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第 8話 「七番目の国 聖人(せいじん)の国」

「お帰りなさい」


「いやあ、恐ろしい国だった」


「そうですか。ところで、次の国は何処ですか?」


「それが聖人の国…だそうです」


「聖人の国ですか」


「ちょっと変だと思うんですが」


「どこが…ですか?」


「だって、それが悪い国なんですか?」


「推薦者が居る限り、それは悪い国ですね。これはルールです」


「それにしても妙なのは、嘘つきの国で聞いた2つの国のもう一つでもあるんですよね」


「そうでしたね」


「2度も出てきたと云う事はやっぱり悪い国なのかなと」


「悪い国の定義にヒントが有るのかも知れませんね」


「つまり、善人は悪人にとって悪人…って事ですか?」


「さァ、どうでしょう? では、私は準備がありますので」


 ガイドは、謎だけを残して去って行った。


 いかにも悪い国なら、最強呪文で滅ぼすのも、さほど抵抗はない。しかし、良いと思える国を滅ぼす事なんて出来ようか。それがルールであろうと。たとえ任務であろうと、自分の良心に逆らってまで行う必要があるのか? 無いんじゃないのか? もし、任務の失敗で仕事人の仕事を失おうと、自分が守るべき物は守ったと云う自尊心で生きて行けるのではないだろうか。そんな結論が出たら、何か気が楽になった。

 ソファーの上で、眠りに落ちた。


 目が覚めたら、昼の日差しだった。


 ガイドが起こしに来たのだ。


「まもなく聖人の国に着きます。これが新しい封書です」


 封書には


「聖人の国 ドロス」


 と書かれていた。


「今度も何か持って行くのですか」


「いえ。今回は有りません」


「そうですか…」


 ホームに降り立った。古くて小さな駅舎で、随分と年代物のような感じであった。


 駅前に出た。とてもみすぼらしい小屋が軒を連ねて並んでいた。


 小屋は全て開け放たれており、中をチラと観ると、坊さんが座禅を組んで座っている。或いは地面に身を投げ出して何か念仏を云っている。または、何かの像の様な物を必死に拝んでいる。


 なるほど、坊さんの国か…。そうなると、ありがた過ぎて、滅ぼすことは出来そうもないな。小屋の列をずっとながめては通りの奥に進んだ。小屋も一段と荒れ果てており、中の坊さんも既に亡くなって、仏さんになっている者もある。或いは風化して、形さえ崩れているものさえ。


「うーん、ちょっとやりすぎと云う気がするな」


 通りを更に奥に進む。すると、急にパァと開けて、きらびやかな寺院が目に入った。正面の門が開け放たれていたので、そこから入った。


「どなたじゃ」


 オクターブの高い声が問い質した。振り返ると、朱の絹織物に金糸の刺繍をした坊さんが立っていた。思わす有り難くなったので、腰を低くして答えた。


「失礼いたしました。わたしは諸国を旅する者です」


「それは遠方よりご苦労な事ですな。客人をもてなすのは仏の心。どうぞ、こちらにお入り下さい」


「恐れ入ります」


 案内された応接室は、やはり朱を基調とし、金と黒をあしらった内装であった。厳かな中にも煌びやかさが光り、落ち着いた香も漂って、この世の極楽と云った雰囲気であった。黒檀のテーブルと同じ材料の背の高い椅子が用意されており、座ると、召使いの美女が、お茶を運んできた。模様を抑えた青磁の器と黄金色に輝く茶は未だかつて観た事のない高貴な雰囲気を醸し出していた。


「まずはどうぞ」


 案内した坊さんが云った。有り難く頂戴した。


「所で、この古寺にどんな御用かな」


「人を捜しています。ドロスと云うのですが」


「ドロス…。知らぬな。ここには居らぬ」


「そうですか」


「もし彼に会ったら、何を頼む積もりだったのかな」


「ちょっと質問がありました」


「左様か。もし、その者がここに来たなら、尋ね人が居たことを伝えておこうぞ」


「宜しくお願いします。それはそうと、ちょっとお伺いして宜しいですか?」


「何なりと」


「駅前で見掛けた小屋と、この立派な寺院の差が大きすぎてビックリしたのですが、どうしてそんな差を付けているんでしょうか?」


「ははは。それは明らかなこと。小屋は修行僧が自らを鍛えている場所。贅沢は無用じゃ。そして、ここは他国の僧や旅の人々も利用する場所じゃ。粗末では客人に失礼であろう」


