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西部遺跡管理事務所 業務日誌  作者: 青桐 臨
第一章 新入職員 ソナ・フラフニル編
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最終話 “居場所”

少し改稿しました。


 暗い地下では時間感覚が狂うが、一階に戻ればまだ窓の外は明るかった。


 執務室では、平常通り皆仕事をしている。

 ソナは指示した仕事に一生懸命取り組んでいるらしく、自分の空席を挟んでティーバに質問をしているようだ。


「──あ、カギモトさん」


 足音で気がついたのか振り返ったソナだが、その表情を微かに曇らせる。


「……大丈夫ですか? 何か、疲れて見えます」


 顔に出てしまっているのだろうか。

 反射的に自分の頬に手をやると、治りかけの薄い瘡蓋に指が触れた。


「所長と話したら、誰でも疲れるでしょ」


 軽い笑いを混ぜて冗談っぽくしたつもりだったが、ソナはさらに眉間に皺を寄せてしまった。


 どうも、この子には、こういう言い方が通じなくなってしまったようだ。

 軽口にはすべて裏があると思っているのかもしれない。


 いや、あるいは係の他のみんなも。


 ソナよりも付き合いが長いのだ。

 当然、冗談で誤魔化そうとする俺の本音の方に気がついていながら、ただ気を遣って知らぬふりをしてくれているだけで──


 そんな考えが頭を掠め、そして追い払う。

 意味をなさない思考だ。精神衛生上よろしくない。

 相手の、表面の反応だけを受け止めておけばいい。

 

 席につき、不快に思われない程度にソナに距離を近づける。


「本当に大丈夫だよ、ありがとう」


 ソナをしっかりと見て密やかに伝えると、目を大きくして一度唇を結び、「それならいいですけど」とふいと顔を背けた。

 

 しかしソナは、すぐこちらに視線を戻す。

 内心でたじろいだ。


「あの……指示されたこと、これで合ってますか?」

 

 控えめに仕事の資料を差し出すソナの白い手には傷跡がくっきりと、恐らく肩の方にまで残っていて、痛々しい。本人があまり気にしていないことが救いだ。

 綺麗な字で几帳面にメモの入った資料を眺める。


「うん、いいと思うよ。あとは、個人的には、ここの文を入れ替えた方がすっきりするかもね」

「ああ確かに、そうですね」


 素直にそう頷いた後で、元々きつめの顔立ちのソナの目元がふと緩む。


「ありがとうございます」

「……」


  本当にこの子は……変わった。

 いやこれが本来の彼女なのかもしれない。

 口数が少ないのは考えを人に伝えるのが苦手だから。

 表情が乏しいのも、感情を表すのに慣れていないから。


 それでも色々と自分で考えながら、辿々しい言葉でも、ソナ・フラフニルという人間は、俺と対等に向き合おうとしてくれている。それは感じる。

 余裕ぶっていつも軽口ばかりで返す自分の方が、随分と子供じみているようにも思えてしまう。



「──おれ」

「え?」

「……」



 うっかり落としてしまったように出かかったが、別にその先に何を言う心づもりもなかった。

 薄灰の瞳が、こちらをじっと見ている。

 案じるような視線だ。

「いや、何でもない」

 と口角を持ち上げて、ごめんと軽く首を振った。



「カギモトさん……」

「そこー、いつまでひそひそ話してるんですかぁー、距離近くないですかぁー」

 離れた席からトレックの声が投げかけられる。

「けしからんなカギモト、第8条様式の最新版がどこにあるかわからないから教えろよ」

「ええ? セヴィンさんに聞けば……」

「俺は手が離せなくてな、カギモト頼む」

 書類の山を前に顔を上げもせず、セヴィンさんが言った。

「あまりカイリに仕事振らないでくださいよ」とティーバは不機嫌そうだ。

「あ、カギモトさん、そういえば公務災害の申請忘れないでくださいね。ソナさんはもう出してくれましたよ」

 向かいで生真面目な顔のナナキが告げ、

「あらぁ、そろそろ小腹が空く時間よね。あたしお菓子あるわ」

 シンゼルさんは菓子の小袋を持ってうろうろし始めている。

 ゴシュ係長が呆れて「みんな、もう少し静かに仕事しない?」と溜息をついた。




 4年間。



 和やかな総務係を、ゆっくりと見回す。



 文字どおり、血反吐を吐くような思いで踏み進めてきた4年間だ。



 口端に微笑を湛えながら、知らず、奥歯を噛み締めていた。

 


