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西部遺跡管理事務所 業務日誌  作者: 青桐 臨
第一章 新入職員 ソナ・フラフニル編
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第70話 出発

「資料……置いてきてくれて、ありがとね」


 ソナの後について来客室から席に戻ってきたカギモトの表情は硬い。


「……いえ」


 教育係については保留。

 その場で拒絶されてもおかしくなかったと思えば、それは良かったことだ。

 しかしカギモトとの間の空気は、前にもまして微妙なものになっている気がする。


 それでもやるべき仕事はある。

 

「えっと、あー……じゃ、行こうか、リケのところ」

「あっ……はい」


 ティーバの視線を感じた。


「……何ですか?」


 いや、と自分も外出の準備をしながらティーバは首を振る。


「なんか今朝よりもさらにぎこちなくなってるね、2人」


 ソナは黙り、カギモトも何も言わない。


「まあ、平気だったみたいでよかったよ。さっき、君のお母さん、すごい剣幕だったから」

「あ……」

「君が行かなかったら僕が乗り込んでるところだった」


 あの母の様子を総務係に見られていたかと思うと、いたたまれない気持ちになる。

 

「……あの、母が、大変ご迷惑を」

「冗談だよ」

 ティーバは口元にほんの微かな笑みを見せたが、すぐに引っ込めた。

「家族って色々あるでしょ」


 そう言って立ち上がり、上着の襟元をきちりと締めた。

 ソナ達と同じく、受験要項の訂正説明回りに行くはずのティーバは、来客室でのやり取りが終わるまで待っていたようだ。恐らくカギモトを心配していたのだろう。 


 ゴシュにも謝らなければとソナが考えていると、「とにかく」とティーバが言う。

 机の足元から箒のケースを引っ張り出していた。

「2人とも、クルベ通りには気をつけて行った方がいい」


「……治安が良くないだろうとは思ってますが」 


「厄介ごとには巻き込まれないように。警察も積極的には手を出さない場所だから」

 そう言った後で、ティーバは少し考えるようにする。

「僕も一緒に行きたいけど、方向が違うからな。係長に言って代えてもらおうかな」


「いや、大丈夫だよ。前にも行ったことあるから」とカギモトが笑う。

「魔法ができるフラフニルさんもいるし」

「……」


 不意に名を呼ばれ、ソナは身を固くする。


「まあ、滅多なことにはならないと思うけど……」と、それでも何か言いたげにティーバがこちらを見ている。

 その時、何かがふわりと執務室の中に入り込んできた。


 伝心蝶である。

 ティーバの手に優雅に着地した。


「エンデからだけど、宛名はカイリになってる」


 怪訝そうにティーバは蝶を睨む。


「あ、俺伝心蝶受け取れないからティーバに送ったのかな」

 カギモトの言葉にティーバは眉をひそめた。

「あいつ僕を中継地点にしてるのか? 何か腹立つな」

 

 苦笑いを浮かべるカギモトの横で、不満そうなティーバが伝心蝶の羽を確認する。

 


 素早く一読し、総務係を見渡すように顔を上げた。



「待機場所のエンデからの情報提供。アレス遺跡の新通路の高濃度魔素が、急に解消されたとのこと」



「何だと?」

 真っ先に反応したのはセヴィンだった。

「今さっき、異常なしとの伝心蝶が現地のオズワルドからあったばかりだぞ」


 現地選抜隊待機場所では、管理係のオズワルドが通信担当として総務係に定期報告を送っている。


「1時間ほど前から、通常レベルにまで濃度が下がった、と。原因は不明で今調べているようですが」


 ティーバがセヴィンに伝心蝶を見せると、その顔がますます険しくなった。 


「あいつは何でいつもカギモトに重要な情報を」

「それは俺も謎ですけど」

 カギモトが困り顔になる。

「オズワルドのとは正反対の情報ですよね。偶然、行き違いになったってことですかね」


「あるいは、どちらかが嘘かもしれない」


 ティーバが呟き、総務係は一瞬しんとなる。


「ていうか、魔素が消えるってなんだよ。あれ? でもそれなら新通路は安全になったってこと? ってことは俺のこの仕事がなくなったってこと? やったあ!」

「待てよ、どっちが正しいかわからないって話をしてるんだろ」  

 両手を上げて歓喜するトレックに、カギモトが呆れる。

「エンデの半端な情報じゃ判断できん。俺が直接行って調べてくる」

 セヴィンも立ち上がって今すぐにでも外に出て行こうとする。


 遺跡のことになると本当に、この係は蚊帳の外のようだ。


「ちょっとちょっと落ち着いてよ」

 ゴシュが慌てた。

「謝罪組はとりあえず早く行って。トレックくんは仕事放棄しないで。セヴィンくんは僕と一緒に今の話の事実確認手伝って。何かあったら皆に連絡するから」


 ざわつく総務係をゴシュがてきぱきと仕切る。

 先ほどの来客室での様子とは違い、ゴシュはいつものように噴き出る汗を拭っていた。

 