「なるほど。そうですよね。意味も知らず、大変失礼しました。良く判りました」


「そうか」


「失礼とは存じますが、もう一点だけ宜しいですか」


「何なりと」


「これだけの立派なお寺を維持するためには膨大なお金が必要と思われますが、それはどうしているのですか?」


「ははは、これもまた明らかなこと。この寺も、駅前の小屋も全ては信心深い国民の浄財や、外国からの僧たちの寄付によって成り立っている。まことに有り難いことではないか」


「なるほど、素晴らしいですね。どうも有り難うございました」


 寺を出て、再びドロスを捜しに、市街地に向かった。しかし、何処まで行っても、華やかな町並みは見当たらない。駅前の小屋と似たり寄ったりの状態である。

 店に行った。魚屋と思われる。しかし、肝心の魚が殆ど無い。フナやどじょう、巻き貝の仲間がちょっと置いてあるだけである。しかも、値段がとんでもない。1000ゴールドの単位である。つまり、庶民は魚が食えない。


「ちょっと、伺いたいのだが…」


「何でしょう?」


 店員も坊さんである。


「魚が少ないし、値段も高い。これはどうした事か?」


「ははは。これは明らかなことです。貴方は外国の方ですか。我が国は偉大なる上人様の統べる国です。上人様とは聖人の中の聖人。天上に最も近いお方です。その教えが我が国を極楽浄土に最も近い国へと導いているのです。そして、上人様は殺生を禁じております。仏の教えでは当然です。しかし、上人様はおっしゃられました。それでは民が飢え死にしてしまう。仏には法と慈悲がある。法を守るのは当然だが、慈悲も大事である。よって、採りすぎにならないよう、限られた者に漁をすることをお許しになりました。私たちは、それで魚を食する事が出来るのです。なんと云う広い慈悲でしょう。値段が高いのは止むを得ない事です。慈悲に値段を付けることは出来ません」


「はぁ、なるほど。しかし、少なすぎる魚は、国民に飢えを強いると思うのだが」


「国民は飢えては居りません。彼らは上人様の教えを十分に理解し、その教えに従って日々満足して生活しているのです」


「そうですか。いや、失礼した」


 とても、そうは思えないと云っても埒があくわけではないので止めた。八百屋も同様であり、肉屋に至っては、小鳥の胸肉しか置いていなかった。殺生の禁止、宗教上の理由で、鯨、牛、馬、豚、猿、犬、猫はもとより、ウサギ、鶏すら禁止されていた。

 端的に云うと、食べる物がない。全て禁止されていて、有っても食べてはいけない。たとえ食べて良い物が有ったとしても、慈悲に値段は付けられないと云う事で、法外な値段が付いている。しかも、食料の生産から流通まで牛耳っているのは坊さんたちである。

 食料だけではなく、衣料品、雑貨なども同じであった。一般人は、着る物も、住む場所もなく、いつも飢えているのは明らかだ。

 霞を喰って生きて行ける仙人ならいざ知らず、一般の人間にとって、この戒律は余りにも過酷であった。


 繁華街と思われる通りの一本裏道を通った。ボロ布に身を包み、骨と皮にやせ衰えた人々が、目だけぎらぎらさせながら、怯えた様子でこちらを観た。ふと、彼らの足元を見ると、骨が散らばっている。その大きさと形は明らかに人間の物である。


 なんてこった。飢えの余り、死体を喰っているのか…。


 目をそらして、大通りに戻った。大通りを歩く人々は、一様に肥え、生きた仏の様な清々しい雰囲気であった。大半が坊さんであったが、軍服をまとった者、ドレスのような煌びやかな服装をした者も居て、先ほどの光景とは別世界であった。


