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西部遺跡管理事務所 業務日誌  作者: 青桐 臨
第一章 新入職員 ソナ・フラフニル編
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第72話 クルベ通りの英雄

 団地跡の最奥にある棟に向かって、男女はソナ達を先導する。

 男はダレン、女はユミィと不承不承名乗った。


 団地内の道には雑草が蔓延っているだけでなく、割れた食器の破片、ひっくり返った植木鉢、汚れた衣服まである。


 建物の影や枯れた木の下では、いい歳をした人間達が真っ昼間から酒や煙草に興じている。

 

 ソナは歩きながら自分の手のひらを見つめていた。

 

 攻撃魔法が発動できなかった。


 “罪悪感”


 理由を一言で表すなら、それしかない気がした。

 自分たちとは違う存在だと思うようにしていたからこそ、“杖無し”の青年を攻撃したことについて何の後ろめたさもなかった。感じないようにしていた。


 今になって。


 ソナは拳を握る。


 攻撃を放つイメージは、やはりうまくできる気がしない。

 これは致命的な欠陥ではないのか。

 治安に問題のあるクルベ通りにいて、武器を失ったということだ。


「どうかした?」

 カギモトの声にはっとする。

「険しい顔してる」


「……いえ」


 まだ確証がないことを言うべきではない。それに、結界での防御ができれば、それほど問題にはならないはずだ。


「あの……カギモトさんは、戦闘訓練とか受けてるんですか?」


 話題を変えると、カギモトは一瞬首を傾げた。 

 それから曖昧に笑う。

「あー、ほら、“杖無し”だからね。戦闘訓練なんて大層なものじゃないけど、まあ、護身術は少し……習ってる」

「……はあ」

 ぼかしたような言い方だったが、言いたくないのなら追及すべきではないだろう。


 「おい、ここだぞ」と前を歩くダレンが足を止めた。


 他の建物と同じく、管理する者のない寂れたひとつの棟が建っている。


「おーい、リケいるかー!」 


 ダレンが叫ぶと、ガラスの入っていない2階の窓から少年が顔を覗かせた。


「遺跡管理事務所のやつだ。なんか話があるらしい」


「今行く」と言い残し、少年の姿は窓から見えなくなった。

 すぐにばたばた階段を駆け下りる音が聞こえ、少年が出入り口から姿を現した。

 

 短い癖毛頭の少年、確かにリケだった。

 リケはソナ達に一瞬不思議そうな顔を向ける。が、カギモトをよく見て「あっ」と声を上げた。


「“杖無し”の兄ちゃんだ! 遺跡管理事務所の!」


 リケは元気よくカギモトを指差した。


「覚えててくれて良かったです」

 カギモトは人の良さそうな笑みを浮かべたまま、鞄から書類を取り出す。 

「今日お伺いしたのは、前にお渡しした、探索士試験の受験要項に誤りがあったので、正しいものをお持ちしたんです」

「え、そうなの?」


 リケは驚いたように付箋の貼られた書類を受け取る。


 カギモトは間違っている箇所を説明し、「申し訳ありませんでした」と自分より幼い少年に深々と頭を下げた。


「あ、さっき伝心蝶が来てたのってこのこと? ちょっと文が難しくて、まだ読めてなかったんだ」

「あ……それは、すみませんでした」


 ソナも謝った。相手に合わせた文章にすべきだった。自分の気の利かなさを恥ずかしく思う。


「ううん、こんなとこまでわざわざ伝えに来てくれてありがと」


 リケは笑顔で言った。

 が、すぐにその顔を曇らせる。

 冊子を脇に抱えたまま肩を落とすように呟いた。

「でも俺……受験やめようかな」 

「え?」


 カギモトとソナの声が重なった。


「受かったとしても俺……探索士になれないかもしれないんだ」

 

…………………


 リケは建物の前を囲う亀裂が入った塀の上に腰掛ける。

 案内人のダレンとユミィも、見張るつもりなのか興味があるのか、そのまま一緒に話を聞いていた。案外世話好きなのかもしれない。


「探索士は、試験に合格したあと金がかかるって言ってたじゃん。その金にアテがあったんだけど、それが……なくなりそうなんだ」 


 ますは受かってからって話だけどな、としおらしい様子で言う。


 確かにリケは、試験の申込みをしたときに、金についてはなんとかなると言っていた。


「何かあったんですか?」


 カギモトが尋ねる。

 本来ならきっと、深入りすることでもないのだろうとソナは思う。しかしそれほどまでにリケは消沈して見えた。

 カギモトを見つめ、リケは要項を握る手元に視線を落とした。


「俺の試験を応援してくれる人がいたんだ。金は自分に任せろって。でもその人が……連絡つかなくなっちゃって」


「それは、心配ですね」とカギモトが眉をひそめる。

「うん。たぶん……遺跡で何かあったんだ」

「探索士の方なんですか?」

 今度はソナが訊いた。

「そうだよ。ひとりで探索してる人だから、何かあってもわからないんだよな……」


 リケは悲痛な顔で唇を噛み締めている。

 何と言っていいかわからず、気まずい沈黙が流れる。 


「──やっぱり、碌なことにならねえと思った」


 吐き捨てるように言ったのはダレンだった。


「新しい遺跡に忍び込むだなんて、いくらあいつでも無茶なんだよ」


「えっ?」

 

 カギモトが弾かれたようにダレンを見る。

 咄嗟に「まずい」という顔をしてダレンが口を噤み、ユミィに「管理事務所の人の前で何言ってんの」と脇腹を小突かれていた。



「……新しい遺跡というのは、もしかしてアレス遺跡の新通路のことでしょうか?」


 カギモトが慎重に訊く。


「知らねえよ」と目を逸らすダレンをよそに、「そう言ってた」とリケが答えた。


「その中には絶対すごい遺物があるから、それで稼げるって、ドードーの兄ちゃんが……」


 思いがけなく出てきた名に、ソナとカギモトは顔を見合わせた。


「ドードーさんって……探索士のドードーさんのことですか? あの、ひょろっとした」

「知ってるのか? まあ、事務所の人だもんな」

 カギモトの問いにリケは力なく答える。

 膝を屈めてカギモトはリケと目線を合わせた。


「連絡がつかないので俺達も心配してたんです。失礼ですが、ドードーさんとはどういう……」


「ドードーの兄ちゃんは、立派な探索士だよ」

 リケは自分のことのように胸を張った。

「俺とか他のやつらにも、食べ物とか服とかくれたり、医者連れてってくれたりとか。探索の面白い話もしてくれる」


「そうなんですか……?」

 首を傾げるカギモトに、

「ドードーはここの生まれだ」

 とダレンが素っ気なく補足した。

「お節介な野郎だ」


「探索で稼いだらここに来て金をばらまく、変なやつだよね」

 ユミィも続ける。その言葉とは裏腹に、口調には親しみすらあった。


 ドードー。

 そういえば彼も姓がなかったことを思い出す。


「……あの人がよくお金に困ってたのって」

 複雑そうな顔でカギモトが呟いた。


 ドードーの人間性は理解できた。リケや、この辺りの子ども達に慕われ、英雄のような存在なのかもしれない。


 しかし、リケ達の話は聞き過ごすことができない。


「ドードーさんが、新通路に不法侵入をした、ということですか?」


 カギモトに問うが、当然答えなど持ち合わせていない様子で困り顔を浮かべるだけだった。


 ぽつりと、頬に冷たいものが当たった。

 止んでいた雨が、いつの間にか静かに、冷たく降り始めた。

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