屋上で自殺しようとしたのですが、”先客”がいました。落下防止柵によじ登る”先客”が。
「知ってます? この学校は死神が出るんですって」
「えー、怖いですわ」
「いなくなってほしいですわ」
シャノンの机を令嬢たちが囲っている。
その中のリーダー的存在のエレナが、にっこりと笑った。
瑠璃色の瞳に艶やかな金髪ロングが良く似合い、引き締まった小顔に、鼻はリスのようにちんまりと、ピンク色の唇はぷっくりと潤っている。だけど瞳は血のように残酷だった。
彼女はシャノンの顔を覗き込む。
「シャノンはどう思いますの?」
シャノンは凡庸な黒髪の下、琥珀色の瞳を伏せて、かさついた唇をきゅっと結び、真っ黒な机をじっと見つめていた。
『死神』『人殺し』『疫病』『死ね』
シャノンは生まれた時から、死が可視化できた。
例えば、エレナは死の影がかなり薄い。
恐らくあと90年は生きるだろう。
シャノンは、この能力のことは誰にも言うなと親に言われていた。
しかし、どこからか情報が漏れてしまい噂になってしまった。
つまり、この純白の机は噂だけで真っ黒になったのである。
彼女は胸元のシャツをぎゅっと歪ませた。
(噂、だけど事実なんだ。私は死神――死が見えてしまうから……。いなくなった方がいいのかな……)
エレナは噛んで吐き出すように言い放った。
「本当に、死んでしまえばいいのに」
*
シャノンは屋上へのドアを開けた。
彼女は目を見開く。
そこには先客がいた。
落下防止柵をよじ登る先客が。
気づけばシャノンは走り出していた。
「だめ、自殺しちゃだめだよ!」
顔を包帯で覆った背丈の高い、体格ががっしりとした男がこちらを向く。
(止めないと……!)
シャノンは彼の腰に抱き付いた。
「わっ、離せよ!」
「や、やだ!」
「力つよ……」
男の手が、金網からだんだんと離れていく。
「ちょ! わかったから!」
「考え直して! まだ希望はあるはずよ!」
刹那、金網から男の手が外れた。
「きゃあ!」
「いてっ」
男は包帯が巻かれた頭をさすりながら起き上がる。
透き通った青い瞳がこちらを見据えた。
「大丈夫かよ」
「あ、はい」
二人は縁に座りこんだ。
(どうしよう。彼をこのまま放っておいたらまた――)
「あっ、すみません。死神といると嫌ですよね……」
彼は、乾いた笑い声を上げた。
「それはジョークか? 死のうとしたやつが死神といて嫌な理由がどこにある。それに、噂を鵜呑みにするような猿じゃないよ」
シャノンは斜め上過ぎる返答に唖然としてしまう。
彼女は幼い時から、疎まれてきた。
子供、親までもが彼女と同じ空間にいることを毛嫌いし、彼女が触れたものも汚らわしいと苦虫を潰したような顔になった。
だから、彼女にとってこれは奇妙な事態なのである。
(一緒にいていいだなんて、なんだか不思議な気分)
「どうして……自殺しようと思ったんですか?」
「授業中にわざわざ屋上に来た君が言えることかい?」
「うっ、そうですね……」
(やっぱり変なことを言ってしまった)
彼は顔に巻かれた包帯をぱさりとほどいた。
その顔を見て、言葉が消えた。
ダイヤモンドのように白く輝く銀髪、王宮に飾られる絵画の如く整った顔立ち。だけど大きな黒い炎のような痣で肌の色が見えない。
彼は寂しそうに深い氷のような色合いの目を細める。
「この痣のせいで、俺はあと半年しか生きられない。やりたいことができないんだ……。だけど俺の周りにいる奴らはみんな、俺よりずっと長生きできる。羨ましくて、悔しくて、憎々しくて、仕方がないんだよ」
シャノンは、理不尽だと思った。