 これが、これが聖人の国の真実か…。しかし、なぜ国民はこんなひどい状態を放置しているのだ。


 先ほどの裏通りの方で、悲鳴が聞こえた。駆け足で、そちらに向かった。すると、赤い法衣を着た坊さんの一団が、通せんぼをしている。


「どうしたんですか?」


 一団のリーダーと思われる坊さんが進み出た。赤い法衣に黒の線が何本か入っている。彼は爽やかに答えた。


「問題有りません。上人様の教えに背いた者が居りましたので、捕らえて指導しようとしている所です」


「そうですか」


 すると、鈍い衝撃音と男の断末魔が聞こえた。


「どうしたんですか」


「問題有りません。これから寺に連れて行くところです。ご心配をお掛けしました。さァ、通行して構いませんよ」


 チラと走らせた、私の視線の先には、力を無くした肉体が、無造作にトラックの荷台に投げ込まれているシーンがあった。或る確信が生まれた。


「それはそうと、ドロスさんに逢いたいのですが…」


「ドロスは誰にも会いません」


 ほら。やっぱり居るんだ。


「では、伝言だけでもお願いできませんか」


「どんなでしょう」


「質問ですが、この国よりも悪い国は何処か」


「ははは。これは明らかなことです。我が国は天上に最も近い国なのです。我が国より悪い国は、つまり全部と云う事ではないですか」


「ま、そこの所を、ドロスさんに聞いて頂きたいのですが」


「そういう事でしたら、一緒においで下さい。ひょっとすると、ドロスは逢うかも知れません」


「それは有り難い」


 私は、坊さんの一団と共に、専用の赤いハーフトラックに乗せられた。この国でこんな車両を使っているのはやはり坊さんだけであった。市街地を出た。行く先はと云うと、先ほどの立派なお寺である。


「やっぱり、ここに居たか」


 私は心の中でうめいた。


「暫くここでお待ち下さい」


 坊さんのリーダーが応接室に案内してくれた。そこは何と云う偶然か。先ほどの応接室だった。



「…つまり、私が、貴方の探していた人物だったわけですよ」


 突然、オクターブの高い声が背後から入ってきた。先ほどの坊さんだ。


「え。貴方がドロスさんですか」


「その通り。私はこの国の闇の部分を支配する組織の頭です。まァ、ここまで喋ったという事は貴方は生きてこの国を出られないと云う事ですがね」


「な、なぜですか」


「ははは。これは明らかなことです。我が国の知られたくない部分を知ってしまったからですよ」


「そ、それは…」


「この国には明部と暗部がある。仏の教えを忠実に実行することにより、天上に最も近いと自他共に認める部分。それと、仏の教えを忠実に実行すると、国としてはやっていけない。だから、その辻褄合わせをする部分。これです」


「やはり、飢餓が問題だったんですね」


「その通り。飯を食わずにどうやって生きて行けと云うのか。人間は生き物だ。喰う、寝る、ひり出す。これが生き物。所が、殺生はするな。しても良いが僅かにしろ。木は切るな。切っても良いが僅かにしろ。水は汚すな、空気は汚すな、蟲は殺すな、草は切るな。これでは人間が生きて行けないではないか。しかし、天上に最も近い国と云う大義名分を下ろすわけには行かない。だったら、どうする。国民には飢えを強要し、旅行者は略奪、しかして最後は喰ってしまう。そして、全ての資源は寺と僧の極上の生活のために使う。私はそれを実行する組織の最高責任者ってワケです」


「なんと云う愚かな…」


「批判することは簡単ですよ。問題は、その教義と国家運営が両立しないと云う絶対矛盾なワケです。さて、私の説教を聞くのも苦痛でしょうから、そろそろ浄化して差し上げましょう」


「その前に、先ほどの質問の答えを聞きたい」


「ほう? ああ。ここよりもっと悪い国ですか。そんなの有るワケ無いじゃないですか、ここが最低なんだから」


「見識のある貴方だったら、一つくらい挙げる事が出来るでしょう」


「ふむ。まァ、ゴミの国ですか」


「エントルゥザンク、召喚!」


「え?」


 途端に、国中の空気が無くなった。生き物は血を吐いて死に、やがて、周辺からなだれ込んできた大量の空気の超音速の衝撃で、建物や地面、かつて生きていたもの、全てが粉みじんに潰された。圧縮の衝撃は今度は熱の塊となって膨張し、国中を光芒の中に叩き込んだ。


 私は、真空よりも早く、列車に戻された。


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