第68話 嫌な予感
致命的なミスなんだ、とうんざりした顔でゴシュは説明を続ける。
受験会場と受験時間が完全に間違っており、前回試験の情報を更新していなかったのが原因とのことである。
伝心蝶等で通知するだけでは不十分で、直接説明をしろとのお達しだった。
随分と手厚い対応にも思うが、実施側による不手際での苦情をなるべく減らしたいということのようだ。
「本部のミスなら本部の連中で対応しろよな」とトレックがぼやく。
「まったくそのとおりなんだけど、そういうわけにもいかないのが出先の辛いところだよ。──ナナキさん、リスト出せたかな?」
「はい」とナナキが全員に紙を配る。
それは西部地区での受験者の名前と住所のリストで、その中にはやはり、ソナが受験の受付を行った少年、リケの名があった。
「幸い西部の受験者は少ないからね。基本的に受付けした人に受け持ってもらおうと思ってるけど、住所で振り分けたから」
そう言って、ゴシュはそれぞれに指示を出していく。
「ソナさんは、新規受験者の対応だね。場所もクルベ通りだとさすがにひとりはね……」
ゴシュはソナとカギモトを見て、一拍置いてから尋ねる。
「カギモトくん、一緒に行ってくれる?」
教育係を降りる、とのカギモトの言葉をゴシュが気にしているのは明らかだった。
感情の読めない普段の表情で、カギモトは「わかりました」と頷いた。
「会えないなら会えないで仕方がないけど、一回は接触を試みてね。駄目なら伝心蝶か郵便でも出しておいて」
ゴシュが全員に向けて言う。
「とりあえず直接説明しようと努力はしたというポーズを取れと。そういうことですよね」
いつも以上に不機嫌そうなセヴィンに、「まあそういうことなんだけど」とゴシュが苦笑いを返した。
「忙しいところほんと申し訳ない。雑務は僕と残留組でやるから、頼んだよ」
それぞれが、動き始める。
業務負担は増えたが、結果的にカギモトと2人行動となる機会が得られた。
それなら話すタイミングだってあるだろう。
あれだけ嫌だと思っていたカギモトとの2人行動を、良かったと思うとは。
少し前の自分なら、信じられないことだった。
……………
カギモトは自分の机に西部地区の地図を広げた。
「ここがクルベ通り。リケの住所は、申込みした時の記載によると……多分このあたり」
カギモトが指を差したのは、地図上ではクルベ通りを含む地区にあたるが、四角く空白になっている区画だった。
「前に国営団地があったとこだ。今は空き家なんだと思う。リケみたいな子どもとかが住み着いているところなのかもしれないね」
「はい」
「まあ試験を控えてるんだし、行けば会えるとは思うけど……」
「行きましょう」
思ったよりも大きい声が出た。
カギモトは少し驚いたようにソナを見た。ソナも見返すと、カギモトの方が視線を泳がせた。
「……あまりいいところじゃないからね、クルベ通りは。明るいうちに行こうか。一応先に、伝心蝶をリケ宛に送ってくれる?」
「わかりました」
ソナが伝心蝶を作っているうちに、カギモトはソナとの机の間に積んであった資料を、床の文書箱に入れ始めていた。
「あの、カギモトさん」
「ん?」
箱の蓋を閉めようとしていたカギモトが顔を上げる。
「送り先……確認してもらえますか?」
カギモトは「ああ」と苦笑いを浮かべる。
「そうだね、確認しないと」
伝心蝶にソナが刻んだ住所と、リケの住所に相違がないかをカギモトにも確かめてもらい、ようやく送ることができた。
飛び去っていく蝶を見届けたカギモトは、足元の重そうな箱を「よいしょ」と持ち上げる。
「あの、それは?」
ソナは箱を見て尋ねた。
「何年か前の書類だよ。経理関係の。重要な資料もあるから置きっぱなしはちょっとね。一旦資料室に戻してくるから待ってて」
「私が持っていきます」
「え?」
呆気にとられたようなカギモトをよそに、ソナは運搬魔法を使って箱を持ち上げる。
「すぐ戻ります」
そう言って、地下の資料室へと向かった。
……………
元あった場所はわからないが、カギモトは再びこの資料を見るつもりだろう。
だから、資料室に入ってすぐの床に箱を置いた。埃が舞い上がり、ソナは顔をしかめる。
そのまま上に戻ろうとしたが、カギモトが昔の資料で何を確認していたのか、ふと気になった。
箱の中の資料を覗くと、いくつもの新しい付箋が貼ってあった。紙をめくり、その箇所を見る。
「結界関連の……消耗品?」
主に結界石だが、そのほか、結界石設置用の基板や補修液などの購入関係の書類に印がつけられていた。
管理係の結界管理に問題がある可能性がある一方で、結界石や結界に係る消耗品の要求は増えている。
カギモトはそんなことを言っていたが、それをきちんと確かめているのかもしれない。
しかしそれが事実だとしたら、管理係は一体何をやっているのか。
資料室の灯りが弱々しく明滅し、ソナははっとする。
そんなことを考えている場合ではない。
執務室に急いで戻ると、そこにカギモトの姿はなかった。
まさか、先に行ってしまうことは、ないだろう。
きょろきょろしながら自分の席に向かうと、隣席のティーバが何か言いたそうにしていた。
ふと見れば、自分の机の上に、見慣れた布に包まれたランチボックスが置かれている。
「……」
朝忘れた私のお弁当が、なんでここに。
「あ、ソナさん!」
外出する格好のナナキが、おろおろとした様子でソナに駆け寄ってきた。
「そのお弁当……さっきソナさんのお母様がいらして、持ってこられたんですけど」
どくん、と強く心臓が鳴る。
目眩を感じながら「母は」と尋ねた。
「それが、その、ソナさんの教育係について尋ねられて。それで今来客室で係長と……カギモトさんが対応してます」
「……」
ナナキは言いにくそうに続ける。
「あの……カギモトさんが教育係だって聞いた途端、すごいお怒りになって──」
1階フロアには来客用の部屋が一つだけある。
母と、“杖無し”のカギモト。
考えたくもない組み合わせだった。
ソナは弾かれたように、来客室に向かって駆け出した。




