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西部遺跡管理事務所 業務日誌  作者: 青桐 臨
第一章 新入職員 ソナ・フラフニル編
65/150

第65話 アシュリー・ミュレット 中編

引き続き、重い話になります。

一部残酷描写有。苦手な方はご注意ください。

「やだわ、心配ねえ。ソナちゃん、アシュリーちゃんが行きそうな所とか、何か知ってる?」 


 枕元で看病をする母に尋ねられ、ソナは口を噤んだ。

 その頃には警察にも通報がされ、近所の人々も協力してアシュリーの捜索が始まっていた。

 

 アシュリーとの秘密を──“杖無し”と会っていたことを母に明かすのは、当時のソナにとってはとんでもなく恐ろしいことだった。 


「知らない」


 そう答えてソナは布団に潜った。

  

 アシュリーは好奇心旺盛だから、どこか別のところに探検に行ったのかもしれない。猫なんかを追いかけて、どこかで道に迷ってるだけかもしれない。


 都合のいい考えが浮かんでは消え、浮かんでは消えて──けれども、結局はあの青年に行き着いてしまう。


 熱があるのに冷えた手を、布団の中でぎゅっと握った。


──アシュリーに何かあったら。


 この時初めて怖くなり、ソナは泣きながら母に打ち明けた。

 母は見たことがないほど険しい顔をして何か言いかけたが、それよりも先にアシュリーの両親に知らせた。


 そして、アシュリーの父の逞しい背中に背負われ箒に乗せられたソナは、熱に浮かされながら、アシュリーの行ったであろう場所を指し示す。



 街外れの廃工場へ。



 ろくな街灯もなく、ただ暗い。

 昼間の蒸し暑さがまだ残っていた。夏草の匂いとやかましい虫の声に、遠く、猫の鳴き声も混ざっていた。

 

 “杖無し”がいるとソナから聞いていた捜索隊や警察は、手持魔灯に僅かな明かりを灯し、静かにアシュリーを捜し始めた。


 ソナはまだ微かな望みを持っていた。

 だから小屋の場所までは大人達には教えていなかった。


 捜索に夢中になる大人の目をすり抜け、息を潜めて小屋に向かう。


 あの小屋にはただ子供のような青年がいるだけで、他に何もないことを先に確認して、安心したかっただけだった。

 

 外の暑さと自身の熱でくらくらしたが、迷うことはなかった。何度も来ていた場所だけに、輪郭の滲んだ満月の月明かりだけでも、ソナには十分だった。

  


 月を背景に佇む小屋は、何か不吉な象徴にも見えた。

 中から聞こえる猫たちの声は、普段よりも騒がしい気がした。


 呼吸が細く震える。


 いつもはアシュリーが勢いよく開ける扉を、今はソナがゆっくりと、音を立てないように押し開けた。 

 

 生臭く、密度の濃い、異様な匂い。

 猫の鳴き声がいっそう大きくなる。

 柔らかいものが足元を素早くすり抜けるのを感じ、ソナは「ひっ」と小さな悲鳴を上げた。


 今のは、猫だろうとソナは唇を噛み締めて自分を押さえ込む。


 一度静かに息を吐き、扉の中に慎重に体を差し入れる。

 暗く、中はよく見えない。  


 ソナは学校で覚えたばかりの魔法を使い、光の粒を手に集めた。

 魔灯よりもかなり弱々しい、小さな蝋燭にも満たないその明かりを掲げた。

 

 だらりと伸びた白い──脚。

 見慣れた赤い靴だ。


 どきんと、心臓が跳ねる。


「あ……」

 

 嘘だ。


 ソナは後退りしそうになり……踏みとどまる。

  