 折れないために、自分の場所を必死になって作り上げようとしてきた。

 そして幸運にも得られた俺を受け入れてくれるこの場所に、残された自尊心すらも何もかもかなぐり捨てて寄りかかってしまいそうになる時も、確かにある。

 何度もあった。



 でも所詮、砂の城でしかない。



 人事異動一つで崩れてしまうような脆いものを、心の拠り所になどしてはいけない。  

 

 そうとわかっていても、作らずにはいられないのは、むごいことだと思う。



 この世界は実は、それを専門とする職業は別として、魔法が使えなくてもさほど支障なく暮らすことができるというのがミソだ。

 魔導機械が広く普及し誰でも使えるから、正直今の仕事でも、あまり不便は感じていない。



 だからこそこの世界は本当に──たちが悪い。



 メッツェンが述べたようにここは、“選ばれた者達の世界”という共通認識のもとに、魔法の力が特別必須ではないにも関わらず、そこに最上の価値を、人の存在意義を見出している、そんな世界だ。

 それ故に、魔力の無い“杖無し”であること、ただその一点のみで疎まれ、憐れまれてしまう。

 どれだけ頑張ったところで、他人と同じスタートラインに立つことすらもできない。



 残りの人生を、こんな場所で己を擦り減らし、歪に修復し続けながら生きていくなんて、耐えられるはずがない。

 


 元の世界に帰りたいと、心の底から願う。



 死んだのか、行方不明か。

 どちらかは知らないが自分の存在は既になきものとして処理されていて、今さら戻れたところで向こうにも居場所はないことは重々承知だ。



 ──でもこの世界よりは、きっと。



 ましだろうと、“杖無し”として生きてきたこの4年間ずっと、そう思ってきた。


 帰るということがそもそも可能なのか、それは所長の研究次第だ。

 その人間性はさておき、所長には本当に感謝している。そこに偽りはない。

 劣悪な環境に陥りかけた俺をすくい上げ、希望まで見させてくれている。

 それが単に、あの男の知的好奇心を満たすためのものであったとしてもかまわない。


 たとえ僅かでも望みがあるから、それに縋って立ち上がり、まだ前を向くことができる。

 


 ……それでも。



「──カギモトさん。様式の保存場所、私わかるので、トレックさんにお伝えしてきます」

「お、助かるよ。やっぱりトレックよりよっぽど優秀だね、フラフニルさん」

 ソナに笑いかける。

「何だと? でもソナさんが教えてくれるのはラッキー!」

 

 みんなの楽しげな笑い声がこぼれた。

 トレックの方に向かいながらもソナは、まだ少し懸案そうな表情を浮かべてこちらを見ていた。

 目を逸らしそうになるのをこらえて笑みを返す。


 

 ほんの少しの間くらい、ここを居場所のように感じてしまっても。



 みんなに合わせて他愛もない会話にまた笑いながら、業務日誌をまだ手に持ったままだったことに気がついた。



──それくらいなら、この4年間の自分は許してくれるだろう。



 そのノートの表紙に記した懐かしい文字列を一度眺め、伏せて引き出しにしまいこむ。



 そして静かに鍵をかけた。



……………



 第1話からここまで、ソナからカギモトへと視点を橋渡ししたところで、ひとつ大きな区切りとさせていただきます。


 ここまで長くなるとは思っていませんでした。

 拙いところも、矛盾点もたくさんあると思います。

 まだ回収していない伏線的なものも多々残されたままではありますが、そのうちに続編も書けたらなと思っています。


 ここまでお読みいただいた方がおりましたら、大変嬉しく思います。

 ありがとうございました。


※自分のために、また今後のモチベーションのために、偶然この作品に出会い面白いとか期待できるとか思っていただけたら、評価などしていただけますと幸いです。


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