第45話 修理士グイド・エルンスト
少し重めです。楽しい気分にはならないのでご注意ください。
到着時間が予定より遅れたことで、年配の修理士はひどく気を悪くしていた。
カギモトの指示で、遅れることへの連絡と謝罪の伝心蝶を事前に修理士宛てに送っていたのだが、意味はなさなかったらしい。
「契約ってのは互いの信頼関係が大事だと俺は思うがね。時間を守るってのは基本中の基本だろう」
グイド・エルンスト。
痩せているが引き締まった体、厳格そうな目つき、迫力のある声。白髪を短く刈り上げた、いかにも職人らしいと思わせる外見と雰囲気の修理士だった。
「仰るとおりです。申し訳ありません」
カギモトが深々と頭を下げ、少し遅れてソナも倣う。
ソナとカギモトは個人経営であるグイドの魔導機械修理会社の、小さな事務室にいた。カギモトの隣に座り、四角い簡素なテーブルを挟んで老修理士と向き合っている。
グイドの背後の壁には、技術力を称える内容の賞状がいくつか、額に入れて飾られてあった。
「兄さんは……“杖無し”だな。最近はそんなんでも役所に入れるのか」
「あんた。今はそんな言い方じゃなくて、非魔力保持者って言うんだよ。失礼じゃないか」
入口の受付にいた事務員の老女が、温かい紅茶をテーブルに置きながら窘める。そしてグイドの横に腰を下ろした。2人は夫婦なのだろう。
「言い方を変えたところで中身が変わるわけじゃないと思うがね」
グイドはうんざりするように言って、ごつごつとした手で短い顎髭を撫でた。
「なあ兄さん。あんたみたいな人は、行動とかには人一倍気をつけなきゃいけねえな」
カギモトはグイドの言葉に顔色一つ変えずに「はい」と頷いた。
その返答や態度が気に食わなかったのか、修理士は腕を組み、相手をソナに変えることにしたらしい。
「お嬢さんも大変だな。“杖無し”と一緒に仕事するなんて気苦労が多いんじゃないか」
「え……」
否定するのは、失礼だろう。しかし同意するべきなのか。
ソナは隣のカギモトを気にしながら返答に窮する。
「やめなよあんた」
と女性の事務員が眉をひそめる。
「お役所との契約は大事だって言ってたじゃないか。変なこと言って困らせるんじゃないよ」
「ふん」と修理士は鼻を鳴らすだけだった。
テーブルの上の契約に関する資料には目もくれない。
「この度は、ご不快な思いをさせてしまい誠に申し訳ありませんでした」
カギモトが丁寧でありながら毅然とした口調で、再度謝罪をする。
「ただ、我々としても遺跡への対応は急務かつ重要だと考えており、修理士として実績のあるグイドさんにお願いできればと思っているんです。私個人に対してはどのように思っていただいても結構ですが、西部遺跡管理事務所との契約については、何卒よろしくお願いいたします」
そんなカギモトに、少し気圧されたようにグイドは口を閉ざした。
ソナもまた、何とも言えない気持ちでカギモトの言葉を聞いていた。
その後は、ソナが横でメモを取る中、カギモトが契約内容について細かな点を詰めていき、最終的にはグイドを納得させた。
万事うまくいったとは言い難いが、契約書ができ次第、サインをするという同意を得た。
魔導機械修理会社を出て空を見れば、西の端に夕焼けを残したくらいで、既に夜の闇に染まりかけていた。
「あーあ、疲れたね」
カギモトはうんと伸びをして呑気に言った。
修理士からあれだけ厳しい言葉をかけられても、この態度である。
「そうだ、念のため職場にこれから帰るって連絡しておいてもらえる? 遅いから心配してるかも」
「わかりました」
ソナは伝心蝶を作り、魔力を多めに込めて早く着くように飛ばした。
「やっぱり便利だね」
藍色の空を飛んでいく蝶を、カギモトは満足そうに眺めて呟いた。
「俺はトラムだけど、フラフニルさんは箒だよね?」
カギモトがソナの肩に下げた箒のケースを見て確認する。
「いえ、私もトラムで」
「あ、そうなの?」
カギモトは意外そうに首を傾げた。
「今、伝心蝶で多めに魔力を使ってしまったので箒に乗るのは、ちょっと」
「えっ? あ、ごめん、俺その辺の感覚よくわかってなくて……」
そんな程度で箒に乗れなくなるわけがないのだが、ここで別行動をしたら来た意味の半分以上が無くなるだろうと思う。
申し訳なさそうな顔をするカギモトと共に、最寄りの魔導トラムの駅へと向かった。
……………
魔導トラムの駅は魔導列車とは違い、ホームや改札などはない。停留所の看板が道路の端にぽつんと立っているだけである。
ソナ達よりも先に、数人が停留所で車両が来るのを待っていた。
彼らは静かに歩いてくるソナ達──というよりもカギモトに一度視線をくれてから、何かいけないものを見てしまったかのように目を逸らした。
赤い魔導トラムが滑るようにやってきて、停車する。
乗り込んだカギモトとソナは、どちらかが何も言わずとも微妙な距離を取り、吊り革につかまって立った。トラムが混んでいなかったのは幸いだった。
小さな駅で停まり、客が乗降する度に、カギモトに僅かでも反応を示す者が大半であることに嫌でも気づく。
平等法ができるまで、“杖無し”は同じ車両に乗ることすら許されていなかった。
その名残があるのか、トラムに乗る“杖無し”に向けられるのは、探るような目線、密やかな囁き、舌打ち。露骨に距離を取ろうとする者もいた。
未だ“杖無しが移る”と考える者もいるのだろう。それを信じていなくても、“杖無し”に何か不吉めいたものを感じているのかもしれない。
カギモトに肯定的な総務係が特殊なのだとソナは思う。
カギモトはといえば、目を閉じ、吊り革に掴まって揺られていた。
全てを遮断しようとしているのか、ただ休んでいるだけなのか、その静かな表情からは読み取れない。
ソナはカギモトと言葉を交わすこともなく、街灯の光が流れていく窓の外を眺めていた。




