついた。その前は赤く点滅していたから、ちゃんと充電出来ていると言う事なんだろうけど。
……それより。
「……これ、どれぐらいで充電完了するんだろう」
何かもうこの騒動の所為で目が覚めてしまい、のそのそと朝食の準備をしながらふと思った事を口にする。地面に置くのもどうかとソファの横のテーブルに置いた《ORS》はオレンジ色のランプがついたままで、まだ別の色に変わる雰囲気も無い。と言うか完了した時の色も分からないけど。
そうこうしている内に日も登り、学校に出る時間になっても《ORS》のランプはオレンジ色のままで、どうしようと思案する。
「……充電中断して持っていった方が良いのかなぁ……いやでも、学校に持って行っちゃ駄目だよね普通……」
ナノの話では今日がテスト初日との事だし、鳳も四六時中付けていろとは言っていたけど……常識的に考えて、学校に電子機器持っていくなんて普通駄目だよね。
悩んでいる内に出ないといけない時刻になって、結局持っていかない事にして、今日は普通のマンション風情の扉の鍵を閉めたのだった。
◆◇◆◇
市立水面高校は昨日凪と《RWO》の測定をした川を渡った向こう側、徒歩で40分くらいの所にある。正直自転車で行けばいいのだろうが、僕は自転車持ってないしね……。
昨日と違い普通の町並みを見ながら学校の敷地内に入り、校舎の中へ。靴箱の中に靴を入れ、中履きに履き替える。
教室は、エの字の縦棒が少し校門側にずれた形をしている校舎の、一番校門から遠い場所にある。まだ早かったのか、廊下に人影はない。
自分の教室の中に人が居る事に気がついて扉の前で少し立ち止まり、数秒の逡巡の後意を決してガラリと扉を引き開ける。
途端、中に居た数人の視線が僕へ一斉に向いた。
「……おはよう」
「お、おはようっす」
「おはよう……」
挨拶を返してくれた人の声が、若干怯えている様に感じる。……まぁ、当然か。
ちょっと悲しい気持ちになりながら、自分の席に鞄を置いて、ついで机の教科書を入れる場所の中を覗き込む。悲しきかな、小・中学校の間の虐めからの癖だ。
幸い何もなかったので、ホッと溜め息を吐きつつ教科書を入れ席に座る(勿論座る前に椅子の上に何も無いか確認して、だ)。周囲の反応が若干ギスギスしているのは僕の所為じゃない――と思いたい。
自己紹介で《能力者》だと名乗らなかったからだろうか、一昨日の体育でバレた後から教室内の僕に対する雰囲気がギスギスしている。
挨拶してまた会話に戻ったらしいクラスメイトの視線が、しかしまだ僕に向いている気がして一度だけ振り返る。すると、僕の1列隣、3つ後ろの席の男子が僕の事をじっと見ていた。が、僕が視線を向けると僅かに視線を上げ下げ(多分挨拶のつもり)した後すぐに外してしまった。
何だったんだろう、と思いつつもわざわざ会話したいともあまり思わなかった。
関わる必要もないかな、と本を取り出し読み出そうとした時、ガラリと教室の扉が開いた。
「おーっす、おはよう!」
「おぉ尾藤! おっす!」
入ってきたのは、まぁ名前から分かる様に白だった。教室内に居た、まだ数週間だと言うのにもう既に仲のいいらしい男子とそんな会話をした後、出席番号的に前の扉のすぐ近くの僕に気がついて声をかけてくる。
「よう亜瑠、昨日ぶりだな」
「……おはよう、白」
少し溜め息混じりの笑みと共にそう言ったら、白は何故か数秒黙り込み、そしてフイ、と教室内を見回した。首を傾げる僕を余所に一人納得した様に頷いた白は、すぐに自分の席に荷物を置いて会話に混じりに行ってしまった。
「……?」
何だったんだろう、とは思いつつも、僕はやがて手の中の本に視線を戻したのだった。
◆◇◆◇
「あの……ちょっといいかな、浅葱君」
「え……あ、うん……」
クラスメイトの1人に呼び出されたのは、昼休みの事。
授業中も休み時間も、発言せず無言で居た筈なのに、何か興味を引くような事をしてしまったんだろうか、と席を立ちながら思った。中学時代の虐めのスタートもこんな感じだったよな……と若干戦々恐々しつつ、とりあえず呼び出した――えっと、確か、神村海斗と言う名前の男子についていく。
若干ちぢれた黒髪を揺らしながら、彼はあまり人の来ない、教室がある棟と同じ4階の教室から一番遠い――つまり校門に近い場所にあるパソコン室の前へと来て漸く立ち止まる。
