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西部遺跡管理事務所 業務日誌  作者: 青桐 臨
第一章 新入職員 ソナ・フラフニル編
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第81話 退院明け

 入院中、病院の談話室に置かれた新聞を読んだ。

 クルベ通りでの出来事は“いち探索士の暴走”として書かれているだけで、記事は破壊されたその地区の復興が中心だった。

 ゴシュが言っていたとおり、遺物や、アレス遺跡には一切触れられていない。

 そこに遺跡管理事務所職員がいたことも、もちろん記されていなかった。


 また別の紙面では、アレス遺跡の新通路の一般開放日について、ごく事務的な告知がなされていた。


………………………



 ソナは眼前の建物を見上げた。

 

 西部遺跡管理事務所の古びた建物は曇った空を背負うように建っていて、今日も──陰気臭い。


 そんな場所でも、たった数日訪れなかっただけなのに、なぜだか“帰ってきた”という気がする。

 それは……悪い気分ではなかった。


 びゅうと風が吹き付けてきたが、微かに春めいた温かさが混ざっている。


 ソナはマフラーを緩めて折り畳み箒のケースを肩に掛け直し、職員通用口から事務所の中へと入った。



……………



 通用口からの廊下、執務室への扉の前で、ソナは呼吸を整えていた。

 退院後初めて執務室に入るのに、理由もなく緊張する。

 入れば、皆笑顔で迎えてくれるのだろうと想像できてしまう。

 そんな想像をしてしまう自分に驚き、そして何とも、むず痒い。


 よし、と心を決めた時。

 


「──あれは言いがかりですよ」



 不意に、甲高い声が響き、ソナは辺りを見回した。


「そんなの──いえ、わたしは──」


 少し離れたところ、階段室への扉の向こうからだ。

 一瞬迷ってからソナはそろりと扉に近づき、ゆっくりと音を立てずに押し開けた。

 細い隙間から覗き見る。


 2階への階段の踊り場で立ち止まり、話しているのは、管理係長のマロウ、そしてメッツェンである。

 踊り場の暗い照明に照らされたマロウの顔は、いつにもまして無表情に見える。


「信頼して任せていたが、どうやら、私が間違っていたようだ」


 重たく、マロウの声が響く。その分厚い手に何か薄い冊子を持っている。


「係長、しかし、ご理解いただいていたのでは」


 メッツェンの声は必死でありながら、どこか苛立たしげだ。


「理解。おまえたちが影でやっていることをか」

「大いなる理想のために多少の犠牲はつきものです。わたしは何も自分のために」

「理解も何も無い。仕事さえするのなら、それ以外はどうでもいいと、そう言っただけだ。しかし」

 マロウが冊子をメッツェンに突きつけた。

「係の立場を悪くするのは本意ではない」


「……」


「処分を免れただけよかったと思うことだ。そのための犠牲が小さいとは、私は思わないがな」


「マロウ係長……」


 マロウは背を向け、のそりと階段を登っていく。


 暗く冷え切った踊り場で、書類を抱えたメッツェンは黙って立っていた。


 ……何の話だったのだろう。


 気にはなるが、一方で首を突っ込むべきではないとも強く感じる。聞いてしまったことを後悔した。

 開けた時と同じくゆっくりと扉を閉じようとした。

 

 その時、ドアノブを掴んでいた手に弾かれたような痛みが走る。


「──っ」


 降りてくる足音、少し遅れて扉が開き、メッツェンが階段室から出てきた。

 顔にかかる緑の髪をばさりと払い除け、同じ色の瞳で微笑んだ。


「痛かったですか? すみません」


 メッツェンから魔素の残滓を感じながら、ソナは微かに痛む手を押さえる。


「でも盗み聞きとは、礼儀がなってませんね」


 メッツェンはソナの格好を見て眉を上げた。


「今頃出勤なんですか」

「……病院に行ってから来たので」

「ああ」


 大変でしたね、と表面的には労わるように、袖口から包帯が覗くソナの手を眺める。

 しかしどこか疲れたようなその表情にあるのは心配などではなく、明確な忌々しさだった。


「その、事故のせいですよ」


 目を伏せ、ぼそりとメッツェンが言う。


「──え?」


「あの馬鹿な探索士のせいで、台無しです。本当に……台無しですよ」


 握り締め皺の寄ったその冊子に、“遺跡管理に関する報告書”の文字が見えた。


「あの遺跡に関してはわたし達は何も……」


 言葉が途切れたかと思うと、メッツェンは顔を上げて再び笑みを作る。


「その事故、カギモトさんと一緒にいて巻き込まれたんですよね? やっぱり碌なことにならないですよ、あの人の側にいると」


 いつものおっとりした調子ではない。何かに追い詰められたかのようにまくし立てている。


「言い方悪いんですが、貧乏くじを引き続けそうっていうか。そもそも、“杖無し”って時点で貧乏くじの最たるものというか」

「やめてください」


 言葉が口を衝いて出た。

 メッツェンはふと表情を消し、溜め息をついた。


「結局、そうなるんですね。がっかりですよ、グリフィスの首席さん。いくら頭が良くても、やはり我々とは思考回路が違うようで」

 いつもの弱々しさはなく、下手に出ながら強気でいるのとも違う。

 何かの威を借りたような強さ、とでも言うべきか。

「ノイマンさんにも伝えておきますから。ソナさんはこちら側にはつかない、と」


「……かまいません」


 メッツェンが片頬で笑う。

 片手で持ち上げた冊子が一瞬で紫の炎に包まれ──灰も残さずに消えた。


「では腹を括っておいてくださいね。“杖無し”に与するような人間に先はないんですから」


 ソナは折り畳み箒のケースの肩紐をぎゅっと握った。まだ少し、手には痛みが走る。


 カギモトは……非魔力保持者は、ずっと昔から理不尽な悪意に晒され続けてきて、今もそれは変わっていない。

  

「どうして」 


 メッツェンとの話なんてもう切り上げるべきだ。

 頭のどこかでそう思いながらも、口は動いていた。


「どうしてそんなに……非魔力保持者の方を、嫌うんですか」


 メッツェンは暫しソナを見つめ、その口元に今度は嘲笑とも呼べる笑みを浮かべた。


「真正面から問う人がいるんですね。それも、“杖無し”を殺しかけた、あなたが」


「……」


 やはり、知られている。

 ノイマン・シーシュメイアだろう、と思う。

 キィト同様、履歴書にも載らない過去の情報を得るツテが、あの男にはあるのだろう。

 


「そちら側につくことを選んだ人間には、到底理解できないことですよ。せいぜい、仲良しごっこでもやっていてください」 

「……」

 

 カギモトならなんて言うだろう。


 他人を見下す目。

 侮蔑的な態度。

 冷ややかな言葉。


 カギモトのように、笑みすら浮かべて軽口で言い返すなんて、そんなことはできない。

   

 喉が締められるように、言葉が出てこない。


 それでも、このまま言われっぱなしでいるのは、嫌だった。

 放っておけば削られていく一方の、大切な何かを守りたかった。


 私に何ができる。



 不意に──メッツェンの背後にある執務室への扉がすっと開き、薄暗い廊下に細い光が差した。


 

「──あれ?」

 


 頬にはまだ絆創膏をつけたカギモトがひょこりと顔を覗かせる。



「遅いからどうしたのかと思ったけど」

 


「ここにいたんだ」とソナに柔らかく微笑みかけた。

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