第8話 帰宅
改行等一部修正しました。
国が管轄する中でも特に古い国営団地。
西部地区での西側に位置する第三国営団地の周辺は、街灯の数が少ない。
空からは注意深く見なければ、この夜に近づいた闇の中では近辺の農地と見分けがつかない程である。
ソナは団地の8号棟の屋上に静かに着陸した。手袋をしていても、寒さで指がかじかんでいる。
腕時計に目をやり、安心する。
箒を素早くケースにしまい、手をこすり合わせながら屋上の階段から階下へと駆け下りた。
歩く度に甲高い足音が響く外廊下。6階の突き当たりの扉の前。
鞄から出した鍵であまり音を立てないように扉を開けた。
「──おかえり、ソナちゃん」
母が、玄関に明かりをつけて待っていた。
娘を労るような笑みを浮かべ、いったいどれほどの時間、この狭い玄関で待っていたのかと、ソナは考えないようにする。
「……ただいま」
「寒かったでしょう。ご飯、できてるから」
ソナは荷物と上着を部屋の隅に置き、手を洗ってリビングに向かう。
狭い部屋はあまり暖かくはない。魔力の少ない母は節約のために、冬は服を着込んで暖房を最低限にして着るからだ。
ソナが魔法で部屋を暖め始めると、母は毛玉の多いカーディガンを1枚脱いだ。
こじんまりとした食卓テーブルにはソナの好物が並んでいる。
席についたソナの向かいに、母が座る。手にはコーヒーの入ったマグカップを持っている。小さなひびの入ったそれを、お気に入りだからと何年も使っている。
ソナは食事を取ることへの祈りを簡単に述べ、母の手料理を食べ始めた。
「ねえ」
待ちきれなかった、という様子で母がソナに尋ねた。
「初めての職場、どうだった? どんな感じ?」
「……今日は夕方少し顔を出しただけだから」
ソナは答える。
「まだよくわからない」
「そう。──何人くらい職員がいるの? 嫌な人とかいない? どんなお仕事をするの?」
母は矢継ぎ早に尋ねる。
「うん、どうかな」
ソナの答えになっていない答えでも母は満足したらしい。
「まあ、ソナちゃんならどこでも大丈夫だわね。だって、グリフィス魔法専門学校の首席なんだから」
「……」
「こんな田舎はソナちゃんに似合わないと思うけど……お母さんのために、ごめんね」
母の声のトーンが下がる。
また始まったとソナは思った。
食事を口に押し込んでいく。
「でもソナちゃんが内定を断って、ここに残るって決めてくれたの、本当に嬉しかったわ。お母さん、ソナちゃんがいないと生きていけないわね」
ごくりとソナは咀嚼したものを飲み下した。
ソナは元々別の民間企業に内定をもらっていた。
就職後は中央で一人暮らし、もしくは母を連れての二人暮らしになるのかと思っていたのに、直前になって母が地元を離れることを頑なに拒んだのだ。
この地元で、転勤のない安定した就職場所を慌てて探し、カノダリア国国家防衛・エネルギー省の出先機関である遺跡管理事務所の採用枠を見つけ、受験した。
そして、今に至る。
「そんなこと、言わなくていいから」
ソナは機械的にそう答える。
この会話を繰り返すことが母を安心させるから、ソナは何度でも同じ返事をする。
「お母さんを一人にはしないよ」
母は嬉しそうに微笑んだ。
「良い娘を持って、お母さんは幸せだわ」
その言葉は重く、鉛のようにソナの心を底へ底へと引きずりこんでいくような気分になる。
父は他界している。
心に少し問題を抱えていた母は、父を失ってさらにバランスを崩して働くこともできず、外と関わることも一層減り、一人娘のソナだけを頼りにしている。
私が母を支えなければならない。
それが望まぬ場所での就職でも、“掃き溜め”と呼ばれ、身近に“杖無し”がいる環境でも。
私が働いて、安定した収入を得なければならない。
満足そうな母を見て、それで良いんだとソナは思う。
最後は水を一気に飲んで、味の感じない料理を胃に流し込んだ。




