第50話 激励会の準備
50話まできました。ここまで読み進めていただいている方いるのでしょうか。貴重なお時間ありがとうございます。
所長室から席に戻ったソナを見て、カギモトはほっとしたような顔をした。
「結構時間かかったね、大丈夫だった?」
「……はい」
ソナはキィトのサイン済みの書類の束を見せた。
「お、ありがと」とカギモトは嬉しそうに書類を受け取る。
「よし、じゃあこれを先方に送ろうか。向こうのサインも必要だからね。送り方なんだけど……」
カギモトの声はソナの頭を通過していく。
“研究対象のひとつ”
キィトの言葉が嫌でも思い出されてしまう。
カギモトの行動や思い、それらは全て檻の中の鼠を見るかのように、あの男に観察されているということなのか。
仮にカギモト自身が生活のためにそれを望んでいるのだとしても、何か、ソナの中で割り切れない気持ちがあった。
違う。
いつの間に私は、カギモトのことをそんな風に考えるようになったのだろう。
「──わかったかな。フラフニルさん?」
カギモトの声に、現実に引き戻される。
「あ、はい……」
「どうかした?」
カギモトはソナの顔を覗き込む。薄茶色の瞳が心配そうに翳っていた。
「所長に何か言われた?」
「いえ、何でもありません」
ソナは首を左右に振った。
「ならいいけど……」
他人をそんなに心配している場合なのかと言いたくなる。
「あ、フラフニルさん、さっきも言ったけどそれ送る時には……」
カギモトが言いかけた時、
「おーい、誰か手伝ってくれぇ」
と苦しげな声の方を見れば、トレックが巨大な箱を重そうに抱えていた。
「激励会の設営か」
カギモトが面倒くさそうに呟いて立ち上がった。
「ソナさん、運搬系の魔法は得意?」
ゴシュが自席からソナに声を掛けた。
「え……」
「悪いけど、君も一緒に手伝ってきてくれるかな。その方が早く終わりそうだから」
ソナの答えを聞く前に、ゴシュは申し訳なさそうに告げた。断りようもない。
ソナは急いで契約書類に封をして、それぞれの修理士宛てに特急箒便で送る手配をした。
…………………
激励会とは。
カギモトの端的な説明によれば、危険地に赴く職員に、所長からの激励の言葉を授ける伝統的な儀だという。
あの所長が、場の空気に見合ったありがたい言葉を語るとは到底思えない。
アレス遺跡の新通路調査にあたり、急遽実施が決まった激励会の準備は総務係に丸投げされていた。作業をするのはカギモト、トレック、ソナの3人だけだった。
「あーだるい。たかだが30分程度の会のためにこんなに労力使わなきゃだめ?」
文句を言いながらトレックは会議室の椅子を壁の端に寄せていく。
「そういう儀式とか、重んじるタイプの人だからね、ルドン係長」
そう答えたカギモトは、所長が話すための演説台を運んでいた。
激励会の実施については、調査係長のルドンが強く提唱したらしい。
「にしたって急すぎだろ。俺達のこと何だと思ってんの」
「選抜隊は明日出発だからね。まあやるなら今日しかないんだろうな」
2人の会話を聞き流しながら、ソナはカギモトから渡された会場設営の図を見て、配置を頭に入れる。
「トレックさん、少し離れてください。椅子、一度に動かします」
「さすが。俺魔法でそんな繊細な作業できないのよね。よけまーす」
トレックが退いたのを確認し、ソナは手を掲げて集中する。
全ての椅子を対象として認識し、頭の中に描く配置図の通り、壁の端に移動させる。
「この重たい机もいける?」
「はい」
カギモトに答え、会議室の大きな机も部屋の一番背後に押し込んだ。
さほど難しくもない運搬魔法である。
「あとはこの国旗をあそこに差し込むんだけど……」
箱から畳まれた大きな国旗取り出し、カギモトは演説台の背後の壁を指さした。
壁には旗を設置するための器具が取り付けてある。
ソナは、刺繍が施された重たい旗を浮かび上がらせ、慎重に、持ち手の棒の部分を器具の穴に差し込んだ。
所長の話す演説台の後ろで、カノダリア国の国章がその重そうな布を垂らす。
「おー、ソナさん器用」
トレックが拍手した。
「いやほんと助かるね」
カギモトが朗らかに言う。
「フラフニルさんの魔法、こんな力仕事くらいでしか活用できなくて申し訳ないけどね」
「確かに。うちの係じゃあ宝の持ち腐れってやつだな」
「……」
なぜだか、総務係から浮いていると言われているような気がした。
さっき地下廊下にいた時の、迷子のような気分を思い出す。
疲れているのかもしれない。
馬鹿げた気分を振り払うように、ソナは調度品の細かな位置を調整し、会議室をそれらしい会場へと作り替えた。
設営を終えた時には昼休憩に差し掛かっていた。
執務室に戻ると、ゴシュがカギモト、トレック、ソナの3人に紙を渡した。
「設営ありがと。君達には悪いけど、そのまま会にも出席してもらいたいんだ」
ゴシュは汗を拭きながら頼み込むように言う。
「それ、式次第と参加者の立ち位置の図ね。午後早目に行って、案内とかお願い。僕は司会進行をやるから」
トレックが嫌そうに頷き、カギモトも「はあ」とあまり気の乗らないような返事をした。
ソナは渡された紙を確認する。
出席者は各係の選抜隊と待機要員に選ばれた者、各係長、そしてキィトとヘルベティア。
ソナは再度キィトと顔を合わせることを思うと、何とも憂鬱な気分になった。




