第37話 “相性最悪”
エンデが無邪気に放った言葉は、素直に肯定することもできなければ、正面から否定することもできなかった。
少し強張った顔のカギモトと目が合ってしまい、すぐに逸らす。
「だ……大丈夫ですか? エンデさんっていつも本当に突拍子もないことを……」
しっかり聞こえていたらしいナナキが、青い顔をしていた。
「別に……気にしなくていいよ、あいつの言うことだし」
カギモトはナナキに苦笑いを返し、ソナの方は見なかった。
「──ね、フラフニルさん」
「あ……はい」
エンデのいなくなった自席に腰を下ろすが、隣のカギモトとの間に見えない壁ができているように感じた。
いや……それは元からあるものだろう。
ソナは午前中に作った契約書の素案を用意していた。
そっと隣を伺うと、カギモトは首の後ろを掻きながら手元のメモを見つめていて、やがて立ち上がる。
「ちょっと……係長のとこ行ってくる」
「……」
「フラフニルさんは、午前中の続きで書類の作成をお願いね」
言い方は柔らかかったが、会話を打ち切るような何かがあった。
書類の作成は大体終わっていた。
内容を確認してもらいたかった。
そうとは言えずに、ソナはゴシュの元へ向かうカギモトの背から、机の上の書類へと視線を戻した。
「……」
ソナは反対隣のティーバを見る。
恐らく、ティーバに与えられた調達物資のリストだろうが、細かな字で余白にメモをびっしりと書き込んでいる。
それ以外、机に無駄なものはなく今日も綺麗に整頓されている。
「──何?」
ソナの視線に気づいたティーバが、ほんの少しだけ顔を向けた。
「い、いえ……」
「何かあるならちゃんと言ってくれないと、わからない」
いつものぼそぼそ声で淡白に告げる。
「僕はカイリみたいに察しはよくない」
「……すみません」
確かに察してもらおうなんて虫が良すぎる。
自分が何も言わないから、いつも、カギモトが先回りしていたのかもしれない。
ソナは姿勢を正した。
「あの、契約書の案の確認を、カギモトさんにお願いしようと思ったんですけど」
「……係長と話し込んじゃってるね」
「その……お忙しいところすみませんが、ティーバさん……見てくれませんか?」
「別にいいけど」
ティーバはソナの手にあった書類をさっと取ると、素早くめくっていく。
そのあまりの早さにソナは本当に読んでいるのか心配になるほどだった。
一度読み終え、再度初めからめくり、今度はペンで何やら書き込み始めた。あっという間だった。
「全体的に悪くないけど」
ティーバは書き込みを終えた書類をソナにぽいと返す。
「年度とか前のままだし、細かな体裁は直しがいる。公文書だから正確に」
中を確認すると、細かいところまでチェックされていた。
「あ、ありがとうございます……」
礼を言ったソナを、ティーバは無言で見る。
何かあるのだろうかと思っていると、向かいのナナキがファイルを持って席を立った。
「君さ」
そのタイミングを見計らっていたかのようにティーバが呟く。
「カイリにもお礼、ちゃんと言ってる?」
ソナは弾かれたようにティーバを見た。
「言ってるの、聞いたことないんだ。君の事情は知らないけど、そういうのって人として基本だよね。カイリじゃなきゃ、怒られてるよ」
いつものように長い前髪と乏しい表情のせいで、ティーバの感情はわからない。声にも抑揚はなかった。
それで会話は終了だというように、ティーバは自分の端末の方を向いた。
ソナは書類に皺ができるほどきつく握り締めていた。
恐らく誰も直接触れようとはしないソナのカギモトへの後ろ暗い気持ちを、表に引きずり出し、炙り出そうとするような言葉だった。
「──ん? どうかした?」
カギモトが戻ってきた。
「別に」とティーバが言う。
ソナは顔を上げることができないでいた。