また虐めだったら即効で逃げよう……と本気で考えている僕に、神村君は明るめの黒い瞳を向けると、ちょっと躊躇った後に口を開いた。
「……えっとさ、その……浅葱君」
「……何?」
……開いたものの、その後も逡巡する神村君に、居心地の悪さを感じながらもゆっくり問い返す。その反応が良かったのか悪かったのか、神村君は意を決した様な表情になって、こんな事を言った。
「……その、ボクと、……友達になってくれっ!」
「……え?」
思わず呆けた。
神村君は「い……言った、言ったぞ……」と小声でブツブツ言いつつ、反応のない僕に躊躇いがちの視線を向ける。
「えっと……駄目、か、な?」
「……え、ちょっと待って、……友達?」
「う、うん」
聞き間違いかと問い返したら、肯定が返ってきて数秒黙り込む。漸う経ってフリーズから脱却した僕は、全く選択肢に存在しなかった言葉に思わず、ポロッと本音が漏れた。
「……正気?」
「何で!?」
「いやだって、今までそんな事言ってくれる人、居なかった、から……そ、それに僕は《能力者》だし……怖く、ないの?」
思わずなんだろう、ガバッ、と詰め寄ってきた神村君に気圧されつつも――僕にとっては当然の疑問を口にする。
実際、クラスメイトの反応を見ればそれぐらい分かる。一般人にとって《能力者》は、見えない刃を持った異常者と同義なのだ。たとえ、その能力が凪の物の様にさほど危険性がないと分かったとしても。
まして、僕の《能力》は――明確に、人を傷つける物だ。傷つける事が出来る物、だ。政府が《能力者》の《能力》に関しては厳重に隠しているらしいし、多分知られてはいないだろうけど……それでも、忌憚の対象になるには十分の理由だと思う。
そんな考え故の当たり前な質問に、神村君は一瞬キョトンとした後、あぁ、と言いつつ若干バツの悪そうな顔になった。
「……確かに、友達になってくれって言うのはちょっと勇気が要ったよ。前から声をかけてみたいとは思ってたんだけど」
「え、……それって《能力者》だって知る前から……?」
「うん。帰り道、途中まで一緒だから良く見かけてて……仲良くなれそうだな、とは思ってたんだ。あんまり目立つような性格じゃなさげだったから、気が合いそうで……《能力者》だって知って、若干尻込みしたのはそうだけど」
「じゃ、じゃあ何で」
「それは、その……尾藤君のお陰で……」
「……白の?」
思わぬ所で出てきた友人の名前に虚を突かれて驚く。何でそこで白の名前が……?
驚く僕を余所に、彼は頷いて更に思わぬ事を言った。
「うん。多分気がついてないよね……今日のHR前に尾藤君、浅葱君が外に出てた時に、いきなりクラス内に居る人に向かって怒鳴ったんだよ?」
「え?」
思わず目が点になる。
確かに1時間目が終わっても戻らなかった教室内の雰囲気に若干耐えかねて、HRが始まるまで教室から出ていたけど……すぐ戻れる様にさほど離れていない場所には居た筈なんだけど、全くそんな声なんて聞こえなかった様な。
たった2時間ほど前の事を思い出そうと首を捻る僕に、神村君はワタワタと手を振りながら慌てた様に訂正した。
「あ、でも教室の扉を閉めた後でだったし、廊下から一番遠い場所まで歩いてから怒鳴ってたし、気がつかなくても無理ないと思う」
「え、あ、そ、そう」
どう反応していいのか分からずそう返す僕に、何故か視線を逸らして遠くを見る様な目になった神村君は、若干言いにくそうにこう言った。
「……ただ、教室の扉を思いっ――っきり派手に音させて締めた後、視線を集中させたままワザと足音立てて歩いてから、だったけど」
「な、何とまた派手な事を……あでも、その音は聞こえてた気がする」
思わぬ白の豪胆ぶりに口の端を引きつらせて、でも何となく該当しそうな記憶に思い至ってポン、と手を打った。
それで? と話を促すと、神村君は(何故か)照れた様に僅かに顔を赤らめた状態で続けた。
「それで……彼、何事かって注目する皆の前で、窓ガラスを殴ってさ。そのまま『お前ら亜瑠を腫れ物みたいに扱うのを止めろよ!!』……って」
「……え」
「まぁ当然って言うか……神谷君が反論して『そんな事してなんかいないだろう!』って言ったんだけど――」
「へ、へぇ」
