第82話 対等に
ソナに微笑みかけてから、カギモトはメッツェンに静かな目を向けた。
「──で、2人で何してるんだ? こんなとこで」
「……」
メッツェンはじっとカギモトを睨んだまま何も答えない。
カギモトもそんなメッツェンを注意深く見ながらその横をすり抜け、ソナの側に立つ。
扉が閉まり、廊下は再び暗くなる。
「まあ何でもいいけどさ、この子退院明けなんだから、変に絡まないでほしいな」
「入院するような怪我までさせておいて、まだ教育係面してるんですか」
ソナが反論しようとする前にカギモトが口を開く。
「俺にも責任があるのは認めるよ。でも、そっちにも少なからず責任があるんじゃないのか」
「……何の話でしょう」
髪を耳にかけ、メッツェンは首を傾げた。
「とぼけるなよ、結界管理の件に決まってる。さっきうちの係長から報告書受け取っただろ。アレス遺跡のことだって無関係なはずがないのに……図太いんだな」
「図太い」
メッツェンはにやりとして繰り返す。
「それはカギモトさんのことですよ。“杖無し”でありながら堂々と職場に居座ることこそ図太いっていうんじゃないんですか」
はっ、とカギモトは冷めた笑いを漏らした。
「話をすり替えるな」
「元より、あなたとまともに会話する気なんてありません」
「なら、自分の職場に戻ってくれ」
メッツェンはカギモトに憐れむような目を向けた。
「随分と偉そうですね。もしかしてわたし達と同じ立場に立っているつもりなのかもしれませんが、それただの勘違いですから」
悪意に満ちた笑顔になる。
「初めからあなたの居場所なんてないのにその態度、すごく滑稽ですよ」
涼し気なカギモトの顔が、ごく僅かに引き攣ったように見えた。
空気がひりつき、喉が恐ろしく渇いていた。
どうして私は、言わなければならない大事なことすらも、すぐに言い出せないのか。
ソナは奥歯を噛み締め、腹に力を込めた。
「あの」
「いらないんだよ」
カギモトが静かに、断ち切るように告げた。
「ここに俺の居場所なんていらない。どうでもいい」
ソナは弾かれたようにカギモトを見た。
触れれば切れそうなその横顔に息を呑む。
くく、とメッツェンが蔑んだ笑いをこぼした。
「可哀想ぶって周りの人をそうやって手懐けておいて、何言っちゃってるんですか。強がりですか。ほんとは周りに甘えきって」
「──いい加減にしてください!」
四方を囲まれた廊下に、声が響いた。
他でもない、自分の声。
沸き上がる──怒りだ。
「あ……あなたに、あなた方に何の権利があるんですか……」
ソナは包帯に巻かれた手を、震えながらメッツェンに向ける。
今ならできる。
メッツェンを攻撃対象として認識することが、できる。
「人が、人を見下していい理由なんて、ないはずです」
そんな台詞、私に言う資格なんてないことはわかっていた。
でも、この場で誰も、カギモトすらも声を上げないというのなら、私が言うしかないじゃないか。
そうしなければカギモトは。
カギモトの尊厳というものは、ずっと前から、今も。
「そんなことあってはいけないんです。いけないと、私は思って……」
「理由ならありますよ。あなたには理解できないと、さっきお伝えしたはずですが」
動じることなく、メッツェンは微笑んでいた。
「まあ、理由なんて軽いものじゃないですよ。権利?──いえ、大義ですね」
「“杖無し”……非魔力保持者を排除するということが、ですか……」
メッツェンは芝居がかったように両手を広げてみせ、流れるように言葉を紡ぐ。
「この地には選ばれた民だけが暮らせるのですから、選ばれなかった者を排除するのは当然のことでしょう」
「メッツェンさん……!」
込み上げる激しい感情に総毛立つ。魔力が駆け巡る。
初めて、ソナを見るメッツェンの顔に緊張が走って見えた。
今すぐにでも、燃やし尽くすことができそうだ。
そんなソナの腕に何かがそっと触れた。
カギモトの手だ。
少し困ったように軽くかぶりを振る。
「フラフニルさんが本気出したら、事務所が全壊しちゃうかもしれない」
「は──」
力が、抜けた。
膨れ上がりかけていた魔力が急速に萎んでいく。
本当に、この人は……。
そしてカギモトはメッツェンを見据えた。
「ただの八つ当たりなんだろ。──消えろメッツェン」
「ふふ。楽しくてつい、長居しすぎましたよ」
メッツェンは藍色のローブの裾をさっと翻す。
まだ何か言うのかと思ったが、ちらりと無表情にソナを見ただけで、階段室へと去って行った。
暗い廊下に静けさが戻る。
カギモトは横でふーっと大きく息をついた。
腕を下ろしたソナは立ち尽くす。
鼓動はずっと速いままだ。
「……大丈夫?」
カギモトが僅かに首を傾げる。
