第80話 見舞い 後編
「ソナさん」
ゴシュの改まった声。自然と背を伸ばす。
「は、はい……」
「教育係のことでは色々と、申し訳なかったね」
頭を下げるゴシュに、ソナは目を瞬いた。
「え……」
「カギモトくんが君の教育係であることに、何の説明もなくて、フォローもなくて大変だったと思う。組織としては、本当に間違っていたと思うよ」
「……」
言い訳をさせてもらうとね、とゴシュは横に立つ総務係の面々を見回し、続ける。
「僕たちは、カギモトくんの意思を尊重したんだ」
「カギモトさんの……意思?」
遠慮がちに口を開いたのはナナキだった。
「カギモトさんからは、仕事上の必要な手助け以外はしないでほしいと言われていました」
「カギモトはいいやつだ、とか、ソナさんにそういうことは言うなってんだぜ。めんどくさいやつだよな」
トレックが呆れたように付け加えた。
ナナキは思うところがあるのだろう、少し気まずそうに、白い床に視線を落とした。
一方で、カギモトのことをまさに“いいやつ”だとソナに言ったティーバは平然としていた。
「カギモトならできると思っていたからな。俺は元より無駄に助ける必要はないと思っていた」
腕組みをして立つセヴィンが言い、横でシンゼルが大きく頷く。
「そうよねぇ。最初はぎくしゃくして見えたけど、たぶん大丈夫でしょって感じで、見守らせてもらったわ」
「カイリはいつも、自分の力で、相手と関係を作ろうとしている」
ティーバの声がいつになく通る。
「それがあいつの──この世界での矜持なんだ。僕はそう思う」
ティーバの言葉にはっとする。
「みなさんは……カギモトさんのこと」
「知ってるよ」
ゴシュは頷いた。そして僅かに俯く。いつものような早口ではない。
「彼は……特殊で、複雑でね。色んな人の思惑の中で、すごく不安定な立場にいるんだ」
ゴシュは窓の外に目を向ける。
既に夜の暗さが満ちていた。
「仕事を通じて、カギモトくんの人となりをそれなりに理解したと思ってる。僕たちは、こっちの世界に、彼の居場所があればいいなと思ってる」
カギモトの居場所。
“杖無し”であり、被回収者であるカギモトの居場所とは一体、どこにあるのだろう。
「話を戻すけど、カギモトくんは特別扱いを望まなくてね。たまには柔軟にやってほしいなってときも正直あるんだけど、頑固なんだよ」
ゴシュは苦笑する。
「その影響で、新人の君にも少なからず負担をかけたね。心から謝罪するよ」
ずれていた何かがかちりとはまるような気がした。
皆が、教育係であるカギモトと自分の関係に対して、何か思うところがあるようでありながらも、はっきりと言えないような様子だったこと。
ティーバやナナキが意見することもあったが、基本的にはシンゼルが言うように、皆、見守る姿勢でいたのだろう。
そうでなければ私はきっと、カギモトは特別な立場を利用して周囲に守られた人間だと、そういう先入観で接していたに違いない。
「いえ、ありがとうございます……」
ソナは小さく、頭を下げた。
「あ、いちおうこの話することはカギモトくんに了解とってるからね。自分が聞くのは恥ずかしいからって帰っちゃったけど」
ゴシュが補足する。
「カギモトさんらしいですよね」とナナキが微笑んだ。
「とはいえ、ティーバは世話焼きすぎだよなあ、おまえこそもっとあいつを尊重した方がいいぜ」
「うるさいな、心配してるだけだよ」
トレックの軽口にティーバが冷たく返す。
「でも、もはやお母さんみたいよねぇ」とシンゼルも加わり、再び総務係がざわめき出す。
「いや本当この数日胃が痛かったけれどね。結果的には、よかったのかな。──ああでも」
胃のあたりを擦っていたゴシュは、思い出したように顔を上げる。
「教育係の今後についてはやっぱり君とカギモトくんにお任せするよ。話し合って、結果を教えてくれるかな」
「あ……」
そういえば、その件は留保されていたままだ。
向き合わなければならないだろう。
ソナは「わかりました」と頷いた。
「さてさて、そろそろお開きだね」
立ち上がって汗を拭き、ゴシュが明るく言う。
「そうねぇ、長話でソナちゃん疲れちゃったわよね」
「あれ、俺ほとんど話せてないかも」
「ソナさん、今回のことは公務災害がおりるんで、仕事に出てきたら手続きしましょうね。カギモトさんにも言っておかないと」
「カイリはそういうの面倒くさがるからな」
「そうだ、ソナさんの歓迎会だけどね、ソナさんが退院して落ち着いたらやるから。たまには幹事やってよ、セヴィンくん」
「お、俺ですか……」
部屋を出ようとする最後まで騒がしい。
「あの……」
ソナは布団の裾を掴む。
「みなさん、今日は、ありがとうございました」
思ったよりも大きな声が出た。
「当然だよ」
ゴシュが振り返る。
「ソナさんはうちの大事な新人さんだからね」
他の面々がそれぞれに頷き、一人ひとり出ていった。
ソナひとりが残された部屋はしんと静まりかえり、温度すらも下がった気がする。
楽しかったパーティが終わったあとのような、胸にじんとくる寂しがあった。
ソナはカギモトに返された髪紐をもう一度見つめ、それをベッド脇の小机に置いた。
カギモトに伝えようとした言葉は、中断されてしまった。
でも、カギモトは“待ってる”と言ってくれた。
教育係のことも、面と向かって、ちゃんと話そう。
同じく小机に置かれたセヴィンの菓子が入った紙袋を手に取る。
中に入っていたクッキーの包みを取り、包帯の手で不器用に開けた。
星と月の形をした素朴なクッキーだった。
かじるとほろりと崩れ、甘みがゆっくりと口に広がる。
「おいしい」
ソナは一人で呟いた。
みんなで食べてもよかったかもしれない。
セヴィンは嫌がるかもしれないが、そうすれば良かったと思いながら、またクッキーを一つ口にした。




