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短編 トレック・バウハーの憂鬱な休日出勤 4話


 その子どもは4歳の男の子で、名はアークスだという。


 試験中も入口に職員がずっと張り付いていたわけではなく、鍵がかかっているわけでもないから、入ろうとしまえば入れてしまうだろう。

 体育館の建物は、渡り廊下でつながった離れの第二体育館も含めると結構広い。適当に探し回って見つかるとも思えない。


 母親は一緒に来ている友人たちと外を探し直すということで一旦戻り、建物内は確認すると約束はした。


「また館内放送で呼び掛けてみようか」


 そんなことをすれば今まさに行われている試験に水を差すことになるのは明白だが、子どもの安全には代えられない。

 マティアスにはまた文句を言われるだろう。しかし一応はこの場の責任者である彼に了承は得ないといけない。

 とりあえず、マティアスがいるであろう試験会場に急いで向かおう。

 トレックからはろくな返事もなく、案内表示を貼るときに使った建物図面をじっと睨見ながらついてくるだけだった。

 

 マティアスのいる部屋はこっちだろうかと少し悩みながら進んでいると、廊下の突き当たりからティーバがぶらぶらと歩いてくる。


「どうしたの?」

「ティーバ、4歳くらいの男の子を見なかったか? この中で迷子になってるかもしれないって」

「男の子?」

 母親から聞いた特徴と名前を伝えるが、ティーバは首を傾げた。

「今ぐるっと回ってきたけど見てない。探すにしてもだいぶ広いよ、ここ」

「だよな。だから館内放送で呼び出そうと思って」

「試験中にか……まあそれが早いだろうな」

「とりあえず俺探しに行くわ。放送の方は任せる」

 トレックが図面をポケットにねじ込みながら言う。

「さっき貼紙したときに、建物の中は見てきて覚えてる。子どもが入れそうなところもいくつか見当がつく」

「え」

 あの短時間の作業でこの会場の造りが頭に入っているということか。

 自分には信じられないが、その間にもトレックはさっさと進んでいく。

 反射的に追いかけていた。

「俺トレックと行くよ。ティーバ、マティアスさんに放送のこと話し通しといて」

「え、あの人に……?」

 ティーバは微妙な反応をしたが、「俺が言うよりいいだろ」と言うと、何かを飲み込むようにして小さく頷いた。

 自分を卑下するつもりはないが──“杖無し”であることは何においても不利に働く。時間がない時に面倒な話を持っていくのは、別の人間に任せる方が賢明だ。


§


「トレック、見当はついてるって?」

 廊下にいた他の試験スタッフの職員が怪訝そうな視線を送ってくるが、今は無視をした。

「4歳のガキが」

 トレックは迷いなく足を運ぶ。

「かくれんぼとはいえ、そんなに長い時間じっと黙って隠れてられると思うか?」

 言われてみて考え、「いや」と答える。

「普通なら怖くなったりした出てくるだろ。でも出てこない。ってことは出たいのに出られなくなっているのかもしれないよな」

「確かに……」

 あまり考えたくないが、思いついた可能性を口にする。

「どこかに閉じ込められちゃったとか?」

「4歳だぞ。そんなら泣いたり喚いたりするし、下手すりゃ魔法を暴発しかねない。さすがに誰かが気づくんじゃねえか」

 確かに、と再び納得する。

 トレックは冷静だ。

 思い返してみれば、トレック・バウハーはいつも大げさで騒がしい男だが、本気で動揺したり慌てたりするのは見たことがないような気もした。

 元調査係なのだ。

 遺跡という危険地に日常的に足を踏み入れる──“優秀な案内人”というバルーの言葉からすれば、トレックはその高い空間把握能力を生かして調査係でも先導役を担っていたのだろう。危機に対する対応力や判断力は常人以上にあるといえる。


 廊下の角を曲がるトレックにただついていくだけで、もはやここはどこで、どこに向かっているのか自分にはさっぱりわからない。


 そういえば放送が流れないなと思う。

 マティアスが渋っているのかもしれない。

 

 ひっそりと薄暗い廊下に出た。

 この辺は倉庫や設備室と表示された部屋が並んでいて、外部の人間が立ち入るようなところではなく、試験に使われるスペースでもない。貸し切りとなっている本日は、人の気配がない。

 一応ドアノブを回して各部屋の扉を確かめるが、どれも鍵が掛かっている。

「ガキの頃、好きだったんだよ、かくれんぼ」

 トレックはひとつひとつ扉に触れながら懐かしむように言う。

「探すのも得意だけど、いい隠れ場所を見つけるのも得意で、いつも最後まで見つからなかったんだぜ」

「……俺はどっちも苦手だったよ」

 そう返すとトレックは「だろうな」と小さく笑い、「第三倉庫」と書かれた一つの扉の前で顔を上げた。

 鍵が掛かっていることを確かめ、強く扉を叩く。

 反応はない。

「ここに?」

「中から魔力を感じる。ちょっと下がってろ」

 トレックが腕をまくる。

「俺の貴重な魔法発動シーンだぞ」

 ドアノブに手が触れた。

 一瞬そのトレックの手が輝き──小さな爆発音と共にドアノブごと外れる。

 内に向けて、トレックが扉を蹴飛ばした。


 暗く埃臭い部屋。ボールの入ったかごやマットなど、体育館で使われる古そうな器具が置かれていた。

 扉横の壁を探り、灯りをつける。

 その奥のマットに──倒れている幼い子どもがいた。

 一瞬心臓が止まりそうになる。

「あ……アークスくん!?」

 駆け寄って確かめると、目を閉じた穏やかな顔で、規則的な呼吸をしていた。

 がくりと体の力が抜けそうになる。

「これは……」

「寝ちゃったんだな」

 背後から、トレックが笑顔で覗き込んだ。

「暗いところに隠れてなかなか見つけてもらえないと、眠くなるんだよ。俺もよくそうで、心配させるなってお袋に叱られたよなあ」

 そう言って、寝息を立てる子どもの柔らかな髪を優しく撫でる。

 

 ようやく、迷子の子どもの名を呼び掛けるティーバの抑揚のない声が、館内放送で流された。

 

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