第62話 始末書
「始末書のデータは係のフォルダにあるから、参考にして作ってもらっていい? できたら見せて。書き方わからなかったら、聞いて」
「……はい」
カギモトは丁寧だがどこかよそよそしい態度で指示を出すと、自分の仕事に戻った。
聞いてと言われても、正直聞きにくい雰囲気だった。
自力でやろうとソナはカギモトに言われた過去の資料を探し、始末書を作り始める。
さっきまでの出来事をまるで他人事のように文書化していく。淡白な文章の中に、感情の揺らぎは一切無い。
それでも今日は、色々な事があった。
ソナは溜息をつく。
いつの間にかカギモトはトレックの席に行って、何やら話をしているようだった。
そういえば、今頃になって空腹になってきた。持ってきていた弁当は念のため魔法で冷やしていたが、今ここで弁当を広げるわけにもいかない。
そう思って腹を擦りながら端末を眺めていると、横からぬっと腕が伸びてきた。
「えっ」
隣のティーバが、ソナの机に何かを置いた。棒状の携帯食料だった。見れば、ティーバは立ち上がってカギモトの席にも同じものを置いている。
「昼、食べる時間なかったんでしょ」
席に戻り、ティーバはぶっきらぼうに言った。
「お客さんいないうちに食べたら」
確かに今、フロアに客はいなかった。
「あ……ありがとうございます……」
「別に、たくさんあるから」
ティーバは軽く肩をすくめると、どこかに電話をかけ始める。
包みを開け、ソナは携帯食料に齧りついた。
「ソナさん、お疲れさまでしたね」
急いで食べ終えた頃に後ろから声をかけてきたのはナナキだった。
数冊の重そうなファイルを抱えていた。やはりナナキもまだ忙しいらしい。
「いえ……私のやったことなので」
「まあ誰もが通る道ですよ。と言ったら係長に怒られるかもしれませんが」
ナナキがちらりと舌を見せる。
ティーバもナナキもごく普通に接してくる。
教育係についてのゴシュ達とのやり取りは、特に聞こえていなかったらしい。
「あ、これ始末書ですね」とナナキはソナの画面を覗き込む。
「うーん、ここはもう少し発生時間とか詳しく書いたほうがいいかもです。再発防止策も3つくらい書かないと係長通らないですよ、多分」
「ありがとうございます」
ナナキの意見は有用で、ソナは程なくして始末書を完成させた。
……………………
それを席に戻ってきたカギモトに見せると「いいんじゃない」とすぐに言われた。
「……本当ですか?」
「俺が読む限り、無駄なく、よくできてると思うよ」
「ナナキさんに、アドバイスしてもらいました」
カギモトは始末書案を手にしたまま一瞬止まる。
それからソナに少し椅子を寄せ、身を屈めて囁いた。
「……あれは、どういうこと?」
どこか咎めるようなカギモトの表情に、ソナは小さく息を呑む。口調に、いつもの柔らかさはなかった。
「俺が教育係外れるって話。そういう話だったよね」
「……」
「なんで係長に、わからないなんて言ったの」
ソナは唇を噛み、ややあってから「すみません」と小さく言った。
「……」
カギモトは目を伏せて重たげな息を吐く。
今日は何度、カギモトの溜息を聞いたのだろう。
「何だか、よくわからなくなってきたな」
そう言ってカギモトは不意に立ち上がった。
「……ちょっと、いいかな。あっち」
着いてくるようソナに視線で示し、執務室の外に向かって歩き出す。
黙ってカギモトの後について行くしかなかった。
………………
しんと寒い廊下でカギモトと向かい合う。
「仕事中にごめん」
律儀にもカギモトは謝った。
「でもちょっと、話しておきたくて」
ソナはローブの袖を握り締める。
「……何でしょうか」
「正直言うとね」
カギモトは足元の冷たい床を見ている。
「俺は、フラフニルさんとの距離感を計りかねてる」
距離感。
言いにくそうにするカギモトを見つめ、ソナは続く言葉を待つ。
「俺のこと、拒絶してるのかと思えば、後を追いかけて来てくれた。じゃあ打ち解けたのかなって思えば……また目を逸らして、黙り込む」
「……」
「昨日メッツェンにはっきりと、教育係は替えてもらうって君は言ってた。なのに今日になったら、わからないって……」
ソナは体の前で組んだ指を、固く握り締めていた。
「何を考えてるんだ?」
カギモトの問いは、ストレートだった。
「“杖無し”に対して何か思うことがあるのはわかってる。でもそれを差し引いたって俺は……こういうことはあまり言いたくないけど、俺なりに努力してるつもりなんだ」
カギモトは息をついた。
「でも、君とどう関わればいいのかわからない」
カギモトの言葉に、ソナは項垂れる。
言いたいこと、言わなければならないことが喉奥で詰まる。
カギモトにそんな顔をさせたかったわけではない。
「……すみません」
絞り出すように口から出たのは、それだけだった。
「だから謝ってほしいわけじゃ」
声が大きくなりかけたカギモトは、苦々しい顔でその先を飲み込んだ。
「……何も言わないから、何も考えてないとは思わないよ。でも」
カギモトが言いかけた時、執務室への閉じた扉から、シンゼルやトレックの楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
それが止んでからカギモトは再び口を開く。
「言い方、悪いんだけどさ」
抑えた口調だった。
しかしその目は、ぞっとするほど冷え切っていた。
「君みたいな人にずっと構ってられるほど、余裕があるわけじゃないんだ、俺は」
「──っ」
「教育係は降りさせてもらう。係長には改めて伝えるね。代わりはナナキとかがいいんじゃないかな」
カギモトはそう言ったあとで、「でも」と貼り付けたような笑みを浮かべてみせた。
「新通路の件が落ち着くまでは、これまでどおりで。周りに迷惑かけたくないからね。だから君も、そのつもりでよろしく」
ふっと表情を戻し、カギモトは背を向けて立ち去った。
有無を言わさず会話が終わる。
廊下の空気が数段冷え込んだような気がした。
カギモトが消えた執務室への扉を、ソナはただ呆然として見つめるだけだった。




