第75話 カギモト・カイリの立ち回り 後編
怪我や血などの痛い描写あり、苦手な方はご注意ください。
一体なぜあんなに落ち着いていられる?
ソナは必死で結界を修復しつつ、カギモトの球体型結界へも魔力を送る。
いや、あれもカギモトの仮面なのかもしれない。
こちらを不安にさせまいと、余裕を見せているだけなのかもしれない。
「ほんとにあの人は、よくわからない……」
結界の同時展開は、全身が雨で濡れて寒いはずなのに、脳が焼ききれそうなほどに熱くなる。
呼吸も荒い。魔力量は十分にあるが、心に余裕がない。
ドードーはぴたりと攻撃をやめていた。
ここにきて、ソナの結界がすぐに壊せないと理解したのか。
その代わりに、静かに結界に触れ始めた。
金色に輝く瞳で、何かを読み取るように、ただ結界の内側を両方の手のひらでなぞっている。
何か……まずい気がする。
その時、ドードーの背後。
カギモトの姿が見えた。
焦った様子もなく、ごく自然に距離を詰めていく。ドードーはソナの方を向いていて結界を触るのに集中しており、カギモトには気がついていない。
なのに、この不安感は。
ドードーが触れているところの結界が突然、ぴしりと音を立てた。
「あ……」
ひびが、不吉な模様を描くように結界全体に走る。
そして──砕けた。
光の粒が爆散する。
「──っ!?」
同時に、魔力が急激に逆流してくる感覚。
指先がぴりついたかと思うと、肩まで一気に衝撃が駆け抜けた。
「う……っ」
視界が赤くなる。
激しい痛みに思わず地面に膝をついた。
見れば両腕が、指先から肩まで上着ごとずたずたに裂けていた。流れる血が、地面の水溜りに勢いよく混ざっていく。
今のは──魔法?
ドードーがこちらに手を向ける。
黄金の魔力が、凝縮されていく。
怖い。が、痛みが酷くて動けない。
野次馬達がようやく身の危険を感じたのか、散るように逃げていくのを感じた。
「フラフニルさんっ!!」
カギモトの声。
馬鹿だ、とソナは思った。
ドードーの背後を取れるせっかくのチャンスなのに。
カギモトの大声に振り返ったドードーは、魔力波を後方に向ける。
カギモトの結界も、既に保つことができていなかった。
目を見開いたカギモトが、魔力波にのまれ、轟音とともに後ろに向かって吹き飛ばされたように見えた。
「カギモトさん!!」
あんな魔法が直撃したら、ひとたまりもない。
ドードーの暴力的な攻撃が通り過ぎたところに立ち上る土埃は、雨ですぐに消えた。地面は抉られ、元から何もなかったかのようだ。
カギモトの姿もない。
「か……カギモトさん……」
ドードーはくるりとソナを向く。
無差別の可能性もあるのかと思っていたが、ソナとカギモトを攻撃対象と認識しているようだ。
「……っ」
地面に膝をついたまま、激痛に震える腕を上げる。
結界を作らなければ、やられる。
それとも今なら攻撃ができるだろうか。
血が出そうなほどに唇を噛み締めた時だった。
ドードーの近くの斜めに傾いだ柱の裏から、泥だらけのカギモトが姿を現した。
信じられない。
間一髪でドードーの攻撃を躱していたらしい。
安堵で全身の力が抜けそうになるが、楽観できる状況ではない。
カギモトは例の黒い棒を携え、ソナの方に意識を向けるドードーとの距離を、一息に詰める。
ドードーがその気配に気づいた時には、カギモトの鋭い振りがその鼻先を掠めていた。
雨飛沫が飛び散る。
細い棒のわりに、空気を切る音が重い。
カギモトは2度、3度と剣のように棒を振るう。その動きは素早く、しかも顔から上ばかりを狙っていた。ドードーは鬱陶しそうに躱しているが、そのせいで魔法を発動する間がないようだ。
確かに、理には適っていた。
血が流れる腕を押さえながら、ソナはカギモトの動きを目で追っていた。