ソナも一度詰めていた息を吐き出した。
「大丈夫……です。カギモトさんは……」
「別に、いつものことだし」
カギモトは笑う。乾いた笑いだった。
それから少し申し訳なさそうな顔でソナを見た。
「さっき怒ってくれたのは、正直嬉しかったよ。でも、あんな風にメッツェンとかと正面からぶつかるのは……」
言葉を選ぶように、カギモトはゆっくりと言う。
「仕事にあんな思想を持ち込んでるあいつらがおかしいとは思うけど、フラフニルさんはまだ新人だし」
「……」
「うまく立ち回るっていうのも、大事だと思うよ。その、俺に気を遣わなくてもいいからさ」
ソナの立場が悪くなることを、懸念しているのは明らかだった。
「違います」とソナは否定した。
「違う? 何が?」
「大丈夫なんです。いいんです。気を遣うとかではないです、違うんです」
「え? 何言ってるかよくわかんないんだけど」
若干戸惑い、苦笑いするカギモトに、ソナはぐっと真剣な眼差しを向けた。
「……」
カギモトはすぐに笑みを収める。
「カギモトさん──」
自分のことより他人のことを気遣って心配する人。
いつも穏やかな笑みと軽口で痛みを隠す、器用で不器用な人。
誰かに頼らずに、一人ですべてを受け流そうとする、孤独な人だ。
「私はあなたと、対等でありたいと、思っています」
一度口に出してしまえば、難しくはなかった。
私はそれをどうしてもこの人に、伝えたかったのだ。
「何を言われても、どう思われても、大丈夫です。あなたと同じところに立って、関わっていきたいって、自分でそう思ったんです。それが、赦されるのなら」
「……」
ソナを見るカギモトの瞳が大きく見開き──それがじわりと、潤んで見えた。
いつものように軽い返事をしようとしたのか、笑みを浮かべようとしたのか、口元が動きかけたが、形をなさずにさっとカギモトは横を向いた。
顔を軽く撫で、壁を見ながら小さく言う。
「……物好きなのかな、フラフニルさんは」
「多分、総務係の皆さんもですよ」
「ああ、そう。……そうなのかもね」
沈黙が流れる。
しかし気まずさはなかった。
「あと」
ソナは思い切ってもう一度口を開く。
「ひとつ、確認したいのですが」
「確認?」
しかしそれを口にするのもやはり躊躇われて、ソナは「あの」「その」と言いながらもたもたしていた。
「何なの」
カギモトが可笑しそうに少し笑うと、ソナはやっと心を決めた。
「教育係は……どうなるんですか」
カギモトの表情がすっと真顔になる。
結局カギモトとは一度もそのことに触れていなかった。
どんな結果でも、受け入れる覚悟はしていた。それでも、指先まで冷え切るほどに緊張していた。
しばらく黙っていたカギモトは、
「そりゃあ」
といつものように口端を吊り上げる。
いたずらっぽい目だ。
「君にあんな顔で、“やめないで”ってお願いされたら、やめられないよ。──ねえ?」
「……!」
来客室での会話を思い出し、顔が急に熱くなるのを感じる。
しかしからかうような言い方に怒るよりも、恥ずかしがるよりも、そんなことよりも何より、心からほっとした。
へたり込みそうになるのをなんとか堪え、カギモトを見て微笑んだ。
「ありがとう、ございます……」
カギモトはぽかんとしたようにソナを見つめ、それから居心地悪そうに頭を掻いている。
「……ごめん」
「なんでカギモトさんが謝るんですか」
「いや、なんか」
困り顔をしたカギモトはすぐに「何でもない」と笑う。
それから片手をソナの方に差し出した。
「それじゃ、改めましてって感じだけどね」
ソナもつられるように手を伸ばす。
「──これからもよろしくお願いできるかな、フラフニルさん」
「はい、よろしくお願いします、カギモトさん」
包帯のせいでしっかりと握手をすることはできない。指先同士が軽く触れただけだった。
それだけで、凍りついたように冷たかった体が、指先から解けていくような気がした。
誰かと、正面から向き合うのはとても難しくて、勇気のいることだ。
それでも、ほんの少しでも理解し合えたと思えた時、胸が、暖かく煌めいたもので満ちていくように感じる。
カギモトも、同じであってほしいと願う。
カギモトは笑っていた。
翳りのない、穏やかな笑みだ。
“ここに居場所なんていらない”と言ったカギモトの真意は知れない。
ただメッツェンの意表を突きたかっただけなのか、それとも。
その笑みが仮面ではないことを、私は切に願うのだ。
…………………
「2人とも、いつまでそこにいるの。勤務中なんだけど」
扉の向こうからティーバが顔を出し、2人に向けて怪訝そうに、そう告げた。
…………………
西部遺跡管理事務所 業務日誌
新入職員 ソナ・フラフニル編 完