「でも尾藤君、そこから凄い熱弁でさ。『してないんだったら何で周囲に人が居なくなるなんて事が起こるんだよ!』とか『別に《能力者》だからってあいつが攻撃してくるような性格だと思うのか!』とか『あの軟弱者に怖がってないって思うんなら、せめてこの腫れ物みたいに扱ってる空気をどうにかしろよ!!』とかとか……凄かったんだよ?」
「……へー」
……それって弁護してるのか貶してるのかどっちなんだ白……と思った僕は悪くない筈だ。
思わず脳内を掠めた考えに引き攣った回答を返しながらも、思わぬ所で知った白の行動に感慨深いものを感じた。
中学時代からの友人だとは言っても、クラスは高校に入るまで同じになった事も無い、まさに『帰る方向が同じだったから会話するようになった』から始まった果たして友人と呼んでいいのかも分からなかった関係からスタートしたのに、白は僕の事そんなに考えてくれてたのか、と思って涙が出そうになった。
思わずこぼれた涙をこっそり拭っていると、気がつかなかったらしい神村君は「それでさ」と続けた。
「尾藤君の話聞いてて、確かにそうだなって思ったんだ。《能力者》が怖くたって、それ以前に浅葱君は浅葱君なんだし……それだけ尾藤君に思われてる浅葱君が羨ましくなったしね」
「……そっか」
「で、尾藤君の言葉に後押しされて言った、って所なんだけど……駄目、かな」
再度、僕を覗き込むように聞いてくる神村君に、僕は――
「――まさか。……これまで、白くらいしか友人になってくれるような人が居なかったし、中学時代は虐めとかもあったから、ちょっと尻込みしたんだ。――僕からも、友達になってもらってもいいかな?」
「! も、勿論!」
肯定の言葉を返した。
神村君の嬉しそうな顔を見て僕は、珍しく、今日はいい1日だと言える日になりそうだ、と思った。
で、呼び名を決め(「あ、亜瑠君って呼んでいいかな。ボクも海斗でいいから」「うん、分かった」)、高校生にしては若干ズレている様な気がしないでもないそんな会話の後。
ふと近くの時計を見て休み時間が終わりそうな事を認識した神村君改め海斗君が、
「ところで……なんだけど」
「うん?」
「……次の時間って、何だったっけ?」
「え? 確か数学――……あ」
「えっ、数学!? 宿題確かあったよね!?」
「……海斗君も、もしかして、忘れた?」
「……亜瑠君、も?」
◆◇◆◇
と言う訳で、宿題を忘れた僕と海斗君は数学の教師にこっぴどく怒られ、昨日言っただろ……と言う意味がヒシヒシと伝わる白やクラスメイトの視線の中、1時間立ちっぱなしの刑に処せられたのだがそれはさて置き。
4時間目の休み時間に白に海斗君を紹介し(友達が出来たと言ったらポカンとして海斗君と僕を往復で見た後、凄く驚かれた)、その後2時間消費してHR。なるほど確かに視線の刺々しさが軟化してるかもしれない、とか思いながら荷物を鞄に放り込んで教室を出た。
一緒に帰ろうといってくれた海斗君と共に、クラブの為走っていった白を見送りながら校門を抜けると、海斗君がこう言った。
「そう言えば、亜瑠君はクラブ……入ろうとか考えてる?」
「え? ……うーん、どうかな。そこまで入りたいと思ってるクラブがないし……」
と言うのもそもそも、中学の間は放課後はほぼ《能力》の開発(と評した訓練)に費やしていたから、趣味と言えるような物もない。運動は――嫌いではないけれど、《能力者》で尚且つ身体強化系の《能力》持ちであるから、二重の意味で運動部には入りにくいし、かといって何か文科系のクラブはどうか、と言われてもしっくりこない。
等々を考えながら答えると、海斗君は「そうなんだ」と言ってから切り出した。
「……いや、ボク文芸部に興味があるんだけど、1人で行くのはちょっと……尻込みしてて……」
「……で、一緒に行ってくれないか、って事?」
「ま、まぁそうだね」
どうやら萎縮しているらしい海斗君に、少しこれからの予定を考えた上で笑いかけた。
「……多分用事入ってなかったと思うし、明日明後日あたり行ってみる?」
「! う、うん、ありがとう!」
そんな会話をして、川を渡った辺りで海斗君と別れた。脳内の予定表に明日の事を書き加えながら一昨日凪を発見した場所を通り過ぎ、家が見える所まで来て――
「……何だろう、また何か忘れてる気がする」
思わずボソッと呟いた。いつもの事ながら、漠然と何かが抜けてる気がする上に、それが何かなのかが分からない……何だろう。