(私みたいな奴が生きることができて、なぜ彼のような人が生きることができないの)
(どうにかできないだろうか)
「ちょっといいですか」
「あ、ああ」
シャノンは彼の顔の痣にそっと触れる、まるでカーテンを押したかのように、その先に指先が入った。
(あの炎を消せるかもしれない)
「いたっ」
「? 大丈夫か?」
「肌……」
彼の頬、わずかだが白肌が見える。さっきまで真っ黒だったのに。
彼は眉をひそめた。
「お前……その頬どうした?」
スカートのポケットから手鏡を取り出す。
「あ、痣ができてる」
「すまない。俺ができることなら何でもしよう」
「か、顔を上げてください。私が勝手にやったことですから」
怒りなんて湧いていない。むしろ、嬉しいくらいだ。
(人の役に立てる)
シャノンはずっと厄介払いされてきた。だから、誰かに必要とされて、自分の存在する理由を知りたかった。
「もしよければ、その痣、全部くれませんか?」
「……言ってることが分かってるのか? 半年で死ぬんだ」
「はい」
「……何を企んでいる?」
「私のやりたいことなんです」
シャノンは天真爛漫の笑みをみせた。
男は唐突に俯いてそっぽを向く。
彼の肩は震えている。
嬉しさを噛み締めるような声が聞こえた。
「本当に、本当にありがとう。俺には君が噂とは真逆の聖女様にしか見えないよ。何かして欲しいことがあったら遠慮なく言ってくれ。俺は2年のルイス・アルフレッドだ。ルイスでいい」
「1年シャノン・クロドケルと言います。好きに呼んで構わないです」
(ルイス・アルフレッド……どこかで)
その後、ルイスの痣に触ったが、酷い倦怠感を感じた。
だから明日の放課後でいいかと恐る恐る聞くと、快く受け入れてくれた。
なんでも、希望が見えただけで十分だそうだ。
二人が屋上で集まる日々は続いた。その度にルイスの痣が消えていく。
「ルイスのやりたいことはなんですか?」
「小説家になりたいんだ。親には大反対されてるけどね」
「いえ、いいですね、小説家。毎日ファンレターとか来るんですかね」
一所懸命にペンをはしらせるルイスをシャノンは想像すると、まるで自分事のように微笑んだ。
しかし、彼女の顔には小さな陰りがあった。
「いつか、私をモデルに書いていただけますか?」
自分の死後、世界が自分を忘れてしまうんじゃないかと心配だった。
「ああ、言われなくても。シャノンは俺の人生に大きく関わってるから、嫌でも書くよ」
「……ありがとうございます」
シャノンを眺めるルイスの瞳は、濁流のように思いが渦巻いていた。
学校生活では、いつも通りセレナたちが煩かった。
「最近、死神が下僕をつれているそうよ。死神らしく墓から蘇ったミイラですって」
エレナのしゃくりあげるような笑い声が教室中に反響する。
何かと、生徒たちの目が一斉にこちらを向いた。
シャノンの肩がびくつく。
エレナがよくするやり口だ。
最近、余命半年の男と婚約させられて、ストレスが溜まりに溜まっているという。
皆に聞こえるように、大きく明瞭な声でエレナたちは続ける。
「ミイラって臭そうだわー」
「なんでも、ハエが漂う浮浪者の匂いがするそうよ」
「や、やめなよ。彼は顔に痣があるだけなの」
エレナたちが目を見開いた。
1年間のいじめで、初めてシャノンが言い返したのである。
「そ、そういえばここ臭いわねー」
「さっさと離れましょう」
「じゃあいきますよ」
「頼む」
シャノンは炎を握り、耐えるように唇を噛む。
身体が蝕まれていく感覚が手先から伝わってきた。
(まだ、いける……!)
