第60話 カギモト・カイリの矜持
「少し……休もうかな」
カギモトは誰にともなく呟くように言った。
ソナの答えを聞かずにまた歩き出す。
路地を抜けてそれほど遠くない場所に、遊具の少ないこじんまりとした公園があった。
移動販売のコーヒー屋がいて、カギモトはそこに向かう。
「コーヒー飲める?」
「え、あ、いえ……」
「遠慮しなくていいよ」
ひとりだけ飲むのは気が引けるから、とカギモトはホットコーヒーを2つ注文した。
「はい、どうぞ」
カギモトから湯気の立つ紙コップのコーヒーを渡されたソナは、戸惑いながら受け取った。
先程からずっと、カギモトの顔を見ることができなかった。
「……すみません」
そのまま2人で公園のベンチに座った。
コーヒーは舌が痺れるほど熱く、かなり苦い。
「ティーバ、ここに呼んでくれるかな」
「は……はい」
言われたとおり、ソナは事務所に向けて伝心蝶を送った。
ティーバのあの速度なら、到着まで10分もかからないだろう。
冬の昼間の公園はあまり人がいない。
枯れた木々を縫うように犬の散歩をする老人が見えた。雲に覆われ色のない空を、鳥の一群が遠く飛んでいる。
カギモトはコーヒーに口をつけ、どこかを眺めていた。
ソナの耳にはまだカギモトの言葉が残っている。
“被害者ぶるな”って思うんだろ。
その言葉を、返されるとは思っていなかった。いや、思うべきだった。
カギモトの近くにいてカギモトを傷つけていたのは、他でもなく自分だった。
私は一体何をやっているのだろう。
あの目が、声が、深いところに突き刺さり、冷たく、じわりとした痛みをもたらしている。
風が、足元の乾いた木の葉を揺らした。
「──俺はね」
カギモトの声にびくりとする。
「自分が“杖無し”であることを何とも思ってないんだ。本当に、何とも」
「……」
「俺は、自分が、理由なく他人から侮られていい人間じゃないって、そう思ってる」
コーヒーの入ったコップを両手で包んだカギモトは、慎重に言葉を選びながら、きっぱりと言った。強がりには聞こえなかった。
“杖無し”として生きてきたはずのカギモトがどうして、そんなにも揺らがない自尊心を持っているのか、ソナには理解ができない。
「でも……」
カギモトはベンチに背を預ける。
「たまには疲れる時もある」
「疲れる」という言葉に、カギモトは全てを押し込めようとしているように見えた。
そこまで言ってカギモトは、やりきれないような小さな笑い声を漏らした。
「こんな風に言うのも、やっぱり“ぶってる”みたいかな。……難しいな」
「……」
「フラフニルさん、何か言ってよ。俺だけずっと喋ってるじゃん」
カギモトはいつもの調子に戻っていた。
そうやってまた、固く強張った空気を誤魔化そうとしているように見えた。
「フラフニルさんって」
「……すみません」
掠れた声でソナが呟くと、カギモトは困ったように笑う。
「謝ってほしいわけじゃ、ないんだけどな」
謝る以外に今さら何が言えるというのか。
それに謝ったところで、これまでカギモトに放った言葉が無かったことになるわけでもない。
コーヒーの黒い水面に映る枯れた木々の葉を、じっと見つめているしかなかった。
やがてカギモトの深い溜め息が聞こえた。
「──随分とのんびりしてるね」
枯れた落ち葉を踏みしめ近づいてくる足音と共に、抑揚のない声がした。
2人乗りの大きな箒を抱えたティーバだった。
「ティーバ、悪いな」
カギモトが立ち上がり、コーヒーを飲み干した。
「こってり叱られたよ。……疲れたんだ」
「確かに、2人ともすごく疲れた顔してる」
言いながら、ティーバはてきぱきと箒の準備をしている。
「嫌なことはさっさと済ませたほうがいい。もうひとりの修理士のとこ、連絡取れたんだ。早く行こう」
「それはもっともなんだけど、また箒か……」
嫌がる素振りを見せるカギモトを無視して、ティーバはソナを見た。
「何してるの。準備しなよ」
「あ……はい……」
ソナもすっかり冷めたコーヒーを流し込む。口の中でなかなか消えない苦味を感じながら、急いで箒の用意をした。