大抵こう言う時ってさして時間も食わずにそれが何か分かるけど、それが分かるまでは凄くモヤモヤするもので、この時も例に漏れず悶々とした気持ちを抱えながらビルのエレベーターに乗り込む。
がしかし、いつも通りの景色を余所に首を傾げながら鍵を開け、廊下の先のリビングの扉を開けた瞬間、忘れている物の存在すら忘却の彼方に押し流され、呆然として扉を開けた状態で立ち止まった。
「え……何、どゆ事、これ」
一言で言うなら、部屋がジャングルになっていた。
扉から入って一番手前にあるダイニングテーブルはコケのような緑色の植物で覆われているし、地面には踝ぐらいの高さの植物が地面が見えないほどに生えていて小規模の草原みたいだ。
この部屋は四隅の柱が半分ほど露出している設計なのだが、その柱は元の柱の太さに比例した木へと変わっていて、元々壁からはみ出したりしている所も木の幹になって、天上を木の枝と葉で覆い隠していた。壁からは蔓科の植物らしきものが所構わず生えていて、物によっては元柱の木にグルグルと巻きついているものもある。
そして一番の不思議なのが――壁や天井を覆いつくしている蔓などの植物は、確かに壁や天井を覆ってはいるものの完全ではないので、本来なら元の白い壁やら天井が見える筈である。
しかし、植物と植物の間の隙間には白い色など見えず、まるで空洞があるかのように奥が見えるのだ。奥には勿論植物たちが生い茂っているのが見える。
いくらなんでも僕が出ていってまだ8時間ちょっとの筈だから、こんな植物たちなど育つ時間なんて足りない筈だしそもそも鍵が掛かってる筈だし合鍵があったとしてもこの部屋だけジャングル化する理由が分からない――とそこまで考えながら壁の木から生えているキノコに触れようとして、手が空を切った。
「……え?」
スカ、スカ、といくら触れようとしても触れる気配がない。と言うか、いつも見慣れている室内の壁に触れている感じがする。
これは、
「……ホログラム? でもどこから……」
そう見えるのに、触れないこの感じはホログラムと一緒だ。と言うか多分そうだろう。そうなれば、どこかにホログラムを発生させている機械がある筈なのだけど……と、周囲を見回してみるものの、ホログラムの所為でどこから投影されているのかが分からない。
とそこで、自分の腕に遮られ、壁の一部にホログラムが投影されていない場所が出来ている事に気がついた。
「うん? てことは……」
遮られている方向から逆算して光源を探ると、どうやらダイニングテーブルの奥、ソファとテレビの間に置かれている低いテーブルの上かららしい。ともかくと荷物をダイニングテーブルの上に置き、何置いてたっけ、と考えて――漸く、何を忘れていたのかを思い出した。
「……あ。これ、《ORS》が作り出してる……の、か? でも何で……」
そう言えば、朝出るときに充電しっぱなしにして行った筈で、原因としてはそれしか思いつかない。
ものの、何でこんなものを発生させているのかが訳ワカメである。充電が終わったのなら、ただオレンジ色に点灯していたランプが他の色(多分青とか緑)に変わっているのかなー、とは思っていたけど、ホログラムを投影しているなんて脈略がなさ過ぎる。と言うか部屋にあわせてホログラムを投影するなど、どう考えても演算能力の無駄使いな気が……。
そう思いながら本当に光源だったらしい《ORS》を手に取って、光が収まらない事にどうしようか悩んだものの、そのままとりあえずカチューシャとして付けてみる。
……が、つけてもホログラムが消えないのはどうすればいいんだろう……と思った直後。
≪ルプス様ぁ~ッ!! 何で《ORS》をつけてないんですかッ!!≫
「うわ!?」
目の前にいきなり出現した妖精――ナノの声と行動に驚いて思わず仰け反る。
「は、え、ナノ!?」
≪はイ、貴方様の隣にいつでもどこでモ! 忠実なシモベ、ナノでございまス!! ……ガ、ちょ――っと文句を言わせてくださいルプス様! 何故《ORS》を外されたまま放置なさったんですカ!!≫
出現してそうそう、僕の鼻の頭に付きそうなほどの距離でそうまくしたてるナノ。近いのとテンションの高さに目を白黒させた僕は、とりあえず聞かれるまま答えた。
