第48話 キィト・ザクソンとの対話 前編
メモをまとめ終えたあとは、後回しにしていた契約書に関係する添付資料の準備に取り掛かる。ある程度手を付けたところで、もう遅くなるからとカギモトが引き継いだ。
最後にカギモトの指示で、探索士証を紛失したドードーへ伝心蝶を送り、ソナは残業を切り上げた。
まだ終わる気配のない総務係の同僚達を気にしながら、ソナは机を片付け始める。
「あ、フラフニルさん」
箒のケースを抱えたソナに、仕事の手を止めてカギモトが言う。
「今日は、ありがとう」
「……」
喉につかえる何かを、ソナは押し出そうとする。しかしそれは頑なに退いてはくれない。
「いえ、失礼します……」
代わりに、消え入りそうな情けない声が出る。
ソナは頭を下げ、逃げるように執務室を出た。
……………
家で待っていた母は、ソナの緊張とは裏腹に、案外あっさりとしていた。
またなじられるのだろうと覚悟していたソナは拍子抜けした。
しばらく忙しいかもしれないと告げると、「そうなのね」、と怒ってるとも悲しんでるともつかない顔で呟いただけだった。
何となく、その静けさに逆に不穏なものを感じながらも、何も言われないに越したことはないと、前向きに捉えることにした。
翌日。
雪の混ざったような雨が朝からしとしとと降っていた。
ゴシュとシンゼルの尽力により予算の確保が確定され、ソナ達の業務量は一気に増えた。加えて、窓口や電話の対応、庶務経理的な細々した事務作業もあり、総務係は朝からばたついている。
さらに、今日の夕方には選抜隊に選ばれた職員への激励会なるものが夕方所内で開催されるらしく、その準備も総務係に任されていた。
「じゃあこれ、契約書が3つ、それぞれ相手方用とうち用で2部ずつある」
昼前、カギモトは机の上に書類の束を並べた。
今朝までに3人の修理士からの必要書類が届き、契約書の形は完成した。普通はこんなに早く用意ができるものではないらしい。ゴシュの準備の賜物だろう。
「あとはこれ、契約の意思決定の起案書ね。ゴシュ係長の承認はもらってるから、契約書と合わせて、全部に所長のサインをもらってきてくれるかな」
「所長、ですか」
ぼさぼさ頭に無精髭、目だけは純粋そうに輝く信用ならないあの男。
配属初日以来のあの部屋に行くのは気が引けた。
ソナが即答しないせいか、「一緒に行こうか?」とカギモトが心配そうに言う。
「いえ、大丈夫です」
ソナは契約書の束を抱えた。
「所長、仕事は詳しくないから内容について聞かれたりはしない思うけど」
カギモトは事務用品でも購入するのか、カタログを見ていた。
「それ以外のことで、色々言われるかもしれない」
「色々……ですか」
「でもまあ、性根が腐りきってるわけじゃないから、そこまで警戒しなくても平気かな」
あっけらかんとしてカギモトが言う。
「はあ」
カギモトをして「性根が腐りきってるわけじゃない」と言わせるのは、相当な気がする。安心していいのかわからない微妙な情報だった。
ソナはローブを羽織り直し、所長室へと向かった。
………………
やはり、ノックの音に返事はない。
ソナは初日と同様に、「失礼します」と言いながら所長室の重たい扉を押し開けた。
まだ昼間なのに、夕闇の中のような仄明るい照明。
いつ雪崩がおきてもおかしくないほどの書物の山と、咳込みそうな埃の匂いがソナを出迎える。
本を踏まないように、ソナはキィトの机へと近づいた。
「やあ。──フラフニルさん」
キィトは目だけでソナを確認し、すぐに机の上の分厚い本へと視線を落とした。
ヘルベティアはいないようである。
秘書だという彼女はいつも何をしているのだろうか。
「何か用?」
「契約書にサインをお願いします」
「契約書? 何の? 僕がちゃんと読まないからって変な貸金の契約とかさせないでくれよ」
「仕事です」
すっとぼけたような男の発言は無視してソナは端的に答える。
「アレス遺跡調査に関係する魔導機械修理士との業務契約です」
「修理士……ああ」
キィトは無精髭を撫でながら、例の少年のような無邪気な瞳をソナに向けた。
「昨日カギモトくんと外回りに行ったってやつ?」
「そう……ですけど」
ヘルベティアがキィトに伝えたのだろう。
「いいねえ。君達ちゃんと“らしく”やってるんだ」
キィトは口端を吊り上げる。
「それで、どうだい? とっておきの教育係は」
「……」
ソナが黙っていると、キィトは汚い机に頬杖をついてソナを見上げた。
「そこはさあ、建前でも“素晴らしい教育係です”とか“私もあんなふうになりたいです”とか言うものじゃないかい? 君、初日はすらすらと御託を述べてたじゃないか」
当然想定されうる質問で、もちろん当たり障りのない答えをするつもりだった。
しかしそんな上っ面の会話に、意味はない。
ソナは一呼吸おいて、キィトを見据えた。
「どうして、あの人を私の教育係にしたんですか?」
キィトはきょとんとした顔をする。
「ん? それって、“杖無し”を殺したいほど憎んでる君に、なんでわざわざ“杖無し”のカギモトくんをつけたのかってこと?」
「……」
「あ、僕が“杖無し”って言葉を使うのは、非魔力保持者より短くて言いやすいからだよ。他意はないし、対外的には使わないから誤解しないでね」
キィトのどうでもいい話はソナの耳を通り抜けた。
わざわざ言い直したキィトの言葉。
私と“杖無し”との関わりは、表立った経歴には載るはずのない情報だ。
胸の内側がざわめき、嫌な唾が込み上げてくる。
何かしらの方法で、私の過去を調べたということに他ならない。
ソナはキィトを睨んだ。
「質問に……答えてはくれないんですか」
「答え、ねえ」
キィトはだらりとした姿勢でソナを眺めている。
2人が黙ると、書物に取り囲まれた所長室は、まるで降り積もった雪の中のようにしんとしている。
その沈黙の時間を、ソナはただ待った。
時が止まったのかと思うほどたっぷりと間を開けてから、キィトは口を開く。
「“特にない”って言ったら、君は怒るかい?」
「な……」
ソナは言葉を失った。
ただの気まぐれかもしれない、と確かにカギモトも言っていた。
いたずらを企む子供のような、どこか残酷さすら感じさせる目だ。
ソナにとって、目の前の男がただただ得体のしれない存在にしか思えなかった。