シャノンがふらりと傾いて、ルイスの肩にぶつかってしまう。
そのまま地面にぶつかりそうになると、ルイスが両肩を掴んで支えてくれた。
「ありがとうございます」
「無理をしないでくれ」
痣が消えて露わになった、くすみひとつない白い肌をシャノンは満足げに眺める。
でも、
(なぜ悲しそうな顔をするの)
理解できなかった。
次の日、シャノンは倒れた。痣を取り込み過ぎたのである。
彼女のやりたいことを邪魔してはいけないと思っていたルイスは酷く後悔した。
「くそ、俺はなんて愚かなんだ! 自分の気持ちに気付いてたのに……!」
彼女の首はすべて、痣で埋まっている。
ルイスは彼女の両足下と首下に腕を通して持ち上げると、保健室へ走った。
人混みを分けていく。
「やだ超タイプだわ」
「私も背負われたい」
「背中にいるのって、死神じゃない?」
「なんであいつなんかが……!」
ベットにシャノンを寝かせる。
数分後、シャノンが静かに瞼を開いた。
目の前にはルイスの顔がある。近い。
「ルイス……ここは?」
「シャノンが痣をすべて取り込んで、倒れてしまったんだよ」
「そう、ですか。迷惑を」
「なぁ、シャノンの痣、半分俺にくれないか」
「……嫌、です」
(私の存在はそこにしかないのだから)
ルイスは口をきゅっと結んだ。
「俺のやりたいことは、シャノンに俺の夢が叶うところを見ていてもらうことだと言ってもか?」
「え」
(まだ、私を必要としてくれるの?)
涙が目尻から耳へと流れて、枕を濡らす。それは途絶えることを知らなかった。
心のどこかで、知らず知らずに、でも確かに、ルイスと会えなくなることを恐れていた。
扉がガラガラと開く。
「婚約者様、こんなところにおられたのですね! ああなんと、 そいつは死神ですわ! 顔にそんな醜い痣が……遂に本性を現しましたのね! 今すぐお離れになって!」
「そうですわ!」「死んでしまいますわ!」
「シャノンが誰かを殺すところを見たのか?」
「そ、それは」
「俺はシャノンに余命半年の命を命懸けで助けてもらったぞ? どちらかといえば、彼女を自殺に追い込んだきみが死神なんじゃないか?」
エレナは心の中で舌打ちをする。
シャノンが告げ口をしたと思ったから。
「アルフレッドさん、大丈夫ですから」
「大丈夫だ」
エレナは侯爵家のご令嬢。貴族の一人くらい簡単に陥れてしまう。
シャノンはルイスが心配なのだ。
だが彼の声は冷たくなっていく。
「お前、俺の婚約者と言ったな。エレナ・シーベルト嬢だったか」
「はい、《《婚約者》》ですわ」
「エレナ嬢は婚約者のことを、下水に流れる生ごみの臭いがするミイラ呼ばわりするのか?」
「い、いやですわ。それはあなたじゃありませんわ」
「俺だよ」
「え?」
エレナの顔から血の気が引いて、額には大量の脂汗が浮かぶ。
「エレナ嬢は命を狩り取る死神で、俺を陥れようとすることが大好きな悪魔だということが、よくわかった。なぁ、婚約者なら俺が誰だか知ってるよな?」
「じょ、冗談ですわ」
ルイスが手を上げると、窓から、扉から、数十人の人影が現れた。清掃員、警備員、庭師、生徒とさまざまである。
全員、ルイスの指示にしか従わない。
「警備員、エレナ嬢の罪状は?」
「殺人未遂、名誉棄損の罪がございます」
「え、ちょ、噓でしょ」
数人の警備員が彼女を取り囲み、腕に縄をかける。
侯爵家のご令嬢が犯罪者に成り下がった瞬間だった。
「わ、私は侯爵家の令嬢よ! 何をしているかわかってるの!」
「エレナ嬢、まさか手紙を最後まで読まなかったな? ずっと外に出なかったが、これでも一国の王子なんだが……」
心配なんていらなかったなと、シャノンは思った。
(一国の王子が小説家……)
その後、エレナが捕まったという噂が瞬く間に広がり、シャノンの背後には王子がいるという噂も広がった。
シャノンはルイスへ痣を半分移動させた。
痣に慣れているのか、彼にシャノンのような副作用は起こらなかった。むしろ「これで君と一緒だ」と花が咲くように笑ったという。
ルイスのデビュー作『痣に感謝を』は、劇に使われるほど大ヒットし、痣を見れば「恋してるの?」と冗談を言うのが流行した。
もし、二人が出会っていなかったら、どうなっていただろう。
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