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西部遺跡管理事務所 業務日誌  作者: 青桐 臨
第一章 新入職員 ソナ・フラフニル編
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第66話 アシュリー・ミュレット 後編

引き続き重たい話ですが、ここでソナ過去編最後になります。

 学校で教わったはずの対象固定も範囲認識も忘れ、とにかくソナは、怒りの感情を魔力に込め、倒れた青年に殴りつけるようにぶつけ続けた。


 消えてしまえと、呪うように願っていた。

 

 駆け付けた大人達に止められてすぐにソナは気を失い、病院に運ばれた。

 


…………………



「ちゃんと言えばよかったわね」



 病院の枕元で、母は今にも泣きそうな顔をしていた。


「最近ね、馬鹿げた迷信が“杖無し”の間で最近広まってたみたいなのよ」


 魔力の高い子どもの血を飲むと、魔力が無い人間でも魔力を持つことができる、と。

 誰がそんな噂を広めたのかはわからない。しかし、同じような事件があちこちで起きているらしいと母は言った。


 “かみさまに会った”


 青年は、そう言っていた。


 “かみさま”とは誰なのか、青年の妄想なのか。

 考える気力も起きず、誰にもその話はしなかった。



 魔力の供給元である魔力器官を一時的に酷使した影響で、体を起こすこともできない。

病院のくすんだ色の天井を眺め、ただ母の話を聞いているだけだった

 


「やっぱり平等法なんて無理な話よ」


 ソナが聞いているかは特に気にしていない様子で、母はとにかく語り続ける。


「“杖無し”なんて野放しにしちゃだめよね。ソナちゃんをひとりで出歩かせることもできないじゃない」


「……お母さん」


「なあに?」


 険しい顔でまくし立てていた母は、ぱっと笑顔でソナを見た。

 恐ろしく喉が乾いていた。


「それで、あの人は、どうなったの……?」


 かさついた声で発せられたソナの質問に、母は無表情になる。


 あの時、熱に浮かされていたのに、記憶は鮮明だった。

 自分が放った魔法のせいで、苦痛に顔を歪める青年の姿が、燃える炎の赤さが、恐ろしい叫び声が、深く、刻み込まれている。


「私、あの人のこと……私が、魔法で」


「ソナちゃん」 


 母が、ソナの手を取りぎゅっと握り締め、ゆっくりと首を左右に振る。


「仕方がなかったのよ。“杖無し”は、私たちとは違うの。悪いなんて少しも思わなくていい。──忘れなさい」


「……」


 “杖無し”は私たちとは違う。


 それは、縋りつきたくなるような救いの言葉でもあり、同時に、吐き気がするほどの罪悪感を植え付ける言葉でもあった。

 

 「怖かったわよね」と母はそっとソナの頬に触れる。


 涙を浮かべたその顔は、慈愛に満ちていた。


「アシュリーちゃんのことは本当に残念だわ。でも、ソナちゃんが無事で、お母さん……本当によかった」



 ソナの攻撃によって虫の息となっていた青年は、大人達によって内密に「処理」され、警察もそれを黙認したと後に聞いた。


 既に平等法は施行されていたが、身寄りのない“杖無し”ひとりが消えたところで、誰にも何も問題にはならなかったということだ。


 “杖無し”の人権よりも、ひとりの子どもの将来を優先したのだろう。


………………


 ソナは廃工場の跡地の前に立っていた。

 魔導トラムを乗り継ぎ、歩き、思ったよりも時間がかかってようやく到着した。


 あの事件の後、治安の悪化をもたらすとして廃工場は撤去され、今はただ、だだっ広い空き地になっていた。木も草も疎らに生えるだけで、人の姿もない。


 冬の空の下では、何もない土地がよりいっそう寒々しく見える。

 



「アシュリー」  




 何もないところに向かって呟いた名は、すぐに風に紛れた。

 



…………………



 空き地に足を踏み入れた。

 どこに何があったか、更地に立つとその記憶はおぼろげた。

 あの小屋は、もっと奥だっただろうか。



──どうしてソナちゃんがアシュリーを止めてくれなかったの! あなたのせいで……



 それは退院したソナに、アシュリーの母が掴みかかるようにしてぶつけた言葉だ。

 

 単なる言いがかりだったが、その時のソナにはわからなかった。

 やつれた顔が、血走った目が、かさついた唇から飛び散る唾が、今も焼きついている。


 その一件で、ミュレット家との関係は壊れて疎遠になり、互いにその土地から逃げるように引っ越しをした。

 だから、アシュリーの墓の場所は、今も知らない。



 恐らくここだろうと、かつて小屋があったと思われる場所にソナは立った。


 当然今は地面以外の何も無いが、乾いた冬の中にあっても、あの蒸せるような夏の夜の光景がありありと浮かび上がる。

 


 私の知っている“杖無し”は。



 弱者の顔をして世界を憎み、どこまでも卑屈で、「不幸な我々」には救いの手が差し伸べられるべきだと信じて受動的に支援を待つだけの狡い人間で、自己の目的のためなら他人を傷つけることも厭わない──


 そんな人間だ。


 子どもの血を飲めば魔力が得られるなんて馬鹿みたいな話を信じ込み、実行してしまうほどに、憐れで愚かだ。


 追い詰められた彼らは危険な存在へと変貌する。

 潜在的に、悪だ。


 だから。

 カギモト・カイリの優しさは紛い物だと、その笑みの裏に良からぬ企みがあるのだと、決めてかかっていた。



 ソナは高い青空を見上げた。

 渡り鳥の一群が、美しく隊形を組んで飛んでいった。



 全然、違う。



 鼻の奥がつんと痛くなり、目に涙が滲んでくる。



 カギモト・カイリという人間は、初めからずっと誠実だった。

 たった数日の付き合いでも、それはもう疑いようがなかった。


 ソナは零れそうになった涙を拭う。それでも、じわりと溢れてくる。


 いつのまにか。


 彼の柔らかな物腰に、落ち着いた口振りに、向けられる優しい瞳に、ともすれば応えたくなってしまう自分がいた。


 “杖無し”が普通の、ましてや尊敬に値する人間だなんて、あってはならなかった。

 ひとつの例外も許すわけにはいかなかった。


 それを認めてしまえば、罪悪感に飲み込まれてしまいそうな気がしたからだ。

 

 そんな身勝手な理由で、カギモトの尊厳を傷つけていた。 

 “杖無し”を追い詰めるのは、いつも“杖無し”以外の人間だ。



 乱暴に涙をぬぐった頬の上を、風が冷たく撫でる。



 もう構っていられないと言ったときの、突き放すような目を思い出す。


 取り返しはつかないだろう。今さら弁明する資格もない。


 それでも、このままではいけないということは、わかっていた。



 目の前に広がる土地は、今も胸に乾いた冷たい風を吹き込むような光景だった。



 アシュリーと“杖無し”の青年。

 ソナは目を閉じ、2人の死を、ここで初めて悼む。

 “杖無し”のせいだと逃げていた。その死に深く関わったことを、忘れない。



 再び目を開けると、青空が眩しい。


 この場所は、あの頃のソナが感じていたものに比べれば、ずっと明るく、そして小さく見えた。

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