第47話 ティーバ・ロドランの情報
母には残業すると伝えるため、先程伝心蝶を送っておいた。
どう反応するかはわからない。先日のように、なけなしの魔力の伝心蝶で抗議の返事をくれるかもしれない。帰ってから、また一悶着あるもしれない。
でも今は、そのことを考えないようにした。
「これ、さっきの修理士さんとのやり取りメモ。俺が取ったやつ。フラフニルさんのメモと合わせて内容整理しておいてくれる? こういうの、記憶が新しいうちにやったほうがいいから」
カギモトはメモ帳のページを破り取った。
「……」
ソナは渡されたメモを見つめる。
随分と癖の強い、というかはっきり言って汚い字だ。
芋虫が苦しげに這ったようで、かなり読みにくい。
これまでカギモトの作った資料は端末で打ち込まれたものばかりで、手書きの文字をまともに見たのはこれが始めてだった。
「見てわかるけど、字汚いんだ俺」
カギモトが神妙な顔で言う。
「俺も読めないかもしれない。困ったら、ティーバに聞いてみてくれる?」
何を言ってるんだと思ったが、ソナは表情を引き締め「わかりました」と答えた。
程なくしてカギモトはセヴィンと話をするために席を外した。
ソナはカギモトの手書きのメモを睨み、さっきから何度も同じ箇所を指でなぞっていた。
──わからない。
何かの記号かただの線にしか見えない。
自分も修理士の話を聞いていたのに、記憶のどの内容とも結びつかない。
「……それ、文字じゃない。ただの試し書きの線だよ」
不意にそう伝えたのはティーバだった。
何か調べ物をしているのか、分厚い法律書を開いている。
「え……」
外出直前のティーバとのやり取りを思い出し、ソナはそれ以上の言葉が出なかった。
いや、しかし、聞き捨てならない。
「これ……字ではないということですか」
「多分ね」
ソナは絶句した。
ここまで何とか読み取って記録したメモの内容も、怪しく思えてくる。
「あいつにメモ取りは任せないほうがいい」
「はあ」
だからか、とソナは妙に納得した。
カギモトは受付の代筆をさりげなくソナに任せ、ゴシュは会議のメモ取りにソナを同席させた。そういえば今朝の会議でカギモトが取っていたメモも、速記術なのかと思っていたが、単に字が汚かっただけなのだと思い至る。
「……ありがとうございます」
ティーバは暫し口を噤み、開いた本のページに手を載せたまま、小さく息を吐いた。
「悪かったよ、さっきは」
ソナ以外には聞こえないほどの声量でぽつりと告げた。
ソナは目を瞬いた。
ちらりとセヴィンの方にいるカギモトを確認し、ティーバは再びソナを見る。
「僕はあいつのことが絡むと、少し感情的になってしまう。それは、自覚してる」
「……」
「君を侮辱した。言い過ぎたと思ってる」
ティーバ・ロドランは、おかしいと思えばはっきりと指摘し、自分が悪かったと思えばきちんと謝る。そういう人間なのだろう。
「まあとにかく、何もなかったようで、よかったよ」
そう言って、ティーバは手元の法律書のページを1枚めくり、メモを取る。
少し離れた書棚では、ナナキとトレックがファイルを開きながら何やら相談をしている。カギモトはトレックの席でセヴィンと難しい顔をして話し合っているようだ。シンゼルは、帰ってしまってもういない。
「何も……なかったわけじゃありません」
ソナは、ティーバの反応を探るように小声で言った。
「マツバさん、という方に会いました」
ティーバはぴたりと手を止めた。
「またあの人?」
その声にははっきりと不愉快さが滲んでいる。
やはり、レンのことを知っているティーバなら、マツバのことも知っていたようだ。
「それはまあ……災難だったね」
ティーバは言葉を選ぶように言った。
「尋常じゃない魔法の使い手でした」
「えっ、やりあったの?」
ティーバが驚いたようにソナを見た。
「やりあった……というか、カギモトさんが無理やり連れて行かれそうになっていたので、つい……」
そこまで言ってから、口籠る。
「いえ、あの、公務執行妨害かと……。職務遂行というか」
しどろもどろになるソナに、ティーバがふっと笑った。
もっさりとした髪の毛と太い黒縁の眼鏡で横を向いていたから表情自体はよく見えないが、笑っていた。
「あの……」
「ごめん。でも、マツバさんとやり合うのはおすすめできない。今度から気をつけて。あの人」
ティーバはここで一段声を落とす。
「魔法取締局の人だから」
ソナは目を大きく見開いた。
「僕が言ったって、内緒にしてよ」
ティーバは唇に指をあてる。
今までまともに見たことがなかったその指はすらりと細長く美しく、ソナは思わずどきりとする。
いやそれよりも。
魔法取締局?
カノダリア国公務員の中でもエリート中のエリートとされる魔法実働部隊の最高峰。
だらしなく着崩したスーツ、やに下がったような笑み、軽薄な口調。
マツバ・トオルというあの男の印象から、魔法取締局というのは容易に結びつかない。
しかし思えば、魔法理論が皆目見当もつかない、不気味なあの男の魔法。
あれが魔法取締局なのだと言われれば、腑に落ちるものもあった。
どう突っ込んで質問したものか悩んでいるうちにカギモトが戻ってきて、ティーバとの会話は打ち切りとなった。
カギモトはソナの端末画面を覗き込むと、
「すごい、俺の字がちゃんと翻訳されてる」
と嬉しそうに笑った。
ソナはその横顔を見上げる。
その屈託のない笑みの下に、何があるのか。
結局この男のことは何もわからない。
今日は、朝から色々あった。色々な話を聞きすぎた。
アーチ型の窓に目を向ければ、すっかり夜だった。
早く仕事を終えなければ、母に伝えた時間よりも帰りが遅くなってしまう。
ソナは一度伸びをして、作業に集中することにした。




