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西部遺跡管理事務所 業務日誌  作者: 青桐 臨
第一章 新入職員 ソナ・フラフニル編
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第31話 変化

 家に戻ると、母はベッドに倒れ込むようにして眠っていた。

 片付けられていないテーブルの上には、薬茶を用意した跡があった。自分で飲んで、落ち着いて眠ったのだろう。


 ソナは家の中が思ったより乱れていないことに安心した。

 しかし、母に布団をかけ直していた時、電話の置かれた台の上が乱雑に散らかってあるのが目に入る。

 それは母が走り書きしたたくさんのメモだった。


 「……」


 メモの内容を見るに、私が家を出た後、母は警察に電話をしたらしい。

 だが、娘は成人で、事件や事故に巻き込まれたのではなく自分の意思で出ていった。だから少し待つようにと、単語から推測するとそう言われたようだ。


 ソナは疲れの滲む息を吐き、メモを集めて丸めてくずかごに投げ捨てた。

 使った食器をなるべく静かに片付け、母がこぼしたコーヒーの染みを拭く。


「……ソナちゃん?」


 母の声にどきりとする。

 片付けの音で起きてしまったらしい。


「お母さん……」


 ソナが寄ると、母は二段ベッドの下からゆっくりと出てきて、ソナに抱きついた。


「ソナちゃん、良かった無事に帰ってきてくれて……。どこに行ってたの?こんなに冷たくなって」

「……ごめん」


 母は少し体を離し、申し訳なさそうにソナを見た。


「いいのよ、お母さんも言い過ぎたわ。ソナちゃんの気持ちをわかってあげられてなかった」


 母の目は、声は、慈愛に満ちていた。それは昔も今も変わらない。


「明日は、職場の方とランチに行ってきてもいいわよ」

「……」


 母が口にしたのは許可だ。

 同意ではなく、許可である。


 心が再びささくれ立つような気がしてくる。

 それでも、とソナは気持ちに蓋をした。

 明日は結果的に、ナナキ達と食事に行くことができる。それでいい。


「ありがとう。……シャワー、浴びてくるね」


 恐らく言う必要のないはずの礼を言い、ソナは母から静かに離れた。


 熱いシャワーを浴びると冷え切った体が解れた。ベッドに潜り込んだのは深夜を越えていた。

 母はまた眠ってしまったようで、下の段で寝息を立てている。


 狭い部屋に置かれた二段ベッドの上。

 低い天井を見つめるソナの頭の中では、あの美しい金髪の青年の言葉が反芻されている。 


 見透かされるような紫の瞳。


 “そういう目で見るから、全てが悪いように見えるんじゃないですか”


 時折覗かせる複雑そうな表情を笑みに変え、優しくソナに話しかけるカギモト。その姿が否応なしに浮かんでくる。


 わかっている。


 ソナは布団に潜り込み、ぎゅっと目を瞑る。


 けれど、それを他人に真正面から指摘されたくはない。



 布団の中は冷たく、暖まったはずの体の熱が端から失われていく。

 中々、寝付くことができなかった。


…………………



「今日は急遽、所内会議が入ったから」


 翌日の勤務開始早々、ゴシュが忙しなく告げた。


「うちからはセヴィン君とカギモト君、それとソナさんが出て。あと1時間後に2階の会議室ね」


「急ですね」と指名されたセヴィンがやや不満を滲ませる。


「アレス遺跡の件ですか?」

「そうだよ。本部に協議に行ってた連中がこれから帰ってくるんだって」


 ゴシュは噴き出す汗をハンカチで押さえながら、ばたばたとファイルの中の書類をめくっている。


「あの……私もですか?」


 ソナは尋ねた。

 アレス遺跡のことはカギモトから聞いた限りのことしか知らない。


「ソナさんは会議初めてでしょ。まあ経験値のために同席してくれるといいかなって思ってさ。カギモト君と一緒にメモ取りお願いできる?」


「わかりました」とカギモトが頷いた。


「係長は、事前にある程度の話は聞いていますか?本部との協議の結果とか」

「そんなわけないでしょ」


 セヴィンの問いにゴシュが自嘲気味に答える。


「こっちにはいつも最後の最後まで情報が来ないからね。それでいて、いつまでにあれを用意しろこれを整理しろなんて無茶言うんだから……事務屋を舐めてるよね、ほんと」


 ゴシュは手を動かしながら半ば独り言のようにぶつぶつと呟いていた。

 

 一旦席に着き、ソナは息を吐いて軽く目を瞑る。頭が重い。

 

「……寝不足?」


 右から声がした。

 目を開けると、ティーバが少しだけ顔をこちらに向けている。


「顔色、というか、隈がひどい」

「ティーバさん、女の子にそんなこというの失礼ですよ」


 ソナが思わず自分の目元に触れると、向かいでナナキが信じられないという顔をしていた。

 

「大丈夫? 調子悪い?」


 不意にカギモトが反対隣から覗き込んできた。ソナはさっと顔を伏せる。


「い、いえ……」

「そう? 無理しないでね」


 ソナは小さく「はい」と答える。 


「とりあえず、俺達も準備しようか」

 カギモトの声色は今日も優しい。

「これ、昨日アレス遺跡の基本的な資料見つけたんだ。古いやつだけど、会議の前に目を通しておくといいかも」


 机の上に、静かに紙が置かれた。


 「……はい」

 

 別に、これまでどおりだ。

 自分がどんな態度を取ろうが、どんな目をして見ようが、カギモトは凪いだ海のように穏やかだ。

 何も変わっていないはずだ。


 なのに、これまで以上に、カギモトの方をまともに見ることができなかった。

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