「では謝罪組、出発します」

 身支度を終えたカギモトは少しふざけた様子で残るゴシュ達に告げた。

 執務室の外へと向かうカギモトの後ろをティーバが、少し遅れてソナがついていった。


…………………


 職員用の予備の傘を借りて、外に出た。

 一度雨が止んだ空には、いつまた降り始めてもおかしくないような重たげな雲が立ち込めていた。


 ティーバは、気をつけるようにと再度念押しするように告げると、2人乗り箒で颯爽と飛び去っていった。

 

 できたばかりのいくつもの水溜りが、通り行く人々の足元を濡らしている。

 なるべく踏まないようにとソナも気をつける。


 ティーバと別れるまでは軽い調子だったカギモトも今は口を閉ざし、会話らしい会話はない。

 微妙な距離を保ち、雑踏の音を聞きながら最寄りの魔導トラムの駅へと歩いていた。


 もどかしい気持ちで郵便局の角を曲がった時。



「──あのさ」

 


 詰まったようなカギモトの声に心臓が跳ねる。

 横を見ると、きまり悪そうな笑みを浮かべていた。


「えっと、さっきの……新通路の魔素が消えたっていうのは……どういうことなんだろうね」


 取ってつけたような話題の振り方だった。


「は……発生源がなくなった、ということですよね」

「ああ、そっか。……だよね」


 再び沈黙。


 歯がゆくてならない。

 しかし、他に話題も浮かばない。


 確かこの間の会議では、とソナは思い出そうとする。


「高濃度魔素は、特殊遺物から発生しているんですよね。だからそれが」


 カギモトは何か言いたそうな顔をしてソナを見ていた。


「な、何ですか?」

「いや、ごめん……続けて」

「えっと、その遺物が、消えたか、壊れたか、もしくは持ち出されたのかなと、思いますが……」

「消えるっていうのはありえないよね。だから誰かが壊したか持ち出したかの2択?」


 ソナは僅かに首を傾げる。


「でも、選抜隊の方々がいるので、難しいのではないかと思います」


「それは……どうだろうな」 


 カギモトは含みを持たせるように呟いた。


「どういうことです?」


 ソナの問いかけに答えず、カギモトは曇り空を眺めて歩く。

 そして急にふっと笑った。 


「……何ですか?」


「いや、普通に会話できて……良かったって思って」


 ソナは思わず足元を見た。


「……すみません」 


「なんで謝るの」


 カギモトはまた笑う。


「今までずっと……できていなかったからです」


「……」


 一際大きな魔導トラックが轟音を立て、車道側を歩くカギモトのすぐ脇を走り抜けていった。


「俺も……」


 走行音の余韻が消えていく中、カギモトはぽつりと言う。


「俺の方こそ、ごめん」


 足音や、他の車の音にも掻き消えそうな声だった。


「いつもどおりにって、俺が言ったのに、俺が全然できてなかった」


 歩みは止めずに、「俺は」と言ってから、しばらく言葉を探すようにじっと前を向いていた。

 

「教育係として、しっかりやろうと思ってた。人との距離間を測るのは得意だから、それなりにうまくやれるだろうって……。でも知らないうちに、自分を追い込んでたみたいで」


 カギモトはマフラーを引き上げて鼻先まで隠す。


「色々思うようにいかなかったんだ、あの時は。君とも大事な部分が何か噛み合ってない気がして。本当に、余裕がなかった。……冷たいこと言って、ごめん」


 カギモトが、そんな風に気負っていたとは思わなかった。


 私はこの数日、このひとの一体何を見ていたのだろう。


 ソナは傘を持つ手を固く握った。


「カギモトさんが、謝らないでください……」

「本当にごめん」

「カギモトさん」


「……本当に悪いと思ってる。でも」

 とソナを見るカギモトの目元が、ふっと緩む。

「フラフニルさんだって、別に何度も謝ってほしいわけじゃないでしょ?」


「あ……」


 “すみません”を繰り返したソナに、“謝ってほしいわけじゃない”とカギモトは言った。

 謝罪はもちろん大切なことに違いない。しかし、謝るだけではその先に進まないのだ。

 必要なのは。


「とりあえず、今はさ」

 カギモトはひょいと大きな水溜りを避けた。

「目の前の仕事をちゃんとやろう。だから、気持ちを切り替えていきたいんだけど」

 

 水溜りを迂回したカギモトがさっきよりも距離を狭めた位置に来て、「いいかな」とソナを覗き込んだ。


 少し力の抜けた、いつもの穏やかな笑みがあった。

 それだけのことで胸が詰まりそうになる。

 顔を伏せるようにして「はい」とソナは頷いた。

 

 駅はすぐそこだった。

 魔導トラムも、じきに来るだろう。

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