第46話 “琥珀の民”と“杖無し”
引き続き重めの話になります。
西部遺跡管理事務所に到着したのは、終業時間間際だった。
「結構遅くなっちゃったな」とカギモトも呟く。
職員通用口からの短い廊下を早足で進んでいくと、突き当たりでヘルベティアとばったり出くわした。
ヘルベティアは帰る身支度を済ませていて、鞄も手にしている。
目立つ真っ白なコートに赤いブーツ。
ソナは何となく腕時計を見たが、終業までまだ5分以上はあった。
「──あら、2人でお出かけだったんですかぁ?」
どこか相手の神経を逆撫でするような声である。
「今朝の会議でもお隣でしたし、随分と仲良しになったんですねぇ」
「普通に仕事だよ。同じ係なんだから、何もおかしくないだろ」
ソナより先にカギモトが呆れ混じりに笑った。
それが、ヘルベティアの気に障ったらしい。
「はあ?」と射るような視線をカギモトに向ける。
「新人任されていい気になってるのか? おまえ、自分の立場を忘れるなよ」
可愛らしい顔からは想像もつかないドスの聞いた声でカギモトに詰め寄る。
その気迫にソナは小さく息を呑んだ。
「“杖無し”だろ。死ぬまで地面に這いつくばってるしかないんだよ!」
しんとした廊下に、ヘルベティアの怒鳴り声が反響する。
ソナは動けないでいた。
「ヘルベティア」
カギモトの口調は穏やかだった。
「何度も言ってるけど、チャイムが鳴る前に帰っちゃだめだ」
ヘルベティアは啞然とした顔をする。
「休暇を取ったわけじゃないんだろ。それで退勤処理するとナナキが困るから、気をつけてくれよ」
「お、おまえ……」
ヘルベティアの声が怒りで震えている。
「所長が帰って良いって言ったんだよ! そうやって、さも常識的な人間みたいな顔して振る舞いやがって、気持ち悪い!」
ヘルベティアの言葉がナイフのようにソナの胸を鋭く突く。
それは自分自身もカギモトに対して思っていた感情と似ていて──
ソナが思わず胸を押さえた時、終業のチャイムが鳴り始めた。
場違いに呑気なメロディが鳴り響く中、カギモトは廊下の脇に寄ると、芝居がかった恭しい仕草で道を開けた。
「──どうぞ、お通りくださいお嬢様。カードタッチは忘れないでくださいね」
「カギモト……っ」
ヘルベティアは怒りに顔を歪ませた。しかし、それでも帰る方を優先したらしい。
金の瞳で鋭く睨みつけ、カギモトに肩をぶつけるようにして通り抜ける。
職員証を叩きつけてかざし、蹴破るかと思うほど扉を力強く開けて出ていった。
その扉がゆっくりと閉まり、廊下に静けさが戻る。
「おお、こわ」
カギモトは肩を竦めた。
「何か壊れたらどうしてくれるんだよ」
その場の空気を茶化そうとしたのかもしれないが、ソナは笑えなかった。
以前帰り際に言葉を交わした時、ヘルベティアは単純に“杖無し”が嫌いなのだと思っていた。
しかし、今のは。
“杖無し”を、最底辺の存在として踏みつけておかなければならないというような、執念じみた何かが彼女にはあった。
“琥珀の民”と“杖無し”。
この社会における優遇と差別の象徴ともいえる、相容れない存在だ。
両者が同じ職場にいること自体が問題なのかもしれない。
修理士に続いてヘルベティアだ。
前に階段室でカギモトは、“何を言われても平気”だと言ったが、嫌悪され、拒絶され、傷つけられ、それで全く心を擦り減らさないで済む人間なんているのだろうか。
「だ──」
大丈夫ですか。
なんて、言えるはずがない。
出かかった言葉は、すぐに立ち消える。カギモトには聞こえなかったらしい。
「そういえば聞きそびれてたんだけど」
カギモトがいつもの調子で言う。
「フラフニルさんって、ティーバのことでヘルベティアに何か言われてる?」
「え……」
近づいたら容赦しないと、初日に言われた。
「……はい」
「やっぱり」とカギモトは眉根を寄せる。
「あいつ、ティーバのこと好きすぎてちょっとおかしいんだよね。あ、1階は出禁になってるから仕事中は来ないよ」
そういえば、あれだけティーバティーバと言いながら、総務係に顔を出さないのは確かに不思議だったが、そういうことだったのか。
「どういう、ご関係なんですか」
「なんか……幼馴染なのかな? 子どもの頃の知り合いだってティーバに聞いたことあるけど」
首を捻りながらカギモトは階段室に向かう。
「ま、何にせよあいつの言うことは気にしなくていいからね」
「……はあ」
何とも言えずに頷く。
淡々とリズムを刻んで暗い階段を上るカギモトは、確かに何も気にしていないように見えた。
それならやはり私も、何も言う必要はないのだろう。
そう、思うようにした。
……………………
「遅かったね」
執務室に戻ったカギモトとソナを、心配そうな顔でゴシュが出迎えた。
「ソナさんが伝心蝶をくれなかったら、ティーバくんが飛び出すところだったよ」
その言葉にカギモトが苦笑いを浮かべる。
「途中でトラブルがあったんですけど、フラフニルさんのおかげで助かりました。修理士さんへの説明は特に問題なく終わりましたので、予算が確保され次第、正式な契約に進めます」
席に戻ったゴシュに、カギモトが報告する。
「そうかい。それは良かった」
予算も明日には目処が立ちそうだから、とゴシュは椅子にもたれたまま満足そうに言った。が、すぐにその表情を曇らせた。
「係長?」
「いや、カギモトくんの報告はいいんだけどね。……午後にあった上との打ち合わせ結果なんだけど」
とゴシュは苦虫を噛みつぶしたような顔で言う。
「やはりおかしいですよ」
ゴシュが続きを言う前に、話を聞いていたらしいセヴィンが、険しい顔でやってきた。
「選抜隊がうちから3人じゃ済まないかもしれないって、何ですか。軍や連盟はどうしっていうんですか」
「いや、うん、僕もおかしいとは思うけどね」とゴシュがセヴィンを宥める。
ゴシュの机の前で話し合いが繰り広げられつつある中、ソナは席に戻ってよいのかどうか迷っていた。
終業時間はとうに過ぎている。本当なら今すぐ片付けて母が待つ家へ帰らなければならない。あの小さく寒い部屋でひとり待つ母の元へ。
そわそわするソナに気づいたのか、カギモトが「席に戻ろう」と目配せする。
ゴシュとセヴィンを置いてカギモトと席に戻る。
「お疲れさまでしたね」とナナキが労わるように言う。
ティーバはちらと視線をくれただけだった。
「時間、過ぎちゃったね。片付けて先帰って大丈夫だよ」
上着を着たまま突っ立っているソナに、マフラーを外しながらカギモトが言った。
それから少し考えるようにして、「それとも」と続ける。
「もし平気なら……少し残って手伝ってくれると助かるかな。あ、もちろん強制じゃないよ」
「……」
ソナはすぐに答えられないでいた。
以前、残業するかもしれないと伝えた時の母の取り乱しようを思い出すと、薄ら寒くなる。
「あの……」
しかし本当は、答えは既にあった。
やるべきことは、自分で決めたい。
そんな気持ちが前よりも強くなっていて、ソナはようやく上着を脱ぐ。
「何をやればいいか、教えてもらえますか」
カギモトは明かりが灯ったように微笑んで、「もちろん」と頷いた。




