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西部遺跡管理事務所 業務日誌  作者: 青桐 臨
第一章 新入職員 ソナ・フラフニル編
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第67話 壁

 隣町からの帰宅は夜になった。


 当然ながら母は非常に腹を立てていた。

 家に帰ると、すごい形相で甲高い声で激しく罵られた。

 前ほど怖いとは思わなくなった。もちろん後悔もしていなかった。

 しかし、母が持っていたマグカップを振り回し、ソナの数少ない服にたっぷりとコーヒーの染みをつけた。


 翌日、それでも作ってくれた母の弁当を、玄関に置き忘れてしまうというミスを犯した。

 通勤飛行中、弁当を忘れたことに気づいた頃には取りに帰る時間もなく、夜に食べるからと謝罪の言葉を伝心蝶で送った。


 職場に到着する前には冷たいにわか雨に当てられ、びしょ濡れの体で執務室に入った。


 いつもソナより出勤の早いカギモトは、始業前ではあるが席で仕事をしていた。 

 その静かな後ろ姿を見ると、思わず近づくのを躊躇ってしまう。 


 それでも、とソナは足を踏み出した。


「おはよう……ございます」


 ごく小さな声で挨拶すると、カギモトは顔を上げた。


「……おはよう。雨降ってきたんだ。大丈夫?」


 ハンカチで髪を拭くソナを見上げ、心配そうな顔で言う。

 いつもどおりにするから、と言ったとおり、カギモトはいつもと変わらなく見える。


 しかし、間に薄い壁でもあるように思えるのは、気のせいだろうか。


「……大丈夫、です」

「ならいいけど、風邪ひかないようにね」

 さらりと言って、カギモトは向きを変え、仕事に戻る。

「……」

 

 確かに体は冷えていて、ぶるりと身震いがした。


 何もかもがうまくいかない日に思えた。


…………………


 数字の羅列した資料を熱心に読んでいるカギモトは忙しそうだった。

 ソナとの席の間には書類が積まれている。


 カギモトに対して、私もこんな風に壁を作っていたのだろうと、配属初日を思い出すと苦い気持ちが込み上げてくる。

 それでも、壁をふわりとすり抜けるようにカギモトは接してくれていた。


「……」


 ここで揺らいでるわけにはいかなかった。

 心の中で拳を握りしめる。


 仕事の頃合いを見て、ソナは「あの」と口を開きかける。


 窓口に客が来た。

 今日の窓口当番であるソナは慌てて受付カウンターに出る。少し遅れて、カギモトが着いてきた。まだ教育係としての役割を務めてはいるということだ。


 探索士の受付は一般的なものであり、特に問題なく手続きを終える。


「そういえば」

 と用件の済んだベテラン風の探索士の男は話好きなのか、カウンターに肩肘を乗せ、ソナに話しかける。

「最近、結界の管理はどうなってるんだ?」


「結界……ですか」


 そういえばこないだの来客者も「結界」と口にしていた。


「遺跡の結界。最近管理が甘いんじゃないかい」

「といいますと」

 横からカギモトが話に加わる。


「兄さんにわかるかね」と探索士は白けた顔になったが、話はしたいらしく続ける。

「どの遺跡もあちこち、綻んでんだよ。おたくの管理係にもちろん言ってるぜ。なのに中々対応してくれねえ」


「それは、申し訳ありません」


 カギモトはやや険しい顔で言う。そしてカウンターの下から西部地区の地図を出して広げた。具体的にどの遺跡かを尋ねる。


「俺の知ってる限りではな」と探索士の男はいくつか指し示しながら言う。

「……あんたたち、結界石けちってるんじゃねえの?」


「いえ、そんなことは」とカギモトはすぐに否定した。


「まあいいが、こういうのはほっとくと大変なことになるからよ。しっかり頼むぜ」


 そう言い残し、探索士は去って行った。

 カギモトはいくつかの印をつけた地図を見つめて、「またか」と呟いた。


「“また”、ですか?」


 思わず尋ねるとカギモトは一瞬目を見開くようにしてソナを見た。


「あ……うん」

 さっと地図を畳み、笑みを浮かべる。

「最近増えてるんだよね、結界についてのクレームみたいなやつ」


 それから少し考えるように上の方を見て、再度口を開く。声は先ほどより小さい。


「こないだエンデも言ってたんだよ。管理係がちゃんと……マニュアルどおりに結界管理をやってないんじゃないかって。でも、結界石とか結界に係る消耗品の要求は、増えてるんだよね」


 セヴィンさんと相談してくる、とカギモトは地図を手に離れていった。


 仕事の話はできるが、どうにも自分の話を持ち出す空気ではない。そもそも勤務中なのだから仕方がないことだが。

 じりじりするような気持ちに急き立てられていたが、次々と来客があり、ナナキに手伝ってもらいながら午前中が過ぎた。


 総務係の業務は全体的に逼迫していた。


 アレス遺跡の調査に関して、引き続き必要な物資調達に追われていた。簡単に手に入らないものもあるらしく、ナナキやトレックは苦戦していた。

 また、選抜隊から上がってくる報告をまとめるのも、本来なら管理係か調査係が担当するらしいが、人手が足りないからとセヴィンがやっていた。

 シンゼルは昨日休日出勤だったようで、今日は休みだった。思えば、アレス遺跡の選抜隊には休日など関係ない。調査で何かあった時のために総務係もひとり待機していたということだ。

 


 朝から慌ただしそうにしていたゴシュがいきなり、

 「ちょっとみんな」

 と声を上げた。

 昼休憩時間を終えた時のことだった。


「忙しいところ悪いんだけど、ちょっと聞いてくれる? 全然大した話じゃないから」


「──あ、そういうときの係長、大した話じゃなかったことないんだよな」


 どこか怯えたようにトレックが言う。

 総務係は皆手を止め、ゴシュの方を見た。


「今週末、探索士試験があるよね」


 確認するようにゴシュが言った。

 そういえば、ソナが前に受け付けた少年、リケが受験するのも今週末の試験である。


「受験者に配布している受験要項なんだけど──あ、本部が作ってるやつだよ。そこに、重大な誤記があったんだって」


 全員が、何となく嫌そうに視線を交わし合う。


「だから、配布した受験者全員に、早急に、直接、訂正説明しに行かなきゃならなくなったんだ。これからその対応をお願いしたい」


 降って湧いたようなさらなる業務に、総務係の空気は一段と重たくなった。

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