第61話 意見の相違
謝ってグイドの契約書を送ってしまったもうひとりの若い修理士は、誤送付について何も気にしていなかった。
こちらからの連絡があるまで開封もせず気づいていなかったらしい。
書類は無事に回収できた。
謝罪は受け入れ、それ以上の要求もなく、ソナはその若い修理士に、「新人はミスするものだから」とフォローの言葉までかけられた。
グイドのあとだっただけに身構えていたが、拍子抜けするほどあっさりと終わった。
………………………
西部遺跡管理事務所の屋上に近づくと、緑と青の固まりが見えてきた。
「ちょうど出発みたいだね」
風に紛れたティーバの声がなんとなく聞こえた。
屋上に近づいていくとその塊は、調査係と管理係のメンバー達だった。
これからアレス遺跡に向かうのだろう。物資等が入った箱もいくつも積んであった。
ソナ達が屋上に降り立つと、調査係と管理係の面々の視線が一斉に向けられる。全員箒を抱えており、ローブの裾が風でばたばたとはためいている。
「──総務係か」
冷たく言い放ったのは、調査係長、ルドンだった。
「調査係と管理係の出発式だ。退け」
「言われなくても退きますよ」
箒で酔ったのか、少しふらついたカギモトが調査係達の並ぶ脇を歩き出す。ティーバとソナもその後に続いた。
周りの刺すような視線を感じる。
「──誤送したんだって。その謝罪回りに行ってたんだろう」
通り過ぎる時、ノイマンが愉快そうに声をかけてきた。
「相変わらず、程度の低いことをやってる」
「えー。申し訳ないんですけど、それって控えめに言ってやばくないですか?」
楽しげに後を受けたのはメッツェンだった。
「こらこら、出発を急いでるんだ。絡まない絡まない」
穏やかにバルトロが言う。
「バルトロの言うとおりだ」
マロウが低い声が響いた。
「出発式なんてさっさと終わらせてくれ」
ルドンが一瞬むっとした顔をしたが、急いでいるのは確からしく、「では」と重々しく口を開いた。
「総員──飛行準備」
無駄のない動きで、係員達が箒に足を乗せる。
ルドンとマロウの箒が先に乾いた色の空に浮かび、残りの全員がそれに続く。
各自が等しく間隔を取りながら、ぴたりと空中の位置についた。 重そうな荷箱を吊った箒ですら揺らぎがない。
訓練された美しさに、先程投げられた言葉も一瞬忘れ、思わずソナも見入った。
「出発!」
ルドンの掛け声と共に、調査係達はアレス遺跡の方角に向かって流れ出すように飛行を始める。
彼らが徐々に小さな点になっていくのを見ていた。
「……まあ、命懸けだからな。健闘は祈っとくか」
ぽつりとカギモトが言う。
「そうだね」とティーバが短く応えた。
…………………
総務係の執務室に戻る。
気づけば昼休憩も終わっていた。疲れのせいか、かえって空腹感はなかった。
ソナとカギモトでゴシュに報告すると、ゴシュはほっとしたように顎の汗を拭いた。
「何はともあれ、無事回収できてよかったよ」
「本当にご迷惑おかけしました」
カギモトが言い、ソナも「すみませんでした」と頭を下げる。
ゴシュは椅子の背に深くもたれたまま、カギモトとソナを見上げた。
「ソナさん」
「はい」
ソナは姿勢を正す。
「人はね、システムは正常に動いてしかるべきだって思ってる。ミスをすることに対して世間はすごく厳しいんだ。一発で信用を無くしてしまうこともあるし、それはうちの部署だけの問題に収まらないこともある」
人はミスをするものだ。
起こり得るミスをどうやって防ぐか、犯したミスの影響をどう最小限に留めるか、その仕組みを考える必要がある。
そんなゴシュの言葉を聞いて、ソナは沈痛な気持ちで頷いた。
「だから」
とゴシュは強調する。
「君達にはきちんとコミュニケーションを取ってほしい」
ソナとカギモトは一瞬固い視線を交わした。
「表面的にはやりとりしてるようには見えるけど、遠慮し合ってるようにも見える。お互いを信頼してるのかもしれないけど、仕事は推測じゃなくて正確にやらないとね。ちゃんと、意見や疑問は伝え合って」
「……わかりました」
カギモトが答えてから少し口を噤み、躊躇いがちに「ですが」と続けた。
「ん?」
「それは、わかったんですけど。あの、今回のアレス遺跡の件が落ち着いたら──」
カギモトは横目でソナを見る。
「俺は、フラフニルさんの教育係から降ります」
………………
アレス遺跡の件が落ち着いたら教育係は替えてもらう。
そのことについて、何の訂正も変更もしてはいない。
だから、カギモトが言ったことは何も間違っていない。
けれども。
「──え?」
ゴシュは口を半開きにしてカギモトとソナを交互に見やる。
「え? え? そうなの?」
カギモトは、「そうだよね」と確認するようにソナを見た。
「あ……」
胸がちりちりと痛む。
「そう、なんだ」
ゴシュは口の中で呟くように言った。
「理由を聞いていいかい?」
「……相性です」
カギモトが答えた。
「フラフニルさんに特に問題があるわけじゃありません。俺と相性があまり……良くなかったんです」
このままだと業務に支障が出かねません、とカギモトは付け加えた。
「……」
「色々、配慮してもらったのにすみません」
カギモトは頭を下げた。
「いやそれは別にいいんだけど」
ゴシュは困り顔でソナを見た。
「……ソナさんも、それでいいってこと?」
聞かれ、ソナは僅かに狼狽える。
「そういうことなら、僕から所長に言うよ。聞いてくれるかは別だけど」
「それは……」
何の説明もつけられない、様々な感情が一気に巡る。
ソナは細く息を吸い、手をきつく握った。
「……まだ、わかりません」
えっ、と声を上げたのはカギモトだった。
ソナは俯いてカギモトの視線を躱す。
言った後で、心臓が強く脈打っていた。
ゴシュは口を引き結んで、ソナとカギモトを見上げていた。それから椅子の背もたれを軋ませて座り直す。
「……この件は、それぞれあとで、よく話を聞かせてくれるかな。アレス遺跡が片付くまでってことみたいだし、それまで一旦保留ってことで」
ソナは頷き、カギモトも何も言わなかった。
「とりあえずは、すぐに始末書書いてくれる? 今日中に僕に出してよ」
「……わかりました」
カギモトは詰めていた息を吐くようにして答えた。
そして何とも疲れたような微笑を浮かべ、「じゃあやろうか」とソナに言った。