 違う、あれがアシュリーのはずがない。


 自分に証明しようと、奥歯を噛み締め、一歩近づく。


 明かりの照らす範囲が移る。

 ボロ布の上に倒れた子供くらいの大きさの人形のような何かと、覗き込むようにする数匹の猫。そして周りを囲むように赤黒い染みが床に広がっている。

 人形のようなものの手首に、見慣れた組紐があった。


「……っ!」


 ソナは叫ぼうとする口を咄嗟に手で抑え込んだ。


 その瞬間背後に気配を感じ、全身が総毛立つ。



「あっ、ソナ」



 どこか間の抜けたような青年の声だった。


 ひとつしかない小屋の扉口に、青年が立っていた。

 ソナの弱い灯りに照らし出されるその顔も、手も服も、ひどく汚れているように見える。


「……」


 凍りついたように何もできなかった。

 青年は素早くソナに回り込み、倒れた人形のようなものの前に立った。やってしまった失敗を親から隠す子供のような仕草だった。


「ごめん」 

 青年はくしゃりと顔を歪める。

「アシュリーが、動かなくなっちゃったんだ」


「……な」


 ソナは口をぱくぱくとさせるだけだった。


「ぼくのせいだ」

 青年は手で顔を覆った。その片手に、小さな、汚れたナイフが握られている。

「でも……かみさまが言ったんだよ」


 くぐもった声で青年が言う。

 と思いきや、急にぱっと顔を見せ、生き生きと話し始めた。


「アシュリーにも言ったんだけどね、ぼく、この前かみさまに会ったんだ。やっぱり、アシュリーが一緒にお祈りしてくれたおかげだと思う」


 何を言っている?


 理解しようとしているのに、頭が動かない。


「その時かみさまがないしょで教えてくれたんだ。ぼくがね、魔法を使えるようになる方法」


「ほう、ほう……?」


 ようやく出た声はひどく掠れていた。


「うん」

 青年は力強く頷く。

 ポケットから、淵の欠けたコップを取り出した。そして少し申し訳なさそうに微笑んだ。

「君たちみたいな子どもの血をね、飲めばいいんだって。ちょっとだよ。それだけでいいんだ」

「……」


 そんな馬鹿な話があるわけない。


「でも」と青年は手に持ったコップを困り顔で見つめる。

「どれだけ飲めばいいのか忘れちゃったんだ。コップ1本分、いや、2枚……、2匹分、って言うんだっけ?」


「……」


「とにかくまだ血が足りないってことだよね。だってまだ、ぼくは魔法が使えないんだもの」


 渇望するような目が、ソナをじっと見つめる。


「腕がいいかな。少し痛いかもしれないけどじっとしてね。アシュリーは、暴れるから首に当たっちゃって……。でもわざとじゃないんだ」


 青年は痛々しそうに背後を見た。コップと反対の手に持っていたナイフが、ゆらりと揺れる。


 喉が締められたように声が出ない。

 猫達はいつの間にかいなくなっていた。

 どこかでソナを呼ぶ大人達の声が聞こえて、頭ががんがんとする。

 


「誰か来たのかな。あ、でもぼくは悪くないよね。だってぼくはこれまで本当に、死ぬほど大変だったんだ。しかたがないよ」 


 一歩、僅かに退く。

 悪い夢だ、これは。


「でもこれで」と期待を込めたような顔で、青年は一歩近づいてくる。


「魔法が使えるようになれば、ぼくは“杖無し”じゃなくなる。ぼくは、君たちみたいになれるんだ。──ふつうの人間に」



 善悪を知らない幼子のような言い訳でしかなかった。


 ソナは自分の手首に巻かれた組紐を見る。


「お揃いのものを身に付けてたら、きっとソナはいじめられない」と、揃いの組紐を作ることを提案したのはアシュリーだった。  

 現実はそんなに単純ではなかったし、アシュリーが間違っていることも多々あった。

 けれども、アシュリーの真っ直ぐな心は、いつもソナの先を照らす光だった。

 


──勝手なことを。

 


 恐怖よりも憐れみよりも、怒りが勝ったのは、この瞬間だった。

 無害そうな顔をして、自分の利益のために、平気で他人を傷つける。



──“杖無し”とはなんて危険な存在なのか。



 ソナの中で、何かが勢いよく外れた。



 熱い。



 そう思った時には、ソナの手から暴発する魔力が真っ赤な炎となって放たれ、青年を小屋の壁ごと吹き飛ばしていた。

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