第79話 見舞い 前編
「ソナさーん!入っていいー?」
扉の外から聞こえたのは、トレックの声だった。 ここが病院であることなど全く配慮するつものないらしい。
「ちょ、トレックさん。声大きすぎですよ。迷惑ですって」
慌てて窘める声で、ナナキの焦った顔が浮かぶ。
「そうよぉ、やっぱりトレックくんには外で待っててもらう?」
「えっ、そんなぁ」
やはりトレックには厳しいシンゼル。
「返事がないし、やっぱ寝てるのかな」 と言ったのは早口のゴシュだ。
「いや、でもカイリがいるはず」
「えっ、カギモト中にいんのかよ! ソナさんと2人で!?」
「本当にうるさいぞトレック……」
ぼそりと話すティーバに、苛立ったセヴィンの声。
たった1週間程度を共に過ごした同僚だ。
なのに、妙に懐かしく感じてしまう。
カギモトを見ると苦笑いを浮かべていて、思わずソナも同じような笑みが漏れた。
口まででかかっていたカギモトへの言葉は一度収めて、ひとり頷く。
「──起きてます。どうぞ」
ソナが言うと、すぐに扉が開けられた。
ゴシュを筆頭に続々と入ってきて、それほど広くもない病室が一気に狭苦しくなる。
「ソナさん大丈夫ですか?」
「あっ、ほんとにカギモト2人きりじゃねえか、けしからん」
「今回はほんと大変だったね」
「あらぁ痛々しいわ」
「カイリもお疲れ」
「本当にうるさいぞ……」
全員が口々に話し、何を言ってるのかよくわからなくて、でもなぜだか、楽しくて、温かくて──
なぜだろう。
ソナは俯いた。
我慢しても、肩が震えてしまう。
「──ふ、ふふふ」
堪えた笑いが漏れ、病室がしんとなる。
顔を上げると、総務係の面々が驚いたようにソナを見ていた。
持ち上がっていた口角を元に戻し、再び顔を伏せた。
「お、おおう……そんな風に笑うソナさん初めてみたぜ」
トレックが大げさな言い方をする。
「そうかしら? いつもかわいらしいわよぉ」
「ですね。トレックさんには見せないんですかね」
「あれ、何か傷つくかも」
トレック、シンゼル、ナナキが普段のような掛け合いをする中、セヴィンが静かにソナに近づき、すっと紙袋を渡す。
「その腕でも食べられるといいが」
「え、あ、ありがとうございます……」
中を覗いてみると、可愛らしくラッピングされた焼き菓子が入っていた。
「それね、セヴィン君のご実家のお菓子屋さんのなんだよ」
「係長、それは……」
セヴィンは狼狽えたようにゴシュを見たが、思い直したのかすぐに咳払いをする。
「妻が、店を手伝っているんだ。同僚の見舞いに行くと言ったら力を入れて準備をしてくれてな。……良ければ感想を聞かせてくれ」
「……はい」
いつも険しい顔をしたセヴィンの実家が菓子屋で、どうやら愛妻家でもあるらしいのは、何だか意外だった。
「──あ、みんな盛り上がってるところごめんね、少しだけ2人に話がしたいんだけど」
ゴシュの声に総務係はすっと静まる。
カギモトが椅子を譲ってソナのベッドの側に寄り、ゴシュは遠慮なく座って汗を拭いた。
「まずは2人とも」
ソナとカギモトを見る。
「無事で何よりだよ。僕の部下に殉職者なんて出したくないから、本当に、良かった」
“殉職”という言葉が現実感を伴っていた。
「君たちの尽力で被害が最小に済んだんだと思うよ。でもちょっと、無理し過ぎだったかもね」
「少しでもヘルベティアさんの到着が遅れてたら……本当に危なかったんですよ」
ナナキも悲痛な顔で言う。
「……」
カギモトは頬の絆創膏を掻き、ソナも自分の手に目線を落とした。
腹の前で両手の指を組んでゴシュは続ける。
「君たちも、みんなもだけれど、替えがきく人間じゃないんだ。自分のことを大切にね」
「……はい」
ソナもカギモトも神妙な顔で頷いた。
固くなった病室の空気を解すように、ゴシュは今度は明るい口調になる。
「あ、伝えておくけど、ドードー探索士は無事だよ。今は、所長の研究室で保護されてるから」
ヘルベティアが言ったことは嘘ではなかったようだ。 ほっとする一方で、引っ掛かるものがあった。
「あの……なぜ所長が保護できるんですか? 警察とかではなく」
「その質問は……新人さんらしくていいね」
とゴシュは少し困ったように微笑んだ。
「今回のことは遺物絡みでしょ。遺跡関係だとうちの所長は権威者というか、色々と融通が利くんだ。といっても」
そこで声を低める。
「今回の件、表向きにはただの探索士の暴走ってことで処理されてるんだ。遺物とか新通路とかとの関係は公表されてないから」
「そう……なんですか」
“後始末をする”とマツバ・トオルが言っていたのを思い出す。
あれだけの規模の被害の真相を、魔法取締局が処理をすれば隠すことができるということか。
「それが世間に知られると、都合が悪いと思う連中がいるということだろう」
壁にもたれて忌々しそうに呟くセヴィンにゴシュが苦笑いを向け、そしてソナたちを見る。
「そういうわけで申し訳ないけど君たちにも守秘義務があるから、そのつもりでね」
小さく頷くしかなかった。隣の カギモトも、あまりすっきりとしない顔をしていた。
ゴシュは「とにかく」と笑顔を見せる。
「アレス遺跡新通路の対応についてはほぼ終わっちゃったんだ。ソナさんが退院する時には仕事も落ち着いてるだろうから、そこは安心していいよ」
「……でも、ひとつ落ち着くと、また何かが起きるんですよね」
ナナキの呟きは、どこか達観したものだった。
「ナナキちゃん縁起でもないこと言わないの。でも何が起きても、あたし達は淡々とやるだけでしょう?」
シンゼルが貫禄たっぷりに言う。
「そうだね。僕たちはこれまでもそうやってきた」
ゴシュは目を細めて同意する。
ティーバやトレック、セヴィンも頷いている。
「ソナさんも、懲りずに頑張ってくれると嬉しいな」
「はい」
今度はごく自然に、応えていた。
「──それとね」
急にゴシュの顔つきが真剣になる。
「ソナさんにはひとつ、謝らなければいけないことがある」
「私に謝る……ですか?」
ゴシュがなぜかちらりとカギモトを見ると、カギモトは腕時計を見て「あっ」と作ったような声を上げた。
「えっと、用事があるんで、俺はこれで」
そそくさ、という言葉がぴったりな様子でカギモトは身支度をする。
素早く病室を出て行こうとして「あ、そうだ」と戻ってきた。
「これ、起きたら渡そうと思ってたんだった」
カギモトが上着のポケットから取り出したのは、ソナの髪紐だった。
「いつもつけてるものだから失くしちゃいけないかなって、入院前に預かってた。勝手にごめん」
ソナは髪紐を受け取ってそれを眺め、ぎゅっと握り締めた。
「本当に、大切なものなんです。ありがとうございます。本当に……」
「よかった」
カギモトは笑った。
「じゃあ、職場で待ってるから。お大事に」
総務係に口々に挨拶の言葉を掛けられ、カギモトは病室を出ていった。
扉が静かに閉まり、ゴシュは椅子を軋ませて座り直す。
カギモトを除く総務係も、皆どこか硬い面持ちでソナを見ていた。
一体、何なのか。




