短編 トレック・バウハーの憂鬱な休日出勤 2話
今回の試験の手伝いに西部遺跡管理事務所から参加しているのは、総務係の3人だけ。
今日、自分含めこの3人はいわば、西部遺跡管理事務所の“顔”である。日頃内から外から“掃き溜め”と揶揄される総務係の印象を、今日の働きぶりで多少なりとも良いものにしたいものである。
与えられた仕事は雑務でも何でもしっかりやろうと、そんな心構えではあった。
§
この体育館の敷地には遊具のある公園が併設されている。外に目をやれば、子供たちの遊び回る姿が時折見えた。
入口すぐに置かれた長テーブルで受験者の受付手順を確認していると、トレックが戻ってきた。
「えっ、もう貼り終わったのか」
素直に驚くとトレックは得意気に鼻を鳴らした。
「あったりめーよ。俺を誰だと思ってんの」
「──調査係の優秀な案内人だろ」と野太い別の声がした。
トレックの背後にぬっと大きな影が立つ。
「元、だけどな。トレック・バウハー」
スーツもきつそうな、大柄な黒髪男性がにやりとして言った。
振り返ったトレックは固まっている。
ちょうど机の設置を終えて戻ってきたらしいティーバも、少し離れたところで立ち止まり怪訝そうにしていた。
スーツ姿に腕章ということは、試験手伝いの者だろう。しかし先ほどの集会室にこんな巨漢はいなかった。
「……誰だおまえ」
トレックの声は僅かに引き攣っていた。
「とぼけたふりするなよ。南部で同じ調査係だったじゃねえか。名簿を見てまさかと思ったが、やっぱりおまえだったんだな」
「……」
トレックは元々調査係だったとは聞いていた。怪我をして現場に出られなくなり、今のうちの係に来たと。
この男は元同僚……ということだろうか。親しいようには見えないが。
「あの、どちらさまですか」
とりあえず間に入ろうと尋ねてみたが、男は蔑みのこもった一瞥をくれただった。
「オレは今は本部の試験課の職員なんだぜ。出世しただろ。なのにおまえは」
黙るトレックに構わず男は続ける。
「総務係だって? つまんねえ仕事やってんだな。しかもなんだ──“杖無し”が同僚なのか?」
「何ですかあなたいきなり。失礼では?」
ティーバが一歩前に出て、男と睨み合う。
長い前髪と眼鏡で表情は見えないが、言葉の端に怒りがこもっていた。
確かに鼻持ちならない男だが、ティーバがキレるとそれはまずい。手伝いに来た会場で問題を起こすのは、非常にまずい。
どう事を収めるべきか悩んだその時。
「受付開始10分前です!」
甲高い声が響いた。スーツ姿の若い女性が廊下を歩きながら試験準備にハッパを掛けていた。
その女性はこちらに気がつくと、「バルーさん!」と猛然と向かってくる。
「何してるんですかあなた。ただでさえ遅刻してきて……。早く持ち場についてくださいよ」
「へいへい」
バルーと呼ばれた男は面倒くさそうに返事をしながらも、しつこくトレックに話しかける。
「まあ、久しぶりに会えて良かったよ。──卑怯者のトレック・バウハー」
「……っ」
耳につく笑い声を残し、大男は去っていった。
トレックは歯を食いしばるような顔でその男の背を睨んでいて──しかし何も言わなかった。
あのトレックが一方的に言われ、言い返さないとは。
「トレック……」
「何も言うなよ」
およそトレックらしからぬ低い声だ。
トレックは受付のテーブルに置かれた受験者に配布する書類をさっさと整え始めた。
「準備……やろうぜ」
「あ、うん」
ティーバを見ても困ったように僅かに首を振るだけだった。
外では、本日の受験者と思われる者達がちらほらと集まり始めていた。
§
トレック・バウハーは、からりとした夏のような同僚である。
明るい水色の髪に同じ色の瞳。いつもふざけた調子で職場の皆を笑わせ、時に怒らせ……とにかく底抜けに明るい男だ。
そのトレックが沈黙を選ぶのは──異常事態だと思えた。
次々と受付に来る受験者の若者たちの名前を確認し、試験の種類を確認し、試験の部屋を伝えて必要書類を渡していく。
文句の1つもこぼさずその流れ作業を行うトレックを、信じられない気持ちで見ていた。
しかし誰にでも、踏み込まれたくないことはある。それは誰よりも理解しているつもりだ。トレックが口にしないのなら……触れるべきではないだろう。
気にはかけつつも、とりあえず仕事に専念する。
受験者の数は程よく、素直そうな若者が多く、受付でさばくのにそれほど苦労はしなかった。
時々凄みを感じさせる年嵩の者が来る。こちらは昇級試験の受験者である。
そんなベテラン風の男を一人見送ったあと、
「──やべ」
トレックの無感情な呟きが聞こえた。
「どうした?」
「……新規と昇級の会場案内の紙、反対に渡してたわ」
ぼんやりとした顔で、トレックが告げる。
「なっ──」
新規の受験者は本館の第一体育館、昇級の受験者は離れの第二体育館。試験部屋が異なるのだ。壁の貼紙は正しくとも、受付から渡された案内を見て間違った方に向かう者がいるかもしれない。
試験という重要なイベントの前に、受験者を無駄に混乱させるべきではない。
ティーバと同時に立ち上がり、慌てて駆け出した。