「え、えっと……電池残量が5%を切ったから、充電してたんだけど……いつ充電終わるか分からなかったし、ナノも居なかったからそのまま学校へ……」
≪充電してタ! 充電してましたカ!! それじゃ仕方ないですネ!! ないですけどモ――≫
返答に間髪入れずに返したナノは、そこで一度息を吸い――怒濤のように続けた。
≪――曲がりなりにも今日がβテスト初日なんですかラ、せめて出かける時点で電源入れてみればよかったじゃないですカ! 私一応ルプス様が起床なされる7時ぐらいにはもう万全バリッバリで待機してたのデ、そこでどうするか相談できたと思うのですガ!!≫
「え、あ、そ……それもそうだね。別に充電してる途中で電源入れちゃ駄目なんて事ないんだし……」
≪そうですヨ! しかモ、8時前の時点で充電は50%を超えてたので正直学校行って帰ってくるぐらいならば普通に充電持ちまス。行く前にせめテ! せめて確認していただければ助言しましたのニ……ッ!!≫
ウガー!! ……と誰でも分かるほどに怒り狂って、数秒嘘のように沈黙する。
顔がどんどん近づいてくるのを押し留める為肩の辺りまでホールドアップした体勢のまま何も言えず僕も沈黙していると、ナノはやがて疲れたように肩を落とした。
≪と言うカ……そこは充電しときましょうよ寝てる間とかニ……≫
「……うん、次からはそうしとく……」
聞けば、ナノは大抵僕が寝るまでは僕についていて、僕が寝た後本社の方に戻り報告やらなんやらをして、起床する時には大概戻ってきているそうだ。が、今日は電池残量騒動(?)で起きてすぐに電源を切ってしまった上、ナノ本人も戻ってきていなかった為に助言が出来なかった等々……。電源が入っていればまだどうしようもあったらしい。
元々《ORS》は充電が満タンになると勝手に起動するらしく、その後僕がつけていない事に当然気がついたナノは、それならせめてと演算能力の確認ついでに部屋をジャングル化してみたのだとか……。
「と言うか何でジャングルなの」
≪何となくでス≫
「……何となくでジャングル化するの……?」
≪まぁと言うのは嘘ですガ≫
「嘘なの!?」
しれっとそう嘯くナノに呆れつつ、何度目かのナノのAIらしくなさに感心する。表情豊かでハキハキと喋るナノは、AIよりも人間と言われた方がしっくりくるレベルだが、本人曰くAIらしい。
僕がそんな事を考えているとは露とも知らないのであろうナノは、何故ホログラムを投影していたかの説明を事細かにしてくれた。
≪今日のマッピングテーマは『ジャングル』なんですヨ。一応脳にデータを送る方が楽なのはそうですガ、私は《ORS》の方の技術確認も任されてましテ……《ORS》の方の機能であるホログラムの確認もこの機会に済ませてしまおうかナ、卜≫
「そうなんだ……と言うかホログラムの機能、《ORS》の方のなんだ……」
僕が《ORS》をつけてから、いやナノが飛び出してきてからホログラムではなく『ハーフダイブ』の方に切り替わったのであろうジャングル状態の室内を見回し、触ってしっかりと実感があるのに感心する。さっきは完全にすり抜けていたが、本当にこの《ORS》はハイスペックを通り越してオーバースペックだ。
とふとここで、先刻ホログラムで向こう側があるように表現されていた、植物と植物の奥はどうなっているのだろうと思い、問題の箇所に手を突っ込んでみる。
うろみたいに見えるその場所の半分も行かずに本当ならば壁に手が当たる筈だが――手は、確実に部屋の壁が当たる地点を通り過ぎ、奥の木の幹に触れた。
「あれ……一応壁に当たる筈なんだけど……」
そう呟くと、僕同様うろの中を覗き込んでいたナノは振り返って説明してくれた。
≪簡単な視覚と触覚の誤魔化しですヨ。……今、ルプス様は指先が壁より奥にある筈の植物に触れていル、と認識されてますよネ≫
「うん」
≪ですが本当ハ――いエ、見てもらった方が早いですネ。ルプス様、ちょっと《ORS》を頭から引っこ抜いてくださイ≫
「え、大丈夫なの? 頭の方に悪影響が出たりとかは……」
≪私がいるんですから大丈夫でス。どういう状況か理解されましたらつけ直してくださいネ≫
「……分かった」
ナノの自信満々な様子に押され、木に触れている方の右手はそのままに、左手を使って《ORS》を掴んで一気に引っこ抜く事に。
「……せーの」
ブツン!
