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西部遺跡管理事務所 業務日誌  作者: 青桐 臨
第一章 新入職員 ソナ・フラフニル編
44/153

第44話 わかりません

短めです。


 やがてカギモトは、気遣わしげにソナに振り返った。

「立てる?」 

「はい」と答えたものの、予想外に足に力が入らない。

「ほ、ほんとに大丈夫?」

「大丈夫です」

 煉瓦の壁を支えに、なんとか震える膝を立たせた。

 恥ずかしいのと悔しいのと後は何かよく分からない感情がこみ上げてきて、ソナは唇を噛み締める。

「あの人、いつも神出鬼没でさ……。なんかごめん、変なところ見せちゃって」

 同じく気まずそうにしていたカギモトだが、急にはっとしたような顔をする。 

「あっ、もしかして通報とか」

「……してません」

「よかった」とカギモトは胸を撫で下ろした。

「警察呼んでも無駄に迷惑かけちゃうだけだし。ほんと、紛らわしいことやめてほしいよ」

 カギモトの言葉を聞き流しながら、ソナはマツバという男の言ったことを思い出していた。


“いっそのことみんなでレンちゃんのところに行かねえ?”

“レンちゃん、怒ってんぞ”


 マツバはあの電話のレンという女と繋がりがあり、カギモトをレンの元に連れて行こうとしている、ということは推測できる。

 しかし、カギモトの人間関係の謎が深まっただけだった。 

 この男はわからないことが多すぎる。


「結局、何なんですか、あの人」

 半ば八つ当たりのように、ソナはカギモトを睨んだ。

「え、あ」

 一瞬硬い表情を浮かべたカギモトだが、それから頭を掻き、困ったように笑う。

「巻き込んで悪いなとは思ってるけど、俺の個人的なことなんだよね。そんなに知りたい?」

 と嫌な質問で返してくる。


 訊いて、私はカギモトの何を知りたいのか。

 知って、どうしようというのか。


 ソナは黙った。

 路地の上に張られたロープで洗濯物がはためいていて、遠く、魔導車の行き交う音が聞こえた。

 ややあって、カギモトは「よし」と明るい声を出す。

「とりあえず、修理士さんのところに行こうか」

「え?」 

「だってフラフニルさん、そのためにわざわざ追いかけてきてくれたんでしょ?」

「……」

 そのとおりだ。

 そういうことにするつもりだった。

 なのに、すんなりと頷くことができない。

「え、何、もしかして」

 ソナが答えないでいると、カギモトの顔にからかうような笑みが浮かぶ。 

「俺のこと心配して来てくれたの?」

「ちが」

 咄嗟に否定しようとした言葉を、ソナは飲み込んだ。

 カギモトの口調はいつものように冗談めいていて、顔も笑っていた。

 しかしその目は、相手の反応をじっと伺うような、そんな目だった。

 取り繕う言葉が出てこない。

「どうして来たのか」

 もつれた思いは形をなさず、俯いたソナの口からは、困惑がそのままこぼれ出る。

「……わかりません」


 カギモトは何も言わなかった。

 沈黙の時間、ソナは足下の石畳のひびを見つめていた。

 不意に、ふっと息が漏れる音がして、ソナは顔を上げる。

 カギモトは手で口元を押さえて横を向いている。どう見ても、笑っている。

「え、なんで、笑うんですか」

「あ、ごめん」

 カギモトは表情を戻そうとしたようだが、まだ少し目尻が笑っていた。

「いや……、そんなふうに正直にわからないって言ってくれたの、初めてかもって思って」

「なんでそれで、笑うんですか」

「なんだろ。なんか、ほっとした。よくわかんないけど」

 その反応をどう受け取ればいいのか、ソナにもよくわからなかった。

 しわくちゃになったマフラーを巻き直し、腕時計見てカギモトは溜息をついた。

「はあ、マツバさんのせいで予定よりだいぶ遅れちゃったな。急がないと」

 鞄を肩にかけ直し、ソナに柔らかな瞳を向ける。

「一緒に来てくれる?」

 何も、自分の中では変わっていない。変わるはずがないと思っている。

 僅かに躊躇い、それでも、

「はい」

 と答えていた。

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