魔法の発動には過程があり、すべてを正確にこなすには集中力を要する。
感情で爆発的に発することもあるが、それですらも、気を散らされれば難しい。
だからこそ、武器を使う。魔法が不得手な即時攻撃を物理的に補うためだ。
ドードーが武器を持っていなくて良かった、とカギモトが言ったのはそこを踏まえてのことだろう
とはいえ。
魔法に対して引け目を持つはずの“杖無し”であればなおのこと、魔法の使い手に戦いを挑むことは躊躇するはず。
懐に入り込んでいく胆力など、普通はない。
あれは、カギモトの動きは、対魔法使い戦を想定して訓練されたものだ。
「ドードーさん!もうやめてください!」
必死な声で叫ぶカギモトに、ドードーは黙っていた。
無表情に目だけをぎらつかせ、カギモトから距離を取ろうとしている。
カギモトが地面の泥を蹴り上げ、泥水が勢いよくドードーの顔にかかる。
一瞬怯んだ隙に距離を詰めると、カギモトはその棒でドードーの顔を素早く数度殴りつけた。やはり、棒は見た目の割に重いのか、鈍い音が響く。
ドードーの体が傾ぐ。容赦なくその腹に蹴りを入れるカギモト。
ドードーはさらにバランスを崩し、そのままカギモトに地面に押し倒される。泥の飛沫が高く上がった。
馬乗りになったカギモトは、ドードーの顔に思いきり拳を振り下ろす。骨を打つ嫌な音がした。
その頭を水溜りに押さえつけ、黒い棒をくるりと回し、持ち手側の先をドードーの首に強く押し当て──
ばちん、と破裂するような音。
僅かだが、その瞬間にだけ魔力を感じた。
カギモトからではない、あの棒から発したものだ。
「ぐ……」
ドードーは呻いて一度大きく痙攣し、白目をむいてぐったりとした。
魔導機械の一種、なのだろうか?
カギモトは肩で息をしながら、しばらくそのままドードーを押さえていた。
動かない。
ドードーの意識がないことを慎重に確認した後で、カギモトは自分のループタイを解き、ドードーを転がして後ろ手にきつく縛った。
黒い棒を元の長さに縮めると元の胸ポケットにしまい──大きく息をついた。
まるで慣れた動きだ。
ソナはその一連のカギモトの行動を横目に見ながら、苦労して上着を脱いでいた。
自分の怪我の具合も確かめなければ。
「うう……」
網目のような裂傷が肩まで走っていて、見た目にも痛々しく、シャツまで脱ぐのは怖かった。
血は自然と止まってきたようだが、目眩がするのは貧血のせいかもしれない。
「フラフニルさん!」
カギモトが急いで駆けてくる。
「う、ひどいね……」
水たまりも気にせず膝をつき、痛そうな顔でソナの様子を確かめる。
そう言うカギモトも息は上がっていて泥に塗れている。シャツの左肩が酷く汚れているのは泥ではなく血のせいだった。顔にもいくつも擦り傷がある。
やはりドードーの攻撃を完全に回避できたわけではなかったのだろう。
ソナは地面を見つめる。
ドードー相手に何もできなかったのは私だ。攻撃もできず、結界も破壊された。
「何なんですか……カギモトさんは……」
思わずこぼす。
カギモトは少し困ったようにソナを見ていたが、左肩を押さえて立ち上がる。
「そろそろ応援が来てもおかしくないかな。早く治療してもらわないと。ちょっとその辺見て来る──」
何となしに後ろを振り返ったカギモトの声が途切れるのと、ソナの肌が総毛立つような魔力を再び感じたのは同時だった。
ドードーが、後ろ手に縛られたまま、まるで天から糸で吊られているかのように不自然な姿勢で、立ってこちらを向いていた。
雨に打たれるのも意に介さず、その顔は、筋力が全て緩みきってしまったかのようにだらりとしている。
しかし、黄金に光る目だけが、瞬きもせずに見開かれていた。




