短編 トレック・バウハーの憂鬱な休日出勤 3話
結果からいえば、トレックのミスは大した問題にはならなかった。
渡された案内が誤っていることに自ら気が付き、正しい会場へと向かった受験者が大半。その他の者も、館内の放送設備を借りて訂正した案内を流すことで、事なきを得た。
しかし本部の試験課職員、マティアスの視線は突き刺すように厳しい。
「君たちは手伝いに来たんですよね。それとも邪魔しに来たんですか」
受付時間は締め切りを迎え、試験開始まで多少の時間があった。
一旦作業の手が落ち着いたところでマティアスに集会室に呼び出され、絞られているところである。
「申し訳ありません」
ティーバと揃って頭を下げ、遅れてトレックも「すみません」と小さく謝った。
マティアスは眼鏡の位置を直し、わざとらしく大きな溜息をついた。
「難しいことはお願いしてないつもりです。手当分の働きくらいしてくれませんかね」
「……俺がミスったんです。すみませんでした。気をつけます」
トレックが再び頭を下げる。
日頃、笑えないミスをしても軽く笑い飛ばすトレックとは思えなかった。
やはりどこか……おかしい。
「やっぱりおまえか。総務でも役に立たないのかよ、救えねえな」
愉快そうに言うのはマティアスの後ろで書類を整理している大男、バルーだった。
「バルーさん」とマティアスが形式的に窘めるが、それだけだった。
「でもまあ」とバルーは続ける。
「逃げずに謝るだけ、昔よりはマシかもな。はっはっ」
「あの、もう」
口元を引き攣らせるトレックを見て思わず、マティアスに向けて言っていた。
「試験の時間が近づいてますから……」
「あなたに言われなくてもわかってますけど」
と苛立たしげにマティアスが立ち上がる。
「片付けまで余計なことはしないで、あとは受験者のお手洗いの案内でもしててください」
言い放ち、マティアスはにやにやするバルーを連れて集会室を去っていった。
扉の閉まる音、そして沈黙が流れる。
トレックとティーバと自分。互いに何かを伺うような、気まずい空気だ。
この静寂を破ろうと口を開きかけたが、その前に「すまん」と大きな声でトレックが言った。
トレックは困ったような笑みを浮かべている。
「つまんねえミスして悪かった」
「トレック、おまえ──」
「大丈夫、切り替えるよ。行こうぜ」
こちらの言うことも聞かずに、トレックは集会室の扉を開けてするりと外へと出て行ってしまった。
残されたティーバを見るが、難しい顔で首を振るだけだった。
「子供じゃないんだ。大丈夫だって言うなら、とりあえず様子を見よう」
「……」
それはもっともな意見に聞こえた。
§
探索士試験は基本的に実技と簡単な面接と聞いている。
雑用の総務係は試験会場である体育館や面接室には入ることができず、マティアスの指示したとおりにトイレに行こうとする受験者を案内するくらいしかすることがない。それすらも、案内表示があるからほとんど必要がない。
試験は午前中には終わるが、それまでのあと数時間。いくら時間分の手当がもらえても、やることがないというのは居た堪れないものである。
遅れてくる受験者がいるかもしれないと、3人で、入口の受付でぼんやりとしていた。
廊下の壁にもたれてしゃがみ込むトレックは、最近あったというくだらない話をだらだらとしていた。
「──それでよ、注文したハンバーガーに肉が挟んでなくて、何だよこれって店員に文句言ったら、“玉ねぎ抜き”を聞き間違えたらしいんだよな。でも肉のないハンバーガー食うやつっているかよ、普通わかるだろ、なあ」
「ああ、うん……」
最初はそれなりに相手をしていたティーバも段々と生返事になっていき、やがて「ちょっと館内を回ってくる」と呟いて、止める間もなく離脱してしまう。
「カギモトおまえ食える? 肉のないハンバーガー。存在価値あると思う?」
「えっ? ああ……食べれるとは思うけど、値段が一緒なら損した気分になるかなぁ」
話を振られ適当に返すと、「だよな」とトレックは何度も頷いていた。そして次の話題を探すかのように「でも」とか「やっぱり」とか呟いている。
「……」
さして中身のない会話をするのはいつものことだが、今日に限っては、トレックは沈黙が生まれないよう無理に話し続けているように聞こえる。
穿ちすぎだろうか。
ティーバが言うように、本人が「大丈夫」だというのなら、それ以上立ち入らない方がいいのだろう。
──俺だってそうしてほしいからだ。
トレックの話に適度な相槌を打ちながら、手持ち無沙汰で何となく本日の作業の資料を見直す。事前配布されていたその資料の綴りの最後には、自分達を含めた今日の参加者名簿がある。
バルー・ウッドランド。
試験課の職員の並びにその名があった。
トレックは当然この名簿を見ていなかったのだろう。もし知っていれば、今日の参加を拒否していたかもしれない。そう思うほどに、トレックとこの職員との間には因縁を感じた。
あの男の言った言葉を思い出す。
“卑怯者のトレック・バウハー”
「──トレック」
例のハンバーガー屋の、今度は可愛らしい店員について事細かに語っていたトレックはぴたりと口を止め、こちらを見上げる。
「何だよ」
「おまえ本当に……大丈夫か?」
言ってから、しまったと思った。
「何でそんなこと聞く?」
トレックは見るからに不愉快そうに眉をひそめる。
「大丈夫だって言っただろ」
「……」
強い拒絶に正直狼狽えた。
「ごめん」と思わず謝り、所在なく外を見やる。
トレックもしゃがんだまま黙り込んでしまった。
──ここにいるのが俺ではなくてソナ・フラフニルだったら。
くすんだ青色の床から視線を上げると、入口の窓からは、日差しを照り返す地面の上で楽しそうに走り回る子どもたちが見える。
ソナならば、壁を作る相手に躊躇いながらも、それでも一歩を踏み出して関わろうとするだろう。
儚げなようでいて強い、あのまっすぐな瞳が、俺には少し眩しく思えてしまう。
俺にはできないが、彼女なら。
「──すみません!」
切羽詰まったような声に、思考が中断される。
入口に駆け寄ってきた少し年上らしき女性。息せ切った様子で悲痛な顔をしている。服装から見ても、受験の関係者ではないようだ。
「どうしました?」
「あの、うちの子が」
一度息を整えるようにして、女性は言葉を切った。
「外で遊んでて、お友達とかくれんぼをしていたんです。でも、探しても全然出てこなくて。この建物に入ったのを見たって子がいるんです。見かけていませんか……?」
立ち上がったトレックと、顔を見合わせた。




