第64話 アシュリー・ミュレット 前編
重たい話が続きます。
夏の日差しが重たく照らしつける昼下がりだった。首の後ろがじりじりと痛い。
蒸せ返るような青い夏草を踏みつけて走る少女の背。
一緒に作ったお揃いの組紐、ブレスレットと称したそれが、細い手首で揺れている。
アシュリーを追いかけていた。
「待ってよアシュリー、早い……っ」
「ソナが遅いよ。あたしが一着っ!」
給食の残り物の入った紙袋を握り締め、アシュリーはさらに走るスピードを上げる。
目的地は、街から北に外れた工場の跡地だった。通っていた学校からは、子供の足でもさほど遠くはなかった。
かつてはそれなりの規模で魔導機械の部品を製造していた会社のものらしいが、いつの間にか潰れ、廃墟となっていたところである。
子供だけで行ってはいけないと親や先生から口酸っぱく言われていたが、それで大人しくしているアシュリーではなかった。
怯えるソナを連れ、探索士ごっこと称し、工場の跡地に足を踏み入れるのは、いつしか2人の日課となっていた。
古い機械や材料がそのまま残っていて、まるで秘密基地のようだったのだ。
そこである日、アシュリーの言うところの「面白いもの」を見つけた。
それから夢中になって何度も通うアシュリーに、ソナは嫌々ながらも付き合っていた。
「ナシくーん、今日も来たよ!」
アシュリーがくたびれた小屋の扉を開けた。
ソナは鼠や虫がいないかが気になって、辺りを見回しながら不安そうにアシュリーにぴたりとくっついている。
「やあ」
おっとりとした青年の声。
元は工場の物置か何かだったらしい小屋の中には、木材やらスコップなどの道具が積まれていて、その奥に、猫に囲まれて座る痩せた青年がいた。
「元気だねぇ、いっつも」
欠けた歯を見せ、楽しそうに目を細めながら、周りの猫達を撫でている。
──魔力が全然ないよ。あの人“杖無し”なんだね。
1ヶ月ほど前、初めてその青年をそこで見つけた時、アシュリーは興味津々、といった様子でソナに囁いた。
雨風をしのぐためにいつからか住み着いているようだった。
“杖無し”と呼ばれても気を悪くすることなく、青年はにこにこと、でもどこか困ったように笑っていた。
まるで、この世の全ての不幸を背負い、それに耐えているような笑顔にも見えた。
──パパ達は“杖無し”に近づいちゃだめって言うけどさ、あの人、全然悪い人じゃないよ。 魔力が無いだけで皆から嫌われて、なんかかわいそうだよね。
ぼろを纏った青年の身なりや浮浪者のような生活にアシュリーは驚き、子供らしいともいえる妙な正義感を持ってしまった。
──ねえ、ソナ。あの人、あたし達が助けてあげようよ。
アシュリー・ミュレットはそういう子だった。
人と話すのが苦手で、学校で嫌がらせを受けても誰にも言えずじっと耐えていたソナを、守ってくれたのはアシュリーだった。
正しいことをしていると思えば、自分より遥かに大柄な子供にも食って掛かるような純粋さと危うさがあった。
──お兄さんの名前は?
アシュリーに名前を聞かれた青年は困っていた。自分の名前を知らないか、誰にもつけられなかったのかもしれない。
アシュリーは“杖無し”の“ナシくん”、と無邪気にもそう呼び名をつけた。ソナがその名を口にすることはなかったが。
それからだった。
給食の残り物や家のお菓子をこっそりと持ち出し、いらない服や布きれなんかを施すようになった。
「ねえアシュリー」と親しげに青年は呼びかけた。
「猫が1本見当たらないんだ。いや、1枚だっけ……?」
「あはは、“1匹”でしょ? ナシくん知らないの?」
「誰も教えてくれないからね」
青年は肩をすくめた。
「じゃあ今日から覚えましょう」
学校の先生の仕草を真似るアシュリーに「なにそれ」と青年は笑う。が、ふと真顔になった。
「魔法も誰かが教えてくれたら、ぼくもできるようになるのかな」
アシュリーとソナは顔を見合わせた。
「えー無理だよぉ、ナシくん、“杖無し”だもん」
悪気無い様子でアシュリーが言う。
アシュリーは正直だ。
「そうなのかな、絶対に無理かなぁ」
「そうだねぇ」とアシュリーは考え込む素振りをする。
「じゃあ、神様にお願いしようか。ナシくんが魔法を使えますようにって」
「うん、お願いしてみよう!」
無邪気に答えて笑う青年を見ると、ソナは胸が痛くなった。
“杖無し”が魔法を使えるようになるはずがない。だから、“杖無し”なのだ。
アシュリーはとんでもなく残酷なことをしているのではないか。
「ねえアシュリー……やめなよ」
「なんで?」
きょとんとした顔でアシュリーは首を傾げる。
「なんでって……」
アシュリーの行動の源は善意だ。それを否定する言葉は、その時のソナに持ち合わせていなかった。
ソナはそれ以上言うのをやめた。
意味ありげな形に石を並べ、「儀式」と称して奇妙な祈りを始めるアシュリーと青年を横目に、ソナは早く帰りたい気持ちで膝を抱えていた。
“杖無し”の青年がその歳までどのように生活していたのかは知らない。
今思えば、ソナ達より10以上は歳上だろう青年との会話の内容や遊び方は、随分と幼いものだった気がする。
大人から禁じられていた“杖無し”と関わっていることに、後ろめたさも当然感じていた。
しかし、善いことをしているから大丈夫だと自分を納得させていた。
それに親にも言えない秘密を友人と共有していることは、ソナにとっては魅力的で、どきどきすることだった。
ただ、その祈りの儀式を行ったときからだろうか。
青年は魔法を見せてとソナやアシュリーにしきりにお願いし、アシュリーは覚えたての魔法を張り切って披露していた。
もの珍しかっただけなのかもしれない。
それでも、そんな他愛もない魔法を、青年が何とも必死な目で見ているのが妙に気になった。
アシュリーと時折行う「神様への祈りの儀式」にも、不気味な真剣さが漂い始めていた。
もう行くのをやめよう、と何度もアシュリーに言いかけては思いとどまった。
唯一の友達に、嫌われたくなかったのだ。
数日が経った。
終わりかけた夏が最後の暑さを振り絞っていた日、ソナは風邪を引いて前日の晩から寝込んでいた。
いつも、青年の元へは学校から直行していた。
アシュリーならひとりでも行くだろうと、ぼんやりとしながら、ベッドの上のソナは考えていた。
ひとりで大丈夫かな。
そんな考えが一瞬頭をよぎったが、高い熱のだるさの前に、消えた。
「アシュリーが帰ってこない」
と血相を変えて彼女の母がソナの家まで知らせに来たのは、その晩のことだった。