……という音が実際に聞こえたわけではないけれど、頭から《ORS》が離れた途端、サァッと砂が崩れるように幻の風景が消え去る。
こんな風に消えるんだ、とちょっと感心した所で、ふと右手に視線を向けてみれば――
「……え?」
思わずそんな声が漏れた。
《ORS》を装着していた間は普通に指先のみが壁に触れていたと思っていたのに、今外してみればあら不思議。
右手の指が曲がって、第二関節と第三関節の間が壁に当たっているじゃないですか!
「いや、そんなキャラじゃないけど、……ってあー、実際の距離を考えるとこうなるの、かな?」
セルフツッコミに虚しさを感じつつ、よくよく考えてみればそういう事だよねと納得する。周囲の環境がベースなら、壁の奥に生成されていたうろは偽物なのだからそうなっている筈である。第二関節と第三関節の間が触れている感触を無くし指先のみに触覚を再現し、視覚もそれに準拠したものに変えてあるだけ、と言えば普通だが、その再現が本物と見分けがつかないのだから凄い。
ここでふと、この部屋に第三者が居れば、僕は独り言をブツブツ言いながら壁に手を押しあて、《ORS》を引っペがしたかと思えば1人で納得している不審者だという事に気がつく。
更によくよく考えればβテスト中はずっとこんな状況を他人に見られる事になる事も理解して頬が引き攣った。これ、実際に発売されれば持ってる人と持ってない人で凄い隔たりが出来る事になるんじゃ……。
まぁ僕が心配する事ではないのかもしれないけれど、と思いつつ手を壁から離し再度《ORS》をつけ直す。
フワッとベールがかかるように、先刻砂上の楼閣の如く消え去った上書きされた風景が蘇る。その上書きが完了した後どこからともなく現れたナノは、ニヤッと小悪魔的に笑って聞いてきた。
≪理解して頂けましたカ?≫
「うん、凄く。でもこれ、上書きのされ方によっては危ない事になったりするんじゃ……ほら、穴が開いてるのにそれを上書きしてたりとかしたら、気づかずに落ちたりとか……」
≪大丈夫ですヨ、上書きはあくまで現実準拠でス。穴が空いていれば穴が開いている周りを上書きするのみデ、使用者様に危害が加わる可能性のあるような上書きの仕方は絶対にされませン。というか私達《サポートキャラ》は現実と上書きされた風景が重なって表示されているのデ、もしそう言う状況が起こったら直ちに本社に問い合わせる事が出来まス。その為の私達ですかラ……気づかずに進んで穴に落ちかけたとしてモ、その時は警告と共に上書きされた風景が消えるようにもなってますからネ≫
「なるほど……安全第一だもんね」
頷く僕に今度は普通に笑ったナノは、俄然張り切りだしてこう、言った。
≪それじゃルプス様の疑問も解決なされた所デ、今から外へ行きましょウ!≫
「……え、今から!?」
≪ハイ、今日は全く出来てませんしネ! さぁ行きましょう今すグ! ナウ!!≫
そういうナノに押され、僕は服を着替えて出る羽目になったのだった。
……宿題、今日出せなかった分やらなきゃいけないんだけど……数学……。
以上です。
遅かった申し開きは活動報告の方でしてるので、できればそちらを見てください。
また、感想、誤字脱字等ありましたら感想へ宜しくお願いします。
なお後半のナノの怒りシーンは「問題児が異世界からくるそうですよ?」の某帝釈天の眷属様の影響を受けてます絶対。書く前に読んでたので……。
……うん、確かに遅かった。