第53話 “掃き溜め”
会議室に踏み入ったノイマンは、総務係の3人を見据えた。
「質問が、聞こえなかったか? ろくな返事もできないのか」
「紋章の入った銀の万年筆なんて見てねえよ」
トレックは先程拾った物をわざとらしく後ろ手に隠す。
すかさずノイマンがトレックを指さした。
一瞬の、無駄のない魔力が走る。
ばちんと弾けるような音と同時に「いてっ」とトレックが声を上げた。
その手からふわりと万年筆が離れたかと思うと、ノイマンの手の中に滑り込む。
ノイマンは溜息をついた。
「防げないんだな。仮にも元調査係だろう」
「うるせえ。所内で使うような魔法じゃねえだろそれ」
「ふざけた真似をするからだ」
手が痛むのかトレックは両手をさすり合わせている。
トレックが元調査係とは、初耳だった。
「乱暴だな」
カギモトが静かに言った。
「落ちてたから拾っただけだよ。おまえの物ならそのまま持っていってくれ」
「はっ」とノイマンは鼻で笑い、万年筆をくるりと手の中で回してみせる。
「おまえの物ならって……この紋章はシーシュメイア家の家紋だ。そんな事も知らないのか」
どおりで、見覚えがあった。
「いちいち知らないって。それよりまずは“拾ってくれてありがとう”だろ。礼儀はどうしたんだ、シーシュメイア家」
カギモトの言葉にノイマンはしらけた顔をする。
「随分と強気になったもんだ。新人の前だからか?」
カギモトは「そう見えるかな」といつものように軽く笑った。
「ま、どうでもいいよ。出発の準備で忙しいんだろ。早く帰ってくれって」
ノイマンは黙って万年筆をローブの胸ポケットにしまう。首元のループタイを締め直し、髪を後ろに撫でつけ、そして冷めた目をソナに向けた。
思わず後退りしそうになる。
「“掃き溜め”はぬるま湯みたいで居心地がいいだろう? 抜け出せなくなるんじゃないか」
「ノイマン」
トレックが唸る。
くっと侮蔑するような笑いを漏らし、額に落ちた一筋の髪を掻き上げると、ノイマンは去って行った。
重たげな扉がゆっくりと閉まった。
風が、窓を吹き付けてかたかたと揺らす音が響いていた。
「いい大人なのに」
沈黙を破るようにカギモトが言う。
「あいつとは子どもみたいな言い合いになる」
「しかたがねえよ。あいつの言うことやること全部ガキくせえんだ」
トレックが吐き捨てるように言った。
「あの、手は……」
「うわお、ソナさんに心配されちゃった。全然大したことないよ」
ポケットに突っ込んでいた手を出して、トレックはぶんぶんと振る。
それから思い出したように表情を引き締め、空色のまっすぐな瞳でソナを見た。
そんなトレックを見るのは初めてだった。
「あいつ、“掃き溜め”って言ってた」
「え。ええ……」
ソナは口籠りながら頷いた。
「うちの係が周りからそう呼ばれてるのは知ってるけど、……少なくとも俺はそんな事思ってないんだ」
「……」
「なんでうちが“掃き溜め”って言われてるか、知ってる?」
真正面から問われ、ソナは面食らった。そして、答えられなかった。
「トレック」
「いいだろ、ソナさんも同じ係なんだし。いつまでこう……ごちゃごちゃやってんだ。俺は気に入らねえ」
「……」
何となく止めようとするカギモトを、トレックは乱暴に言い伏せた。
ソナに向き直る。
「さっきあいつも言ってたけど、俺、元調査係なんだ。でも怪我で現場に出られなくなって役立たずみたいになってた時に、所長が面談に来た。それでここに異動になった」
「……」
普段と違い、トレックは落ち着いた様子で語る。
「他のみんなも、なんか事情があって元の職場で居づらくなって、所長に連れてこられたって聞いてる」
腕を組むカギモトを横目で見て、「こいつは、ちょっと事情が違うみたいだけどな」と付け加えた。
「……」
またあの男の話だ。
“杖無し”のカギモトを研究対象とみなして総務係に置くだけでなく、他部署の問題職員を集めるキィト。それもまた何かの研究なのか。目的がわからない。
トレックの話は続く。
「所長は別に何も言わねえし勝手に思ってるだけだけど、必要とされてる気がするんだよな。みんなも同じじゃねえのかな。できること最大限やろうって感じがする」
そこまで言って、トレックは「長く話すのは苦手だ」と息を吐いた。
「とにかく……仕事はつまらねえわりに大変だって思う。他の係から適当に扱われてるのもわかる。でも俺は、総務係にいる自分を嫌だと思ったことはない」
そして、いつものように大きな口で笑顔を浮かべた。
「それが、俺の意見」
広い会議室がしんとする。
「トレックは」
カギモトが口を開いた。
「フラフニルさんが、総務係にいるのを不遇だって思わないでほしいって、そう言いたいんだよ多分」
「あーそうそう、そのとおり。すごいねカギモトくん」
トレックがカギモトの肩を叩く。
「まあそれは、俺も同意見だけど」
そう言いながらも、カギモトの歯切れはあまりよくない。
「どう思うかは、フラフニルさんの自由だから」
答えを、求められているわけではない。
ソナは心の内に湧いた想いを、そっとしまった。
「……わかりました」
カギモトは話を切り上げるように腕時計を見た。
「もうこんな時間だ。早く戻ろう」
「はあ、席に戻ったらまた山のような仕事が待っている……」
「総務係好きなんだろ。頑張れよ」
「それとこれとは別だって」
軽口を叩き合う2人を、ソナは少し離れたところで眺める。
トレックは総務係が“掃き溜め”だとは思っていないと言った。
きっとあの係の皆がそうなのだと感じる。
多くを語らずとも互いに信頼し合っているような、緩やかで、でも力強い関係。
それはソナにとってほんの少しだけ、眩しく見える。
そこに入っていいのだろうかと、僅かに足踏みをしていた。




